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論語 The Analects of Confucius 第499回
原文 三 (499-20-03)
孔子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。
不知言、無以知人也。
書き下し文 三
孔子曰(こうしいわ)く、命(めい)を知(し)らざれば、以(もっ)て君子(くんし)と為(な)す無(な)きなり。礼(れい)を知(し)らざれば、以(もっ)て立(た)つ無(な)きなり。言(げん)を知(し)らざれば、以(もっ)て人(ひと)を知(し)る無(な)きなり。
現代語訳 03
論語 The Analects of Confucius 第498回
原文 二 (498-20-02)
子張問於孔子曰、何如斯可以從政矣。子曰、尊五美、
屏四惡、斯可以從政矣。子張曰、何謂五美、子曰、
君子惠而不費、勞而不怨、欲而不貪、泰而不驕、
威而不猛。子張曰、何謂惠而不費。子曰、因民之所利、而利之。斯不亦惠而不費乎。擇可勞而勞之、又誰怨。
欲仁而得仁。又焉貧。君子無衆寡、無小大、無敢慢。
斯不亦泰而不驕乎。君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然、
人望而畏之。斯不亦威而
堯曰第二十 Yao Spoke, No20 論語 The Analects of Confucius 第497回
原文 一 (497-20-01)
堯曰、咨爾舜、天之暦數、在爾躬。允執其中。四海困窮、天禄永終。舜亦以命禹。曰、予小子履、敢用玄牡、
敢昭告于皇皇后帝。有罪不敢赦。帝臣不蔽、簡在帝心。
朕躬有罪、無以萬方。萬方有罪、罪在朕躬。周有大賚。
善人是富。雖有周親、不如仁人。百姓有過、在予一人。
謹權量、審法度、脩廢官、四方之政行焉。興滅國、
繼絶世、舉逸民、天下之民歸心焉。所重、民食喪祭。
寛則得衆、信
論語 The Analects of Confucius 第496回
原文 二十五 (496-19-25)
陳子禽謂子貢曰、子爲恭也。仲尼豈賢於子乎。子貢曰、
君子一言以爲知、一言以爲不知。言不可不慎也。
夫子之不可及也、猶天之不可階而升也。夫子之得邦家者、所謂立之斯立、道之斯行、綏之斯來、動之斯和。
其生也榮、其死也哀。如之何、其可及也。
書き下し文 二十五
陳子禽(ちんしきん)子貢(しこう)に謂(い)いて曰(いわ)く、子(し)は恭(きょう)を為(な)す。仲尼(ち
論語 The Analects of Confucius 第495回
原文 二十四 (495-19-24)
叔孫武叔毀仲尼。子貢曰、無以爲也。仲尼不可毀也。
他人之賢者丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶、其何傷於日月乎。多見其不知量也。
書き下し文 二十四
叔孫武叔(しゅくそんぶしょく)仲尼(ちゅうじ)を毀(そし)る。子貢曰(しこういわ)く、以(もっ)て為(な)すこと無(な)かれ。仲尼(ちゅうじ)は毀(そし)る可(べ)からざるなり。他人(たにん)
論語 The Analects of Confucius 第494回
原文 二十三 (494-19-23)
叔孫武叔語大夫於朝曰、子貢賢於仲尼。
子服景伯以告子貢。子貢曰、譬之宮牆、賜之牆也、及肩。闚見室家之好。夫子之牆數仞。不得其門而入、
不見宗廟之美百官之富。得其門者、或寡矣。夫子之云、
不亦宜乎。
書き下し文 二十三
叔孫武叔(しゅくそんぶしゅく)大夫(たいふ)に朝(ちょう)に語(つ)げて曰(いわ)く、子貢(しこう)は仲尼(ちゅうじ)に賢(まさ)れり、と。子
論語 The Analects of Confucius 第493回
原文 二十二 (493-19-22)
衞公孫朝問於子貢曰、仲尼焉學。子貢曰、文武之道未墜於地、在人。賢者識其大者、不賢者識其小者。
莫不有文武之道焉。夫子焉不學。而亦何常師之有。
書き下し文 二十二
衛(えい)の公孫朝(こうそんちょう)子貢(しこう)に問(と)うて曰(いわ)く、仲尼(ちゅうじ)は焉(いず)くに学(まな)べるか、と。子貢曰(しこういわ)く、文武(ぶんぶ)の道未(みちいま)だ地(ち)
論語 The Analects of Confucius 第492回
原文 二十一 (492-19-21)
子貢曰、君子之過也、如日月之食焉。過也人皆見之。更也、人皆仰之。
書き下し文 二十一
子貢曰(しこういわ)く、君子(くんし)の過(あやま)ちや、日月(じつげつ)の食(みちかけ)の如(ごと)し。過(あやま)つや人皆之(ひとみなこれ)を見(み)る。更(あらた)むるや、人皆之(ひとみなこれ)を仰(あお)ぐ。
現代語訳 21
子貢が言った。「君子の過ちは日食や月食のよ
論語 The Analects of Confucius 第491回
原文 二十 (491-19-20)
子貢曰、紂之不善、不如是之甚也。是以、君子惡居下流。天下之惡皆歸焉。
書き下し文 二十
子貢曰(しこういわ)く、紂(ちゅう)の不善(ふぜん)は、是(かく)の如(ごと)くの甚(はなは)だしからず。是(ここ)を以(もっ)て、君子(くんし)は下流(かりゅう)に居(お)るを悪(にく)む。天下(てんか)の悪(あく)皆帰(みなき)すればなり。
現代語訳 20
子貢が言った。
論語 The Analects of Confucius 第490回
原文 十九 (490-19-19)
孟氏使陽膚爲士師。問於曾子。曾子曰、上失其道、民散久矣。如得其情、則哀矜而勿喜。
書き下し文 十九
孟氏(もうし)陽膚(ようふ)をして士師為(しした)ら使(し)む。曾子(そうし)に問(と)う。
曾子曰(そうしいわ)く、上(かみ)其(そ)の道(みち)を失(うしな)い、民(たみ)散(さん)ずること久(ひさ)し。如(も)し其(そ)の情(じょう)を得(え)ば、則(すなわ
論語 The Analects of Confucius 第489回
原文 十八 (489-19-18)
曾子曰、吾聞諸夫子。孟莊子之孝也、其他可能也、其不改父之臣與父之政、是難能也。
書き下し文 十八
曾子曰(そうしいわ)く、吾諸(われこれ)を夫子(ふうし)に聞(き)けり。孟荘子(もうそうし)の孝(こう)や、其(そ)の他(た)は能(よ)くす可(べ)きも、其(そ)の父(ちち)の臣(しん)と父(ちち)の政(まつりごと)を改(あらた)めざる、是(こ)れ能(よ)くし難(
論語 The Analects of Confucius 第488回
原文 十七 (488-19-17)
曾子曰、吾聞諸夫子。人未有自致也者。必也親喪乎。
書き下し文 十七
曾子曰(そうしいわ)く、吾諸(われこれ)を夫子(ふうし)に聞(き)けり。人(ひと)未(いま)だ自(みずか)ら致(いた)す者有(ものあ)らず。必(かなら)ずや親(おや)の喪(そう)か、と。
現代語訳 17
曾先生が言われた。「私は先生からこう学んだ。人間が自分で究極まで尽くしてしまうということはま
論語 The Analects of Confucius 第487回
原文 十六 (487-19-16)
曾子曰、堂堂乎張也。難與並爲仁矣。
書き下し文 十六
曾子曰(そうしいわ)く、堂堂(どうどう)たるかな張(ちょう)や。与(とも)に並(なら)びて仁(じん)を為(な)し難(がた)し。
現代語訳 16
曾先生が言われた。「堂々たるものだ、張の態度は。だが、いっしょに助け合って仁の道を歩むことは難しい」
英訳 16
The teacher Zeng was said,
論語 The Analects of Confucius 第486回
原文 十五 (486-19-15)
子游曰、吾友張也、爲難能也。然而未仁。
書き下し文 十五
子游曰(しゆういわ)く、吾(わが)友(とも)張(ちょう)、能(よ)くし難(がた)しを為(な)す。然(しか)れども未(いま)だ仁(じん)ならず。
現代語訳 15
子游が言った。「私の友人の張は、困難なことが出来る男ではある。しかしまだ仁者に至ってない」
英訳 15
Zi You said, " My fri
論語 The Analects of Confucius 第485回
原文 十四 (485-19-14)
子游曰、喪致乎哀而止。
書き下し文 十四
子游曰(しゆういわ)く、喪(そう)には哀(あい)を致(いた)して止(や)む。
現代語訳 14
子游が言った。「父母の葬儀では、哀しみを尽くし、それ以上の虚礼はいらない」
英訳 14
Zi You said, " At the funeral of parents did to the sadness, don't nee
論語 The Analects of Confucius 第484回
原文 十三 (484-19-13)
子夏曰、仕而優、則學。學而優、則仕。
書き下し文 十三
子夏曰(しかいわ)く、仕(つか)えて優(ゆう)なれば、則(すなわ)ち学(まな)ぶ。学(まな)びて優(ゆう)なれば、則(すなわ)ち仕(つか)。
現代語訳 13
子夏が言った。「就職して余力があったら学問に励むと良い。学問をして余力があったら、就職すると良い」
英訳 13
Zi Xia said, " If y