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コトノハぽんぽん#4「素直」「守る」「保留」

素直なことにも、良し悪しがある。ことばの持つ意味は、それぞれの人の持ち合わせによると思っていて、それが擦り合わせられなくって、いつも大変なことになる。だから大抵の時間は、素直さからは離れたことばを、あんまり気持ちを込めずに、話したりする。そういうときにも冷たくなってしまうのは避けたくて、言い方に気をつけたりする。そうして溜まりに溜まったものは、疲れた瞬間に、気心知れた人に向かってぶつけてしまうことがある。それはどんなに気をつけても起こる、でも出来るだけ起こしたくなくて、もしかしたら明日にはあなたと会えなくなるかもしれないと、後悔することのないように日々を過ごしたいと、膝を掴みながら思う。素直さをなだめすかして日々を過ごす、あなたは私のなかにちゃんとあるもの、ないことにしたいわけじゃないんだよ、「家」のなかを大切に守っていてほしいんだと、伝えて、生きていきたい。


守るのは、誰かとした約束のことじゃなくて、じぶんの姿勢みたいなものだと思う。わたしなら、動こうとして、動くことができる。でも、あなたに伝えたとしても、思ったようには伝わらないし、ロジカルシンキングなんて実は穴だらけだったりもするし。ホルモン焼きのハチノスみたいな、あの感じ。って、どんな感じ? ほら、よく分からなくなる。でもね、守るって、見ることだと思うんだ。聴くこと、感じること。そしてあなたが分かってくれるかは分からないけど、私はこう思う、って伝えることなんじゃないかな。そういうことをできるように「クラウチングスタートみたいな姿勢でいたいもんだぜ」なーんて格好つけてみてもさ、なーんでだかそのまま寝てたりボーっとしちゃうこともあるんだよね。ふつう寝ないよねって場所でも競技中とかでもぜんぜん寝ちゃうこともあって。なんでだろうね、笑っちゃうくらいに、ふかんぜんなんだね。


保留音として自分の作曲した音楽が生き残るなんて、きっと想像もしてなかったんだろうなぁ。「少々お待ちください」なんて思いながら、知り合った人、付き合ってる誰しもに、どんな人かって気持ちを保留することにしてる。レッテルは貼りたくない。いい時も、やなことをされた時も。レッテルを貼るのは、もう関わらないと決めた時だ。レッテルを貼ったら、もう剥がれない、そのまま出荷しちゃうから。話さないし、極力視界にも入れない。……どんな人とも、せっかく出会ったんだから、心地よく過ごせたらいいなって、十年前は思っていたけど、十年かけて、それはやめたんだ。というか……違うな。やめるのに、十年も、かかってしまったんだ。

これからの生きている時間はすべて、じぶんと、自分の大切にしたい人たちのためにある。それだけは、保留しない。





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