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無意識の刷り込みを変える難しさ。

僕はピアノを習いに行っていますが、いま習っている先生は、いままでの先生とは全く違います。いままで習ったやり方を全部捨てなくてはいけません。無意識に刷り込まれたやり方を変えることの難しさについて書きます。



無意識の刷り込みを変える難しさ。


先生はロシアピアニズムを継承されている方で、練習方法がいままでと全く違います。ピアノは小さい時に習っていて、指をひたすら動かすような練習ばかりしてきていたのですが、練習方法が違いすぎて最初はかなり戸惑いました。


ピアノを弾く時は脱力が全てです。脱力できていないと、キーンという硬い音が鳴ってしまい、音が飛んでいきません。それを掴まないと、いくら機能的な練習をしても綺麗な音は鳴らない。



力を抜いて腕を上げ、重量にまかせて腕の重みだけで弾く。頭ではわかっていても、いままでの癖でどうしても弾く直前に力が入ってしまいます。直前までは抜けているのに、無意識で弾こうとしてしまい力んでしまう。ただ腕を落とせばいいだけなのに、ほんとうに苦労しています。


「ピアノを弾こうとしてはダメ。」


習い始めのころから言われている言葉です。この意味は深くて、どうしても弾こうとしてしまうんです。力んだ音が鳴ってしまうと、横にいる先生から「あぁ…」という残念な声が聞こえてきます。



こんなことなら、変な癖をつける前の真っ白な状態で、今の先生に習いたかったです。こんな教え方ができる先生も日本にはまだ少ないので、出会えただけでも感謝ですが。



無意識に刷り込まれたものは、プライドの固さでもある。



先生のところには、ピアノを教えてる講師の方も習いに来るそうです。習得するまでは時間がかかることも伝えるそうですが、どの人もだいたい3ヶ月で辞めていくそうです。


講師で教えてる人は、プライドがあるため続かない。


何かを続けていると必ずプライドや、その人なりのやり方が自分の中にできてきます。プライドは大切ですが、あまりにも自分のやり方に固執してしまうと、邪魔になる時もあります。



新しいやり方に出会った時に、
今までのやり方でやるのか、
新しいことを吸収できる柔軟さがあるか、
この差は大きい。



もちろん、人それぞれなので、どちらがいい悪いの話ではありません。プライドには邪魔する側面もあるのではないかという話です。



ピアノだけでなく、自分を変えたい、何かにチャレンジしたい、そう思ってもなかなか変えられないのは、いままでの思い癖のせいです。これに負けないためには、「今までのやり方とは違うからなぁ。」というフィルターを一旦外すことと、新しいチャレンジに夢中になるしかありません。


苦労している僕に、先生が、


「私もこのロシアピアニズムに出会った時、西條さんと同じだったよ。今まで習ったことは何だったんだと思った。でもこっちが本物だと思ったから、掴むまで頑張った。」


「で、ある時突然わかるようになったの。一度掴んでしまえば、それでいいことだから大丈夫。ひたすら練習やってね。」



新しいことにチャレンジするとき、教えてくれる先生のパワーは重要です。僕がめげずに楽しみながらチャレンジできるのは先生の力も大きい。



柔軟に吸収する力は、大人よりも子供の方が優れています。大人は倍の努力が必要です。でもつかみたいものがあるから、変わり続けていきたいから、自分の中から硬いプライドが出てきたら、少しずつ削ぎ落としていきたい。



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