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ことばにできない「エッセイ集」

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ことばにできない。 出せない手紙の束のようなものです。
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2020年8月の記事一覧

夏の終わりの新年報

夏の終わりの新年報

 今日、27から28歳になった。
昔から、誕生日にあまり感慨の無い方だった。特別な祝い方をされた記憶が強くない。ただそれは、感受性の乏しさに端を発すものだろう。思えば両親や兄弟は、いつも懸命に祝ってくれていた。彼らが贈ってくれた釣竿や、靴作りのための洋書や、巨大な包み紙にぎっしりと詰められた卵形の食玩菓子を、手元に残ったものは少ないがそれでも、喜びとともに思い出せる。反対に、贈ったものはあっただろ

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いつか笑える日がくるさ

いつか笑える日がくるさ

 なぁ。見てるか。ラインでも言ったし、顔突き合わせても言ったけど。まだまだ、俺たちには色んな形で成功が待ってるよ。今は馬鹿みたいにつらいけど。なぁ。まだ負けないよな。まだやろうぜ。そう、ビルゲイツにはなれないが、諦めさえしなければ、いつか笑える日がくるさ。

 友人が、います。正直交友関係が狭くて、数えるほどしかいませんが、それでも時々酒を呑んだり、悩みを打ち明けたり、馬鹿笑いする、友人達がいます

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私について私が語る時、私ができること

私について私が語る時、私ができること

 noteに書き始めて、およそ一週間が経ちました。PV数が、全部集めて600程度になりました。多分自分で50回ずつくらい見てるので、本来のPV数は100くらいかもしれません。それでも、10人ずつくらいの人が読んでくれていると思うと、有り難くって飛び上がりそうです。
毎日、ぼんやりと今日は何を書こうか、、と考えている自分がいます。出来ればたくさんの人に読んでもらいたい。心を傾けてくれる人に届けたい。

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青春のすべて

青春のすべて

 五時半、まだ薄暗い寮の廊下に、一斉に声が響く。”起床ー!起床ー!起床ー!”。直後、総計20室の扉が勢いよく開き、寝起きの中高生が走り出す。我先に食堂に集まり、寮長の掛け声に合わせて、乾布摩擦を始める。どこの地方の方言か今でもわからない掛け声は、”おっせい!おっせい!おっせい!おっせい!”だ。平日の寮は、毎朝そんな風景から始まる。私の暮らした学校は、不思議な場所だった。
岡山の片田舎で生まれた私が

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「命の秤」死ぬべきではなかった貴方について

「命の秤」死ぬべきではなかった貴方について

 "人生"を語る時誰にでも、切り離せない死があるのではないか。年をとると、祖父母、両親、知り合い、友人、連れ合い、そして自分自身に、近寄る死。永遠のお別れは、言葉を交わすのではなく、考えを巡らす機会ばかりくれる。
これまで、数えるほどの死にしか出会っていない。2人の祖父は物心付く前に死んだ。父方の祖父は寸前に、父に"しげちゃん呼んでんか"と告げたという。家族でしげちゃんは私だけだ。だからといって彼

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カンテラを灯す

カンテラを灯す

 記憶がある自分の文章は、小学校一年生の時の作文だった。ばあさんの家で、本を読むために点けてもらったランプが、とても美しかった。その頃の私は宮沢賢治が好きで好きで、彼の文章に出てくる言葉が使いたくて堪らなかったから、ランプと書かずに"カンテラ"、と書いた。先生からは赤字が入ったし、心の中ではカンテラではない、と分かっていたが、だから今でもあの時の作文を、忘れられないのだろう。あの時の"カンテラ"が

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「25の春、彼女は男だった」上

「25の春、彼女は男だった」上

 人生で、本当に滂沱の涙を流したのは、数度しかない。私はまだ27で、あと数日で28になる若者だから、今後何度もそんな涙を流す時に出会うのだろうが、それでもこれまでの幾度かは、死ぬまで忘れられないのだろうとも思う。
初めての涙は、母の貯めた金を盗んで使い込んだ時。彼女がその金を特別な思いで貯めていたのを知った時、自分の愚かさを身を切る程の痛みで知った。涙は止まらず、喉から聞いたこともない声が出た。

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「25の春、彼女は男だった」下

「25の春、彼女は男だった」下

 性は、最近とみに重要視される様になった。頻繁に使うTwitterにも今年に入ってからちらほらと、男性同士の出会いのためのアプリケーションが広告で出てきたりするし、LGBTを公言する公人は増えた。だが頭で理解しても、直面すると理解を迷う時は多々ある。
それまで連れ添った恋人が男性だと理解するのは、かなりの苦しみを要した。私にとって、子供を作る事は人生で最重要の項目に思えていたから、まずそこに苦しん

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