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摂食障害

摂食障害は、母親との関係性に起因していると言われがちだけど、どんな関係性においても起こりうるんじゃないかと思います。

母親は、人間関係の始まりであり、家庭の中で父親の存在感が希薄だから、ついなんでもかでも母親のせいになってしまいますが、、、。

私の夫は休日は、朝昼晩ご飯を作ります。
妻としてはとてもありがたいし、助かります。

夫は元々料理する人ではなかったけど、三人目の子供が生まれたのをキッカケに料理するようになって、家族が美味しい美味しいと食べてくれるのが嬉しかったようです。

私も楽になってイライラしなくなった。
夫は料理をすることで、家庭内での自分の存在意義を見出したのでしょう。
5人家族の中で男ひとりですから、疎外感を感じていたようです。

余談・(別に誰も疎外なんてしてないんですけどね。
自分から輪の中に入ってこないだけ。娘たちのことに興味を持てばいいんだけど、最初から、娘なんてわからないわからない、、って思いこんでる。
こういうことって、ほかの人間関係でもありがちですよね。
誰も仲間はずれになんてしてないのに、疎外されてると思い込む。)

いいこと尽くめかと思いきや、最近ちよっとどうなの?と思うことがあります。

それは、家族が食べなかったり、高評価が得られないと、夫が不満気なのです。

たとえば、夫が朝ごはんを作る。「朝ごはんいらない?」と聞く→「いらない」と私が答える→「そんな言い方ないやろ!怒」
って、え?聞かれたから答えただけなんですけど、、、。

料理だけではなく、夫は家族のためにスイーツを買ってきます。
買ってきて欲しいと言われて買ってくるのではなく、喜んでくれるだろうと期待して買ってくるので、家族の好みではない時もあります。
なので、誰も食べずに放置されていると、夫は不満気なのです。

”えーせっかく買ってきたのにー、、、。”みたいな。

一般的には、誰かが作ったものは残さず食べるべき。自分のためを思って買ってくれたものは無条件に喜ぶべき、と多くの人は思うでしょう。

しかし、私はそうは思いません
自分の気持ちに素直になることは、一時的に相手を悲しませるかもしれないけど、長期的に見れば、お互いにとっていいことだと思います。
欲しくないのに、心を殺して欲するなんて、いけないことです。

そして、家族のためであっても料理するのは自分の喜び。
贈るのは自分の喜び。

喜んでくれたら嬉しいけど、喜んでくれなくても、作ったこと、贈ったこと自体に意味がある。

上記のことを受けて
”あ、もしかして、これって摂食障害とか、愛情認知の歪みとか、そういうのと関係するかもしれない”と思いました。

娘たちがもしも、自分の本音を言えない子たちだったらどうなっていただろう??と思うんです。

親が作ったもの、買ってきたものが、口に合わない、食欲以上の量がある、なのに、親に対しての申し訳なさから、無理にお腹に入れてしまっていたら、そのうち、なんらかの不具合は発生していただろうと思うんです。

ここで、冒頭の摂食障害に戻るのですが、
なぜ摂食障害が起こるのかと考えてみると、誰かからの愛が過剰、あるいは足りないという想いが、障害となって現れてしまうのではないか、、、と。

食べ物って愛の象徴だと思います。
親が一生懸命おいしい料理を作って子どもに食べさせる、なのに子供は好き嫌いがあって食べない。
”この子、嫌いなんだ、少食なんだ
しょうがない”と執着しない人はいい。

でも

「なんで食べてくれないの!?
好き嫌いはいけません!
食べなさい!
お母さんが作ったものは残してはいけません!」

執着し始める人がいる。
無意識下で、自分の愛情を受け取ってもらえない悲しさ、怒り、愛されないんだという拗ねでいっぱいいっぱいになる。

「要らないものは要らない、食べたくない」と罪悪感なく表現できる人は、問題ないです。

でも、”親が心を込めて作ったんだから食べなきゃ”とか、”要らないと言ったら相手が悲しむ”からと、「必要ない」と言えない心優しい人たちは、食べ物を摂取しても嘔吐する、逆に過剰に摂取してしまうのではないかと、思います。

愛情という観点で考えると、母親以外、例えば父親、祖父母、恋人、との関係性の中で愛されない、愛されたい、愛を受け取ってほしい、という欠乏感、渇望感があると、食に関して不具合は出てくるのかなと思います。

空腹でもないのに食べ過ぎてしまう。
甘いものを無性に欲する。
そういうのは、何かしらのサインじゃないかと思います。

本当は、みんな無条件に愛に包まれた存在なのですけどね。

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