美しさの原点って何だろう
「威義即仏法 作法是宗旨」
禅にはこの様な言葉があります。
僧侶が威義、つまり着物の着方や立ち振る舞いを気にして外見を整えるのは、他人から良く見られたいという「欲」のためではなく、仏法に即して「真っ直ぐ生き抜く」ための実戦で、ひとつひとつの行いに自己が現れると考えられているからだという。
つまり、他人の目を気にすることによって、外見を通して現れる自己の生き方を意識するためだと教わりました。
「他人の目を気にする」
どうしても気になっちゃいます。
僕の場合は真っ直ぐ生き抜く実戦ではなく、人からどう思われているのかが気になってしまう。人に迷惑をかけていないか、変に思われていないかなど、この歳になっても気になってしまうのです。
もう少し若い時は髪型や服装が気になり、流行を追っては余計な出費を抑えられない時もありました。
さらに昔、僕の中学生時代。
時代がそうであったのかも知れませんが、俗に言う「荒れていた時代」です。やんちゃ坊主は角刈りや剃り込みなどを入れた定番の髪型が流行っており、学生服はボンタンが主流。僕も真面目ではありましたが、短ランとボンタンで毎日キメていました。
頭髪は校則で丸刈りと定められていましたので、やんちゃ坊主くんたちはこぞって剃り込みを入れていました。今思えばダサすぎますね。
やんちゃ坊主くんたちの中には幼なじみが複数いたので、教員たちの間では、僕もそのグループの一員と思われていたのかも知れない。でも、生徒会長やら学級委員(級長)なんかもやらされていたから堪らない。
”校則違反者を罰しても良い”
僕にはそんな特権が与えられていた。具体的には、剃り込みくんを見つけ出して丸坊主にしても良いという特権だ。僕は男子専属でしたが、女子は女子で冷血な特権を与えられていた人もいました。生徒会の副会長です。
これは気持ち良い。
片っ端から放課後に美術室に呼び出してバリカンでスカッと坊主にする。
少なく見積もっても50人は坊主にしてやりました。該当者にとっては死刑宣告の様なものです。
女性の方はというと、髪が襟についているとか、前髪がどうのこうの難癖をつけてはバッサリやっていたことを記憶してます。
やんちゃ坊主といえど幼い時から仲が良かったので、初めの頃は躊躇したりしました。しかし、バリカン剪定が3人、4人と増えるに従い快感を覚えてしまい、僕の顔をみると逃げる輩も出始めた。今で言う覆面警察みたいなものです。
時には待ち伏せをして捕まえ、あらぬ理屈をつけて力ずくで美術室へ連行したこともあります。まるで何処かの国みたいですね。ごめんなさい。
今こんなことをしていたら告発されるだろうね。
先導した教師もろともお茶の間を賑わすネタになってしまう。
![](https://assets.st-note.com/img/1641463778329-1fB8K9xf5f.png?width=1200)
今日、久しぶりに出社しましたが、寒い街の中で托鉢業をしているお坊さんを見かけました。傘を被っておられたので頭髪までは確認できませんでしたが、きっと丸坊主。身なりもしっかりされていて凛として美しい。
衣の乱れは心の乱れ。
襟元から裾に至るまで整っている。
世の中は外見で個性を表現しようとしているが、僧侶たちは徹底的に外見の個性を消している。つまり、他人の目を気にするポイントが違うのです。
立ち振る舞いの美しさは、ふとした時に現れます。
食事の際に姿勢を正したり、ものを渡すときに丁寧に両手で渡したり、ちゃんとお礼を述べたり。普段何気なく行っている身体の運び方だけでも、立ち振る舞いの美しさを表現できるのです。
「威義即仏法 作法是宗旨」
自分の内面を整えることが近道なんだと、今更ながら痛感しています。
最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
寒い時期ですので、しっかり温まって楽しく過ごしましょう。
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