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「海」に対する印象。

私は夏生まれなので、海が好きです。小さい頃は夏の海に行くと、海水浴のせいでこんがりと肌が焼けてしまうことも度々ありました。けれども、おチビな頃の私はそんなことお構い無しに、海の中で泳ぐのが気持ち良くて、ついつい海の中に長居するのです。あと、海で濡れた肌や髪が、潮風に吹かれて乾いていくのを感じながら、じーっと海辺を眺めるのもあの頃からずっと好きでした。大人になった今では、海の中に入るのが何かと面倒に思う年齢に達してしまったけれど、眼前に広がる青色にはやっぱりいつも心奪われ、潮騒の歌声に癒されます。私にとっての海は、いつだって「私の心動かす存在」です。

ただ、私は最近、海がこれまでとは異なった、「別の心の動かし方を持つ存在」でもあることを知りました。その別の心の動かし方とは、「畏怖」です。厳かさだったり自然の雄大さだったり、その偉大さからくる怖さや危うさを、私はうまれて初めて海から感じ取りました。福井県の東尋坊、新潟県の日和山浜、いつも大阪の海を見るようにそれらの海へ目を向けると、なぜか私の両足がガクガクと。ずっと向こう彼方まで続く水平線を、淡い色の空と濃い色の海との境界線をじっと見つめると、徐々に足が震え出したのです。海を見て足がすくんだのはこれが初めてのことでした、今までこのような感覚に襲われたことなんて、これまでの人生で一度もありません。

この感覚が私のもとに訪れた理由は、きっと、いや間違いなく今年1月に起こった能登半島地震。4月の始めに北陸の地に辿り着いたときから、そして北陸の海を目の当たりにしたその瞬間から、海に対して抱く感情に「緊張」や「不安」といったものが押し寄せていたのです。私にとっての慈悲深い幸せをもたらす海は、時に、人類にとっての残虐な不幸をもたらす海にもなりうる​。海を目の前にして、私は海の両面性に気づいたのです。
今回過ごした北陸での数日を通して、私にとっての海は、大好きで愛おしい存在でありながら、強さを語る恐れ多い存在なのだという発見を手に入れました。そうして私は、これまでの私の海に対する印象において、(過言かもしれないが)劇的な変化を感じ取るという、大切な経験を得たのです。これぞ旅の醍醐味、自分の思考や感情の変化を感じられるのは、すごく幸せなことですね。

北陸の地を離れてからも、どうしてもこの、言葉でも写真でも、何にも形容しがたい感情を忘れられなくて、忘れたくなくて。このnoteに記した次第です。
これから北の大地を巡る前に、気持ちの整理をするために纏めました。これからも少しずつ、旅を通して感じたことや考えたことを小出しにしていこうと思います。文章がぐちゃぐちゃでも、まとまりが無くても、自分の記憶をとにかく記録し、これからも残していくつもりです。


今日のところは、こんなもので。

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