ナギ

45歳。球脊髄性筋萎縮症(SBMA)という難病と向き合う日々の備忘録。

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45歳。球脊髄性筋萎縮症(SBMA)という難病と向き合う日々の備忘録。

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    球脊髄性筋萎縮症(SBMA)と向き合っていくための自分自身の備忘録。

最近の記事

去年の心の変化の備忘録

約3年ぶりの記事更新。 球脊髄筋萎縮症自体の進行は遅く、 3年前と比べても、できなくなったことは少ない。 想像よりも進行が遅く、悲観することはあんまりないかも。 ただ大きな心境の変化があり、 これまでの病気に対するネガティブな感情を受容できるようになった。 キューブラー=ロスは、患者が病気を告知されてからの心理状態の変化を 1 否認と孤立 2 怒り 3 取り引き 4 抑うつ 5 受容 の5段階で示していて、ようやく受容の段階に。 ここまで来るのに、結構かかりました。

    • 生きるとは、死ぬことと見つけたり

      昔から長生きしたいという願望はなかったけど、「球脊髄性筋萎縮症」を発症してからは、その気持ちがもっと強くなってきた。今この瞬間にすべてを投げ出してしまうのは、自分勝手かつ自己本位な考え方だから、行動に移すことはないけど、底なしの沼にはまりそうなときがある。 「死にたい」という積極的な気持ちはないけど、「死んでもいいかな」といった気持ちは消えることがない。その原因は、「球脊髄性筋萎縮症」という難病を受け入れていないことにある。今出来ることを、しっかりと理解する。そして、出来る

      • 生きる価値は分かるけど、生きる意味が分からない

        球脊髄性筋萎縮症は、昨日と今日で劇的に進行する難病ではないけど、1年単位で見ていくとカラダの機能は確実に落ちていく。真綿で締められるように進んでいくこの難病は、ボクと少し相性が悪い。「花は桜木、人は武士」ではないのだけど、基本的には潔く生きたいし、死に際もそうでありたいと願っている。ただ漠然と生かされていくのは、本意ではないのだ。 ボクには大切な娘がいる。このまま健やかに育てば、成人するだろう。気が合うパートナーが見つかれば、花嫁姿を見ることもできるかもしれない。そして、運

        • 自分に残された時間は、もう長くないこと

          約1年半。だいぶ間が空いてしまったが、備忘録のために近況をまとめてみます。現在のボクの状況。リュープリンの副作用かどうかは分からないけど、筋力が着実に衰えている。想像よりも早いペースで、できることが着実にできなくなっている。 歩くことはできるけど、思い通りに自分の足で前に進めなくなっている。思い切って、杖を日常生活に導入してみた。確かに歩くのは楽になったし、そのペースも上がった。まだまだ人の目は気になるけど、これは時間が経てば、慣れてくるだろう。 誰も止めることができない

        去年の心の変化の備忘録

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          10本

        記事

          小さな変化を、小さな希望に。

          3月9日(月)。この日から、球脊髄性筋萎縮症(SBMA)の治療を始めた。ただ難病自体は、現代の医学で完治することができないし、その進行を遅くするために行うものだ。まずは大学病院にて、リュープリンという注射を初めて実施。四肢の筋力低下にはあまり効果がないものの、球麻痺の進行は遅らせるというもの。ネットで調べてみると、ホットフラッシュや一時的な筋力低下など、副作用も大きいと知っていたが、注射前とその後で特に僕自身のカラダには変化ない。 もう1つは、同じ日から中国鍼灸に通い始めた

          小さな変化を、小さな希望に。

          ささやかだけど、大切にしたいこと。

          2月19日(木)。医師から疑いを受けていた「球脊髄性筋萎縮症(SBMA)」の診断が確定した。ある程度、覚悟していたこともあり、確定前とその後で、僕の見えている景色が大きく変わることがなかった。不安な気持ちに閉じ込められた訳でもなく、解放された訳でもないけど。 球脊髄性筋萎縮症(SBMA)とは、カラダ全体の筋肉が萎縮していく神経疾患で、緩やかに症状が進行していく病気だ。根本治療が確立しておらず、対処療法で進行を遅らせていくことしかできない。いわゆる難病と呼ばれているものだ。

          ささやかだけど、大切にしたいこと。

          不安からの再生

          新しい朝は、「不安」とともに始まる。小学校2年生の娘が、学校へと向かうのを見送ったあと、その不安から再生するために、時が過ぎるのをじっと待つ。ソファーで小さく丸まって、横になりながら。自分が向き合うべき不安を整理するために、ゆっくりと思考を巡らせていく。 僕のなかにある「不安」を大雑把に分類していくと、大きく3つある。1つめは、カラダが動かなくなることへの不安。2つめは、将来のお金への不安。そして、3つめは妻が抱えるであろう不安。1つ1つ、少しずつ。思考を積み重ねては、まだ

          不安からの再生

          難病と向き合うための心の在り方

          球脊髄性筋萎縮症の疑いを受けて、約一週間。最終的な診断結果が出てくるまでには、まだ時間がある。難病というものと向き合ってから、自分自身の価値観に大きな変化が生まれた。死というものを意識的に考えるようになったのだ。具体的に死というものが、色を帯びてきたこと。変えることが難しい未来と向き合うことに、恐怖を覚えるようになった。 未来は不確かなもので、いくつもの選択肢があるものだと思っていた。もしかすると、違う形で死を迎える可能性があるけど、今想像できる未来は体が一ミリも動かない状

          難病と向き合うための心の在り方

          球脊髄性筋萎縮症と向き合う

          病気の疑いがある球脊髄性筋萎縮症とは、下位運動ニューロンの疾患で、全身の筋力低下していくもの。現在の医療では解決することができない難病の1つだ。全国で2000人くらいの患者がいるそうで、症状はALSとは異なり、緩やかに進行していくことが多い。ただ最終的には寝たきりになる。 今の症状としては、長い距離が走れない、登り階段が手すりがないとつらい、歩くのが遅いなど。単純に体力の衰えではないと実感し、神経内科を受診。結果として、球脊髄性筋萎縮症の疑いを受け、遺伝子検査の結果を待って

          球脊髄性筋萎縮症と向き合う

          球脊髄性筋萎縮症の疑い

          球脊髄性筋萎縮症という病気の疑いがある。そう診断を受けています。まだ、確定はしていないものの、自覚症状があり、「たぶんそうだろう」と僕自身も考えるようになりました。 昨日と今日。今日と明日。その景色がガラッと急変することはないものの、来るべき未来に向けて、思考がグルグルと回りに回り、自然と涙が出てくる。 涙の理由。自分自身の将来に対するものではなく、妻と娘のことを考えたときに出てくるもの。 夫として、父として、いつまで当たり前のことを、当たり前のこととして、寄り添ってい

          球脊髄性筋萎縮症の疑い