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『読んでいない本について堂々と語る方法』の感想・所感

本稿は、『読んでいない本について堂々と語る方法』の読書感想文のようなものです!
本書の内容に関しましては、Instagramの投稿をご参照お願いします!


まず僕は本書の姿勢に対して、積極的に評価しています!
読んでいない本について語るというのは、確かに意外とやっちゃってますし、特に大学研究者はそうせざるを得ないときが多々あると思います。

だからか、僕に本書を勧めてきた人の大半は、(人文系の)大学研究者でしたね。
それとは別に、有名人だと千葉雅也さんも本書を勧めていたはずです。

本を読むことを生業にしているプロ読書家が推奨するぐらいですから、やっぱり本書で書かれてある内容については、馬鹿にならない重要なことが沢山書いてあるということなのだと思います!

これはInstagramの投稿と重複しますが、あなたも私も皆、人間の記憶に限界がある以上は、「読んだと言えそうな本」でも「読んでいない本」状態になるので、他者の誤読や誤解について寛容に、という点が大事なことかなと思われます。
(この点は私の感想・解釈です)

僕もたくさん誤読してきましたし、今も沢山していることでしょう。
そして、過去の偉大な哲学者も今現在の研究者たちも沢山してしまっているのだと思います笑

でも、それで構わない、それは仕方のない事なんだという一見当たり前の事実を思い返させてくれる本だったと思います。

しかし、他方でバイヤールはこの誤読と言うか、読んでいない本について語ることを「創造的」なものだといって、積極的評価を結論部で行っています。

教育が書物を脱神聖化するという教育本来の役割を十分果たさないので、学生たちは自分の本を書く権利が自分たちにあるとは思わないのです。あまりに多くの学生が、書物に払うべきとされる敬意と、書物は改変してはならないという禁止によって身動をとれなくされ、本を丸暗記させられ、本に「何が書いてあるか」を言わされたりすることで、自分がもっている逃避の能力を失い、想像力がもっとも必要とされる場面で想像力に訴えることを自らに禁じている。

文庫版、272頁引用

つまり、積極的な誤読はある種の創作活動であり、芸術的な行いだと言いたいわけですね。
この主張は、わたしが好きな哲学者であるジル・ドゥルーズと被る点がある気がします。

彼は、過去の哲学者たちのテクストを読み、読んだ哲学者たちの思想についてあれこれと論じた書籍を出しています。(ヒュームや、ニーチェ、スピノザについてなど)

しかし、ドゥルーズは研究対象の哲学者たちが言っていない、或いは、言っていたとしても全くメインの主張ではない言葉を引っ張てきて、論じます。

ドゥルーズ曰く、「過去の哲学者たちが既に言っていることを俺が書き直しても仕方ないでしょ」というスタンスらしく、研究対象の哲学者たちが「無意識に語っている」、或いは、「思考以前のもの」を描いてあげる方がよいとのこと笑 (『記号と事件』)

当然これは、ある種の誤読なわけですが、かなり創造的な誤読と言えば、そうだとも言えそうです笑

なので、バイヤールが本書で言っていることと、殆ど被りますし、僕個人的には嫌いな発想じゃないです!

しかし、ここから私の補足ですが、「読んでいない本について語ってOK」「誤読OK」と言ってしまった結果、「何でもOK、何言ってもOK、くじ引きで本の主張決めちゃってもOK」となってしまうことには、危機感を持っています。

さすがに、何か規範的なものを少しは意識しておかないと無秩序的・カオスになってしまい、創造どころではない気がします。

例えば、バイヤールは大学の先生であり、日々学生たちと接しているわけですが、「先生の本の内容に感銘を受けたので、参考文献に列挙してある本、全部目を通さずににレポート書いてきました!」という人が現れたら流石にバイヤールさんも困り果てると思います💦

恐らく、そのレポートは滅茶苦茶な内容のものになっており、それを許してしまうと、大学システム(主に評価基準)が大変なことになってしまいます。

なので、何らかの形で頭を働かせる活動が求められ、完全な無秩序に対しては、対抗していかなくてはと思います。
恐らく、この点はバイヤールも分かっているとは思います…多分笑

先述したドゥルーズだって、研究対象の哲学者が言っていないことを読み取るということをしていたわけですが、それが意味するのは、誰よりも対象の哲学者について、「言ったとされている部分のテクストを読み込んでる」ことを意味しています。

ドゥルーズも決して、「適当に何でも言ってOK」とは、彼の姿勢を見るに言ってないわけです!

なので、「読んでいない本を語る」にしても、何らかの最低限の規範性は求められるのが、大事なことかなと思います!

これは、バイヤールの意に反する言葉・主張ですが、ある程度の「読む」という行いは求められるというのが、私個人の思うところですね笑

具体的には、以前のnoteで書いた、「脱構築的読解」の姿勢を要すべきではと考えております!(下記リンク)

頭がよくなる「脱構築」思考をお伝え|koten.book (note.com)

以上、ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』につていの感想でした!
興味・ご関心あれば読んでみてください!

Kento(旧:コテン) @知的本のメディア(@koten.book) • Instagram写真と動画

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