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短編小説 『あらしぼっこ』

春 桜の花がいっせいに満開を迎えると
その美しさに心奪われます
桜の下に立っていると
短い花の命を終えて 風になびいて散っていくさまは
最後に見せる一瞬のきらめきのようで
大地を染め 川を染め すべてを淡いピンク一色に染めたとき
日常と違った異世界の扉がひらかれたような気がします

あらしぼっこ

「こりゃ、嵐がやってくるぞ」

畑をたがやしていたロクさんは、土まみれの手を止め空をあおいだ。
まだ昼もすぎたばかりだというのに、早春のおだやかな日ざしはいつの間にか遠のき、雲はなまり色の絵の具をかきまぜたように、ぐるぐると厚く重なっていた。

「こんな、きみの悪い雲はみたことねぇ」

雲の中に魔物でも住んでいるかのように、苦しそうにうごめいていた。なまぬるい風がピューピューとロクさんの耳もとを吹きぬけ、あたり一面、木々や草の葉、耕し始めたばかりのだんだん畑を、いっきに駆けおりていった。

 ロクさんは立ちあがり、首にまいた手ぬぐいで顔をぐぐっとひとかきした。こんなときに思いだすのは、昔から村でいい伝えられている「あらしぼっこ」のはなしである。

ちょうどこんな桜の咲く春の日に雷音とともにあらわれ、年はもいかぬ子をさらっていくという。だれ一人としてその姿を見たことはないが、昔からこの村では春の嵐がくるとぴしゃりとかたく戸を閉め、いっさい外には出ず、家の中でじっとしている風習があった。

「うちのぼんは大丈夫だべか」

ロクさんは急に心配になり、途中で仕事をきりあげて帰ることにした。ふと気がつくと、隣の畑でたがしていた親兵じいさんがいなかった。

「あれ、もう帰っちまったべか。いつもは、声かけてくるのにな」

ロクさんはそう思いながら、道具を片づけ帰りの道を急いだ。

ロクさんの畑は大きな河川敷のすぐそばにあり、川の土手づたいの道を歩いて家まで20分ほどかかった。その一本道の途中、両側に大きな桜の木が立ちならぶ桜堤があって、春ともなるとみごとな花を咲かせた。今はちょうど満開の時期で、農作業を終えた帰りにここを通ると疲れを忘れさせてくれた。

しかし、今日はいつもとようすが違う。強い風にあおられ、何千何万もの花びらが宙を舞い、風にもてあそばれるように乱れ飛んで、渦を巻いていた。舞い散る吹雪はあたり一面を淡いピンク色に染め、息を飲むような美しさだった。ロクさんは心を奪われて足をとめた。

すると、突然空をつんざくようないなびかりと、強烈なとどろき音が鳴り雷が落ちた。びっくりしたロクさんはあわてて走りだした。ぽつりぽつりと雨が降り、しだいに顔に当たる雨つぶが大きくなり、土砂降りの雨にかわった。

「えらいこっちゃ」

ロクさんは手ぬぐいで頭をおおったが、あっという間にびしょぬれになってしまった。途中大きな桜の木を見つけると、しかたなく、そこで雨宿りをすることにした。

厚い雲は太陽の光をとざし、夜の世界にかわった。ロクさんの願いとは裏腹に、雨はどんどんひどくなるばかり。雷はいきおいをまし、いなびかりはくらやみを一瞬にして昼にかえ、そのたびに自分の影が地面に写った。足元を流れる泥水は跳ねあがり、いくつも小さい川をつくって低い方へと流れていった。そのうち、地面をたたきつける雨音で周りの音が一切聞こえなくなった。

「おっかぁとぼんはだいじょうだべか…」

ロクさんは途方にくれた。

その時である。再びいなびかりで自分の影が地面に映たかと思うと、その横にもうひとりの影が映った。それは桜の木の枝に座っているこどものようにも見えた。おどろいて、後ろを振り返ると誰もいない。こんな嵐なのに子どもがいるはずがない。また、いなびかりが鳴った。同じように子どもの影が映っていた。後ろを振り返ってもやはり誰もいない。ロクさんは背筋に冷たいものを感じると、恐ろしさのあまり濡れるのもかまわずそこから逃げだした。
「あれは、あらしぼっこだ!」
無我夢中で家まで走って帰った。やっと家にたどりついたときには全身びしょ濡れで、顔は恐怖でこわばっていた。ロクさんを見たおっかあは、そのただならぬようすを見て驚いた。

「どうしたんだべか。こんなびしょぬれになっちまってぇ」

「それより、ぼんはおるか!?」

「おるよ。早よぉ着替えんさい。今、お風呂たくけぇ、それまでこれでからだをふいて、火のそばで暖まっとんさい。」

おっかあは乾いた手ぬぐいをロクさんにわたして、急いで風呂の薪をくべにいった。ロクさんはぼんの顔を見てやっと安堵した。それから、おっかぁが沸かしてくれたお風呂に入り、桜の木の上にいた子どもの陰のことをずっと考えていた。

ロクさんがお風呂から出た時には雨も上がり、雲の隙間から空がのぞき、夕暮れのさわやかな光が差しこんでいた。ロクさんは炉端に座り、ものうげな顔をしてしばらくだまっていた。

「ぼん、こっちへこいや」

1人で遊んでいたぼんは嬉しそうにロクさんの膝の上にちょこんと座った。見上げると、ロクさんは考え深げにいろりの火を見ながら話はじめた。

「おらぁ、思い出しただ。昔、ぼんぐらいのときだったべか、あらしぼっこにあっただ」

「あんれまぁ。そんなん本当にいるんだべか?」

おっかぁは、炊事をしながら聞いていた。

「とっちゃん、ホント?」

ぼんは目をきらきら輝かせていた。

「んだ。なんせ忘とったんよ。今まで思い出せなかったのが不思議なくれぇだ」

ロクさんは記憶を封印していたかのように、やっとすべてのことを思いだした。桜の咲くころ、全く同じ場所であらしぼっこに出会ったことを。


突然あられたあらしぼっこは、ロクさんと同じくらいのこどもの姿をして、桜の木の枝に座っていた。あらしぼっこは「人さらいだから、見たら逃げるんだよ」と両親から言われていたが、恐ろしさよりも好奇心のほうがまさった。あらしぼっこは人なつっこい笑顔でほほえみかけてくれた。

「登ってくる?」

そう言われて、ロクさんは「うん」とうなずき、あらしぼっこのいる枝まで登ってみせた。すると、あらしぼっこはひょいとべつの枝へ飛びうつった。負けじとロクさんもあらしぼっこについていった。あらしぼっこは桜の花びらを器用に手でくるくる回して大きな渦をつくり、桜堤は花びらが舞い散る異世界のトンネルになった。

「すごい、、」

そのきれいさにロクさんは息をのんだ。気がつくとあらしぼっこはいつの間にか下に降りていた。

「いっしょに、あそばない?」

「うん」

ロクさんも笑顔で答え、あらしぼっこと木登りやけんけんぱをしてあそんだ。


そうして、いつの間にか雨雲と雷音が遠のき、あらしぼっこは明るくなった空を見上げて急にさびしそうな顔をした。

「おら、もういかなきゃ」

突然のことにロクさんが驚いてだまっていると、あらしぼっこがいった。

「きっと、また会いにくるよ」

「うん。絶対だよ」

「約束する」

そういうと空高く舞い上がり、遠いかなたへ消えていってしまった。すぐに雨は止み、水たまりができた地面には太陽の光が反射して、たくさんの桜の花びらがきらきら輝いていた。

ロクさんは大きなためいきをついた。

「おらぁ、せっかく会いにきてくれた昔の友達を忘れて逃げてしまっただ」

「とうちゃん、どうしたの?泣いてるの?」

ぼんは、ロクさんの顔をのぞきこんだ。あたりはかまどにくべた薪がぱちぱちと音を立て、おっかぁがしたくしていた夕飯のいいにおいがしていた。

「そろそろごはんにするだべ。ぼん手伝ってくれや」

おっかぁがいうと、お腹がすいたぼんはいきよいよく立ちあがり、台所へかけていった。

おわり


この物語のインスピレーションを得たのは、松たか子さんの「桜の雨、いつか」を聴いたときです。桜の雨が舞い散る中を、風のように自由に飛び回る。透明感のある声が、空の彼方まで広がっていくようでした。


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