大事なのは心の修養、サティ、マインドフルネス習慣。『ブッダが説いた幸せな生き方』⑪
前回は、『ブッダが説いた幸せな生き方』(岩波新書)を読みながら、心こそが全ての行動の出発点であるとし、心を制御するための瞑想法として、「シャマタ」と「ヴィパッサナー」、そしてその違いを取り上げました。
著者である今枝由郎氏は、ブッダが真に推奨したものである「ヴィパッサナー」に関して、「これこそが仏教独自の本質的な瞑想法で、究極の真理、心の完全な解放に連なるもの」であるとしています。
またワールポラ・ラーフラ師が『ブッダが説いたこと』のなかで述べている、
「すべての行いに対して、それをする瞬間にそれを意識すること」
は、自分が行うすべてのことを、はっきりと意識し注意することである「サティ」(「現代の英語表現ではマインドフルネス」)のことであり、
「人が生きるのは、過ぎ去った過去の記憶の中ではなく、まだ実現されていない未来の夢の中でもなく、今この瞬間です。今この瞬間に集中して全力で生きる人は、人生を全うしている人であり、もっとも幸せな人」
であるゆえ、この「サティ」こそがもっとも重要なことであるとしています。
さらに、「人類は工業生産・技術革新面の発展にそのエネルギー、才能、関心の大半を費やして」きたために、
「その負の副産物として、心の荒廃、人間性の疎外といった精神面での問題が生まれてきている」
のも事実であるため、
「私たちは今こそ立ち止まって、「心の耕作者」を自認したブッダのことばに耳を傾けて、心の問題に取り組むべきではないでしょうか」
と述べています。
また今枝氏は、心は一度修養すればいいというわけではなく、磨いた鏡と同じように時間が経てば曇ってしまうため、「怠ることなくたえず継続的・日常的に修養を続け、汚れのない清らかな状態に保つ必要」があるといいます。
しかし「修養といっても、けっして堅苦しい自制的なもの」ではなく、チベット語で瞑想修養のことは「ゴム」といい、「(心を)慣れさせる、馴らす」ということで「習慣」と訳すことが出来るとしています。
そして、前述の「三学」(戒定慧)の「戒」の項で見たように、
とも述べています。
すなわちここで大切なのは、「心の修養は、日頃から心を健全に働かせることを習慣づけるということ」なのです。
また、普段の心がけというものに関して、「四無量心」を挙げています。
そして、この「四無量心」について、今枝氏は、
と説明しています。
……次回へと続きます。
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