『綿の国星』~ねこ耳と哲学と ~

(イメージ画)

1978年出版(日本)
著作、大島弓子


 ※ネタばれ含む



 主人公は生後数か月のメスの子猫。大人になったら人間になると信じて疑わない。
 ある日、お母さん(前の飼い主)に捨てられ、死にかけていたところを須和野時夫に拾われ、「須和野チビ猫」となる。
 小説家のお父さん、専業主婦で猫アレルギーのお母さん、そして悩みを抱える浪人生の時夫……新しい家族に囲まれ、チビ猫の生活が再スタートする。
 大好きな時夫の心を奪う女性・みつあみの出現。「猫は人間になれない」と残酷な事実を告げ、自分を旅に誘う美形猫・ラフィエル。
 ラフィエルは「綿の国」に住む美しいお姫様「ホワイトフィールド」のおとぎ話をチビ猫にする。
「おれはあんたをはじめてみたとき 猫の直感でこれがおれのホワイトフィールドだって思ったのさ」
 いろいろなことを経験し、一眠りするごとにチビ猫はホワイトフィールド(大人)に近づいていくのだった……。

 1978年発表の少女漫画。

 親が大島弓子さんが大好きで、子供のころに買ってもらって読んだ漫画です。
「元祖・ねこ耳」とも言われていますが、描かれているのは萌え的内容ではありません。どちらかといえば哲学です。エンタメでありながら純文学にも負けない奥深さがあります。
 子供の頃でも感じることはいろいろとありましたが、大人になって改めてみるとより胸に響くものがありました。
 ジャンクフード的な漫画ではなく、ずっと心に残り何度でも読み返したくなる作品です。恋愛もありますが本当に描かれているところはもっと深い人生に根差すような内容なので、少女マンガですが大人でも男性でも楽しめるのではないかと思います。猫を飼ったことがある人には特に共感できる内容です(時代も感じますが)。

 まず、この漫画では猫が擬人化して描かれています。猫の耳・猫のしっぽ、がありますが、他は人間の姿です。チビ猫は「猫はある時点で変身して人間になる」のだと信じているのです。自分のことを人間になる前の半人間だと思っているので、猫耳人間の姿で現れます。
 可愛いチビ猫も、めっぽう美丈夫の雄猫も、みーんな猫耳姿で現れるのでなんだかシュールです。

 物語は捨てられたチビ猫が春の長雨の中で死にかけているのを時夫が拾うところから始まります。
 ここからもう自分の体験と重なって感情移入してしまいました。我が家も拾った猫が多いのです。「クロックロ」と「カンちゃん」のモデルになった猫たちも、クロックロは林で死にかけていたのを拾い、カンちゃんは雨に打たれて鳴いていたのを拾いました。特にお転婆なカンちゃんがチビ猫とかぶって、以前に読んだ時よりもいっそう可愛く見えました。

 時夫のお母さんは猫アレルギー(というより恐怖症)です。だから時夫は最初チビ猫の貰い手を探すといったのですが、お母さんは大丈夫だからと結局そのまま飼うことになりました。お母さんのアレルギーは決して大丈夫ではないのですが、そこには複雑な親心がありました。
 時夫は大学受験に失敗して浪人生をしています。そのためか自暴自棄で様子がおかしい……そんな時夫が子猫の世話をしている間だけは生き生きとする。だからお母さんはチビ猫を飼うことにしたのです。アニマルセラピーというやつですね。

 お母さんのチビ猫の挙動に対する反応もいちいちに大げさで面白いです。

 チビ猫は世話をしてくれる時夫を好きになります。子猫のピュアな想いに胸キュンします。

「トキヲ わたし元気になったら あんたに ねずみとってあげる」「そいでもってわたしが人間になったときは一番はじめにあんたに『ありがとう』っていうわね……」

 この言葉と絵だけで、時夫がチビ猫にとっての「大切な存在」となったのがわかります。こういう直接的じゃない表現で魅せてくれるところが「綿の国星」は素敵です。

 時夫と一緒に遊んだりしているうちにチビ猫の想いはどんどん強くなり、早く人間になりたいという気持ちもそれに比例していきます。

 そんな中、時夫は近所に住む猫マニアに後をつけられるようになります。猫マニアは銀色の美しい猫を追っていて、それがなぜか時夫の近くによく現れるとのこと。
 この猫マニア、家がおそらく金持ちなのでしょうが、仕事もせず猫を探して放浪している自称詩人(名刺持ち)……なんと78年の作品にもこのような人が。限りなく自称クリエイターに近い自分は目をおおいたくなりました。早く名実ともなう人間になりたい。
 時夫ですら「――ペンネーム――瑠璃・動静――詩人。すげえ……」という反応。この「すげえ」にすべての感情が込められていますね。なんかもうほんとすみません。
 時夫は猫マニアを追い返しますが、チビ猫は「銀ネコ」のことが気になるようになります。

 時夫はお母さんのアレルギーが悪化しないように、バスケットに入れてチビ猫を予備校に連れていくことにします。
 バスケットに入り電車に乗り、いろいろな人間社会の光景を見て、興奮するチビ猫の反応が可愛いです。
 しかし、この日の帰り、時夫はみつあみの女性に一目ぼれしてしまうのです。
 遊んでくれず、物思いにふけるようになった時夫に、チビ猫は焦燥感を募らせます。

「きっとこれから 彼の全部を支配してしまう恋だなんて直感は はずれるにきまってる」

 と、自分に言い聞かせ、また、はずれなかったとしても、自分が人間になって先に時夫をとってしまうんだと誓います。

 人間になるための訓練を林でしていたとき、声をかけられます。

「猫は人間になれないよ」

 現れたのは銀色の毛皮と緑色の瞳――マニアの追い求める美しい猫、ラフィエルでした。
 ラフィエルはチビ猫に、猫は人間になれないことを教え、時夫をあきらめるように諭します。

「あんたはいい猫だ 人間につれそうなんざもったいない」

 ラフィエルが時夫の周りに現れたのは、チビ猫と時夫を観察するためでした。
 そして「かこい男を夢見るようじゃあいつはだめだな はしくれだ」と酷評。
 チビ猫は怒って反論します。

「時夫のこと悪くいわないで 時夫は人生になやんでるだけだわ」(チビ)
「悩み? 下劣な悩みだ」(ラフィエル)←このときのラファエルの顔が心底軽蔑しているような、怒っているような顔です。
「あんたなんにもしらないでしょう!! 時夫がどんなに…どんなに…」(チビ)←子猫にこんなに心配をかけている時夫はやっぱり下劣な気がする。
「しらないのはあんただよ 生きてゆくのになにが下劣でなにがそうじゃないか ちなみにあんたの今の状態は うん 立派な悩みだよ」(ラフィエル)
 そして、年老いて死んだ猫の死体を見せて、改めて猫が人間になれない事実を教えます。
 落ち込むチビ猫に、ラフィエルは「綿の国」のおとぎ話を聞かせます。
「綿の国って?」(チビ)
「架空の国さ いつかさがしあてようという 真綿の原のある国だよ」
「真綿…」(チビ)
「まっしろで……身も心もしずみこむようなすてきなかおりがする一面の綿の野 そしてそこには目もさめるような 美しい猫のお姫様がいてたどりつくと やさしく接吻してくれるんだとさ」(ラフィエル)

 ロマンチックな話の最中にも「じゃあ綿の国っていうのは空のあの星の中のひとつなんじゃない!?」という子供らしい空想をするチビ猫。「そうかもな」と言いながらも内心で(……ガキ)とつぶやいているところが面白いです。面白いというか、真意をなかなかわかってもらず切ないというか。

「その綿の国に待っているお姫さまっていうのが『ホワイトフィールド』という名前なんだそうだけど」(ラフィエル)
「おれはあんたをはじめてみたとき 猫の直感でこれがおれのホワイトフィールドだって思ったのさ」(ラフィエル)
「だからこれからおれと旅にでよう 猫は猫たるすばらしさをおしえてやるよ」(ラフィエル)

 とっておきの言葉。とっておきのプロポーズ。しかしチビ猫は「猫の直感ってあたし信じてないんだ わるいけど」と叫んで逃亡してしまいます。
 そして猫は人間になれないという事実に一人泣きます。ラフィエルはその様子をただ静かに見ています。

 それでも諦められないチビ猫。人間の真似をしていれば人間になれると信じ、人間用のトイレを使おうとしたりテーブルで食事しようとしたりしますが、ことごとく失敗します。そして家の中は阿鼻叫喚の地獄絵図。猫アレルギーのお母さんは卒倒してしまいます。そして、騒ぎを聞きつけた時夫は、思わずチビ猫の頭をたたくのです。

 家を飛び出すチビ猫。傷ついたチビ猫はラフィエルを呼びます(こういうところ自分勝手だな……まあ子猫だから仕方がない)。

「あたしほんとにだれにもまけない美しいいい猫になれる?」(チビ)
「なれるとも 保障するぜ」(ラフィエル)
「ありがとうラフィエル それじゃわたしがんばるけど あんたも気をつけなさいよ」(チビ)
「ホワイトフィールド!! 俺と行きたくなったらいつでもあの林にこいよ」(ラファエル)

 ラフィエルは追いかけてきた猫マニアをまきながら去っていきました。そしてチビ猫は一つの決意をします。

「えーいわたしはいい猫なんだ わたしはやってやる!! やってやる!!」

 チビ猫は時夫のところに帰ってきます。バスケットに入れられ予備校へ。しかし、その途中でわざとバスケットから逃亡。
 時夫はチビ猫を探しながら心の中で思います。
(やっぱりだめだやっぱり無理なんだ バスケットに入れて生活させるなんて自然じゃない おれは酷なことをしているんだ)
 雑踏の中、チビ猫を抱いていたのはあのみつあみの女性でした。時夫は、その女性にチビ猫をもらってくれるようにいい、走り去ります。
(これでいいんだ 猫すきそうな子だった 小さな頭をたたいてしまった 手の感触のどえらい痛み もうあんな気分はいやだ もうたくさんだ!!)

 叩かれたチビ猫はもちろん、時夫のほうも叩いてしまったことに大変なショックを受けていたのです。

 チビ猫との思い出を必死に忘れようとしている時夫のところに、みつあみが走ってきます。チビ猫がいなくなってしまったと。二人は手分けしてチビ猫を探します。
 そしてチビ猫は再び時夫の前に現れます。時夫はやっぱり自分がチビ猫をちゃんと飼おうと決意しました。
 これがきっかけで、みつあみと時夫は仲良くなります。ここまで、すべてチビ猫の計画だったのです。チビ猫は時夫とみつあみの仲を取り持とうとしたのでした。
 時夫は同じ道を目指しているみつあみと話をすることで、自暴自棄だった心を再び奮い立たせることができました。

 その二人の様子を見、また、私生児だというみつあみに自分の会ったことのない両親のことを思い重ね、「あんたすてき」と、チビ猫。そして、自分が猫であることを認め、猫として生きることをやっと決意します。
 ここで決意できるチビ猫は偉いし、自分なんかよりよっぽど大人だなと思いました。

 そんなとき、ラフィエルが猫マニアに捕まってしまいます。本当に猫好きなのならまだしも「きれいにつめをぬいてから」などと言っているあたり、自分本位の愛情しか持ち合わせていないことがうかがい知れます。
 ラフィエルの悲鳴を聞いたチビ猫は、時夫に助けを求めます。

「この猫 野生のはずでしょ 野生ならはなしておくのがマニアってものじゃないのですか」(時夫)
「それはちがう『確保する飼育する分析する』それがマニアです」(猫マニア)

 さわやかな笑顔で答える猫マニア、いいキャラしています。悪者ですが。

 押し問答の末、強硬手段で何とかラフィエルを逃がすことに成功します。「ラフィエルよかったね」と泣きじゃくりながら叫び喜ぶチビ猫。
 ラフィエルは顔に笑顔がないまま、静かに去りました。

 その日の夜。元気にご飯を食べる時夫を見て、ハイテンションのお母さんは、チビ猫を触ろうとします。が、やはり無理で硬直してしまいました。
「いいの近づかなくても わたしお母さんすきよ」
「お父さんもすき」
「時夫はやっぱり一番すき」

 閉ざされた扉の裏で「いいの近づかなくても」と思うチビ猫が胸に迫ります。「時夫はやっぱり一番すき」というところにも。

 チビ猫はラフィエルと旅に出る決心をし、ラフィエルが待っているといった竹林に行きます。

 ラフィエルをじっと待つチビ猫。

 そのころ、須和野一家は総出でチビ猫を探し回っていました。チビ猫が家を出てから三日が過ぎていました。
 時夫はチビ猫を探しながら、自暴自棄だった自分がすんなりみつあみと仲良くなれたのも、世界に色が戻ってきたのもチビ猫に出会ったからだと気づきました。
「おれがあの目を通してすんなりものをみられたからだ 全く違う角度全く違う視点」
「ぼくは君の目でものをみていたのだ」
 そして心からチビ猫が戻ってくることを願います。

 竹林のチビ猫を見つけたのはお母さんでした。お母さんは、神に祈りながらチビ猫に近づきます。「どうか心臓が異変をきたしませんように」……ミトンの手で頭をなで、ミトンを外した手で頭をなで、最後にはチビ猫を抱きしめました。チビ猫はお母さんの涙を一舐めしました。

 竹林を去っていくお母さんとチビ猫を、そっと見つめるラフィエルの後ろ姿がありました。

 ラフィエルは二度とチビ猫の前に姿を現しませんでした。

 チビ猫は、ラフィエルは猫マニアが逃がしてしまったその日に旅に出たのだと考えます。

「わたしは時夫といっしょに年をとれるのでしょうか わたしがホワイトフィールドになったときにラフィエルは見にきてくれるでしょうか もしその日が月夜だったら2匹でダンスを踊りましょ 思いはうつりかわりうつりかわりかげろうのよう」
「時夫はさっき出かけたし 私は今ミルクをのみおえていい気持ちでまぶたが重い 屋根の上でねむろう ひとねむりしておきたら そのとき私は ホワイトフィールドに一歩近づいているのです」

 屋根の上で眠っているチビ猫の姿で物語は終わります。

 なぜラフィエルは林に来なかったのか。もしかしたら自分を助けてくれた時夫に、チビ猫がみつあみに見たものと同じものを見たのかもしれません。あるいは、時夫に花を持たせるためにわざと猫マニアに捕まったか。チビ猫がわざとバスケットから逃げ出したように……。

 最初読んだときは、チビ猫の希望を打ち砕くことを言ったり、時夫を悪く言うラフィエルを嫌な奴だと思ったのですが、改めてみてみるとまったく印象が変わります。
 人間になれないという現実を優しく教え、チビ猫の悩みを肯定し、チビ猫を肯定してくれる。ラファエル自身もチビ猫に振られているような状態なのにまったく悲壮感はなく、余裕ある態度でチビ猫を待っているところはけなげとすらいえます。
 子供のころはチビ猫視点で読んでいたから、時夫との関係しか目に入らなかったんですよね。だからチビ猫がかわいそうでかわいそうで……。ラフィエルがイイ男なことに大人になって気づきました。

「綿の国星」は恋愛もの・動物ものを超えた成長物語といえます。
 時夫が自分を取り戻し、チビ猫が大人になることを決意する。
 チビ猫が人間になろうとするところ、なれないところ、失恋の末に猫として生きることを決意するところ……とても切ないです。
 また、恋人にはなれなくとも、時夫にとってチビ猫はかけがえのない存在であり、そんな様子をみたからこそラフィエルは林に現れなかったのかもしれません。
 すまし顔をしていますが、ラフィエルも切ないです。

 この第一話目でほとんど主題は描きられているように思います。この後の話で回を重ねるごとにラフィエルの登場が少なくなっていくのも、チビ猫とラフィエルの物語はここで完結しているからでしょう。今後、ふたりの物語が再開するのは、それこそチビ猫が「ホワイトフィールド」になれたときです。

「おれのホワイトフィールドだって思ったのさ」
 少女漫画史に残してよいセリフだと思います(あまり少女漫画は詳しくありませんが……)。

 その他好きなところ。

 チビ猫が「おはようお母さん」とあいさつしただけで、お母さんは跳ね上がりおびえます。

「だってなくんですものなくんですもの」(お母さん)
「そりゃ猫はなくよ腹すいてんじゃないのか」(お父さん)

 この人間たちのやり取りに対する「おなかもすいた でもあいさつしたの」という独白が切ないです。

 お父さんは物語に大きく絡んできませんが、ひょうひょうとして中立的な位置にいるので登場するとほっとします。猫アレルギーで熱を出しているお母さんの代わりにご飯を作ったりと、優しい人です。

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