前回は『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、苦しみの根源的な要因といえる「三毒」について述べました。
今回はいわゆる涅槃、「ニルヴァーナ」についてです。
20代や30代の頃の私自身もそうでしたが、普段から仏教や瞑想に馴染みがなければ、「ニルヴァーナ」(パーリ語でニッバーナ、漢訳で涅槃)と聞くと、日常の外に存在する、どこか非現実的で高尚な世界観のような印象を受けます。
しかし今枝由郎氏の『ブッダが説いた幸せな生き方』を読んでみると、決してそうではないことがわかってきます。
それでは「ニルヴァーナ」とは一体なんでしょうか?
まず、この「ニルヴァーナ」について今枝氏が、「ニルヴァーナは、二元論的、相対的なことばの次元を超えたもので、私たちの一般的な善悪、正邪、存在・非存在という概念を超えています」と述べていること、特に概念を超えているということが、ニルヴァーナとは何かを考えるうえでのポイントになってきます。
また今枝氏は、「現在の我々に身近な一つの現象を例にあげますと、無重力の次元が当てはまるのではないでしょうか」とし、
と述べています。
さらに氏は、ニルヴァーナは言語学的には、「「消える、燃え尽きる」といった意味」であり、「燃えている火が薪がなくなったり、燃料がなくなったときに消えてしまう状況を指します」としています。
このことに加えて、
とも述べています。
しかしながら、
とも述べており、パーリ語の仏典中のニッバーナの定義をいくつか見てみると、
としています。また、このニルヴァーナ(涅槃)を「虚無」や「死」であると誤解している日本人は多いと言います。
しかしながら、今枝氏が『ブッダが説いた幸せな生き方』のなかで以下のように述べていることは傾聴に値します。
特に重要なのは、
と述べられている点です。
すなわち、(もちろん簡単なことではありませんが)ニルヴァーナは生きている間に実現できるのであり、ニルヴァーナをいわゆるあの世や彼岸、もしくは「天国」と同一視したり、「死」によって到達できると勘違いしたりしていることは、根本的な誤りなのだと言えるのです。
……次回へと続きます。
お忙しい中ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます😊