見出し画像

夏の終わりの新年報

 今日、27から28歳になった。
昔から、誕生日にあまり感慨の無い方だった。特別な祝い方をされた記憶が強くない。ただそれは、感受性の乏しさに端を発すものだろう。思えば両親や兄弟は、いつも懸命に祝ってくれていた。彼らが贈ってくれた釣竿や、靴作りのための洋書や、巨大な包み紙にぎっしりと詰められた卵形の食玩菓子を、手元に残ったものは少ないがそれでも、喜びとともに思い出せる。反対に、贈ったものはあっただろうか。思い出すことができない。私は、"良い息子"や"良い弟"ではなかった。
そもそも、夏の終わりのこの時期は、祝われにくい季節だ。学校は夏休みで顔を合わさないし、そもそも暑いから体力を奪われる。誕生日に感慨を持たなくなったのは、そんなことも強く関係していていた。祝われるのが嫌いなわけではないが、祝われない自分は嫌いだから、最初から期待をすることをやめたのだ。SNSの誕生日表示など、とうの昔に消した。

 今年も、有り体な夏の一日として、過ごすつもりだった。冷房の効いた部屋で、普段は買わない麦酒でも開けて、ぼんやりと過ごす。LINEの通知が鳴れば御の字。毎年それで、満足してきた。文字に起こすとあまりにひねくれた私が、今美しい奈良ホテルの一室で足を投げ出し、慌ただしい昨夜を思い出すと、今年のそれは奇縁としか表しようがない。

会社の都合で、三月から東京と大阪を行ったり来たりしていた私はその頃から、一人の女性と頻繁に会うようになった。名を、Aさんと言う。
Aさんは奔放で、がさつな一面と繊細で脆い一面を兼ね備えた、大人子供のような女性だった。食べることが人生の八割と言い切り、私がこれまで決してしてこなかった、並んでまで食べる、ことを教えた。大阪は飯の美味い町だ、と自信を持って言えるのは、彼女のおかげだろう。関西に来てすぐ謎のウイルスに感染し(多分例のアレだ)、およそ一週間高熱とともに呻き続けた時、必死で看病してくれたのは彼女だ。
豪快に笑い、子供のようにはしゃぎ、我儘に振る舞い、真っ直ぐに見て、褒めてくれる。
大恋愛の末の失恋でずたぼろの自棄っぱちになった私は、Aさんのお陰で随分、人間を取り戻した。当然の様に恋に落ちた。

彼女にはそもそも、進行形で同棲している男がいる。五年は経つという。私には、ややこしい関係を引き当てる霊でも、憑いているのだろうか。誕生日を知り、"じゃあとびきり特別に祝おう"と誘ってくれたのは、彼女の方だ。
そもそも、我々の関係は盆前に、修復不可能と思えるまで瓦解した。それを改めて旅行に踏み切れるまで修復し、宿や食事処の目星を付けて準備し、時間をかけて手紙を書いてくれた今日までの苦労は、想像に難くない。それだけで既に、今年の誕生日は特別すぎるほどに特別だった。

 残念なことにAさんは、土曜22日の深夜、ひどい腹痛を訴えてベッドに沈んだ。百年続く美しい奈良ホテルを堪能することはなく、深夜12時から明朝4時まで苦しみ続け、遂に救急車で搬送された。私とAさんが一緒に搬送されるのは、この半年で二回目である。一度目は私が寝台で、謎の熱病に唸っていた。彼女の心配そうな顔が、今でも目に浮かぶ。
彼女は、ストレス性の吐き癖を抱えている。この日のために相当量のストレスを溜め込み、金曜の時点で既に、吐きまくった内臓はぼろぼろだったらしい。朝7時、救急病棟からやっと姿を現した彼女は、魔法が解けた様にやつれていた。待っていた私も、無精髭と目の下のくまで、見られたものではなかった。

 帰りの電車の中でも、ベッドの中でも、彼女はこれまで見せたことのないほど塩らしい顔で、謝罪を繰り返した。とんでもない。謝りたいのは私の方だ。無理をさせてごめん。そして、それでもとても素晴らしい、一番の誕生日を、ありがとう。
毎年、夏の終わりの新年報は、届ける相手も不在のまま夕焼けに消える。今年は、届けたい相手がいる。書き出しはこうだ。
"その後お腹の調子は、どうですか?"

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?