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「ガラスの海を渡る舟」 寺地はるな


「前を向かなければいけないと言われても前を向けないというのなら、それはまだ前を向く時ではないです。」



「ガラスの海を渡る舟」 寺地はるな




里中道(みち)、里中羽衣子(ういこ)、2人の兄妹は祖父の遺志を継ぎ、大阪の空堀商店街でガラス工房を営んでいます。

テモトクヨウ



それは、里中道(みち)がはじめて耳にした言葉でした。それと同様にこの本を読んで、僕もはじめてテモトクヨウというものを知りました。


「手元供養」 骨を手元に置いて供養すること。


道はおじいさんに、はじめてガラスのコップの作り方を教えてもらいました。コップの作り方に慣れると、蓋つきの小物入れの作り方を教えてもらいました。

「お前のいちばん大切なものを入れなさい」


おじいさんは、道にそう告げました。


おじいさんが亡くなったあと、道は自分でつくったガラスの小物入れにおじいさんの「遺骨」を入れました。


「ぼくは骨壺をつくりたい」と道は妹に言います。妹の羽衣子(ういこ)はそれに拒否反応を示しました。

なぜなら羽衣子は、ガラスのかわいいアクセサリーや器をつくりたかったからです。骨壺なんかではなく、生活にアートを取り入れたかったのです。


兄の道と妹の羽衣子は、幼い頃から対立していました。

母は道を見ている。いつだってそうだ。

道には「他の人とは違う」というしるしがついていて、だから母はいつもわたしではなく、道の味方をする。


羽衣子は、強烈に兄に嫉妬していました。


羽衣子は兄の言動や行動を見て、発達障碍かもしれないと考えていました。お母さんが診断を受けさせなかったのではっきりとはしませんでしたが、羽衣子は、普通と違った兄のあらゆることを受け入れることができませんでした。


この物語は、兄の道の視点と妹の羽衣子の視点の両方から、それぞれ、かわりばんこに語られています。




羽衣子はなんでもじょうずにこなす。羽衣子だってたぶんそう思っているはずだ。なんでそんなこともでけへんのわからんのと、いつもぼくに言うではないか。


羽衣子

特別な人間になりたい。道みたいに、周囲に足並みを合わせられず見下される類の特別さではなく、みんなが「すごい」と憧れ見上げるような特別な人間になりたい。

(中略)

わたしはずっと月並みな人間だった。おちこぼれでも優等生でもない。何をやらされても平均的にこなせる。けれども突出したなにかをまだ持っていない。

まだ、だ。まだ、さがしている途中だ。自分でもまだみつけられない才能。人より抜きん出て優れた部分。他人よりずっと優れた感性。かならず、わたしの中にあるはずだ。それを見つける。ぜったいに、見つける。


道は、平均的になんでもこなせません。人が普通にできることができません。それを羽衣子は見ていて、いつも苛立っていました。


しかし、ガラス作品においては、道を超えられないという葛藤に苦しみます。

山添さんというお客様が、2人の工房へガラスの骨壺を買いに来ました。


山添さんは、娘の杏美さんが昨年末、先天性の病気で亡くなったことを、道と羽衣子に告げました。20歳でした。


杏美さんは、おしゃれな物やかわいい服が大好きでした。山添さんは、そんな娘を「あじけない白の陶器の骨壺に容れて置きたくない」と2人に言いました。


山添さんの話を聞いて、道は言います。


「必ず骨壺をつくるので何日か時間をください」と。


そんなことを言って「どうするつもりなんやろ」とそばにいた羽衣子は思います。


何日かしてから、山添さんは再び工房にやって来ました。


山添さんは、前回よりもさらに痩せていました。白髪も増えたように羽衣子は感じました。


道は、山添さんのためにつくった骨壺を持ってきます。布包みをほどきます。


山添さんはその骨壺を見るやいなや、娘の写真をバッグから取り出しました。


花びらのようなピンクの骨壺。
首と胴のまわりは白い縁取り。


それは、娘さんが着ていたワンピースです。

「杏美さんはおしゃれな人だった。山添さんがさがしているのはただの骨の入れものじゃなくて、杏美さんの洋服です」


山添さんの白くかさついた手が骨壺に触れ、骨壺をしっかりと抱きしめました。涙がポタポタと骨壺に落ちました。

「生きているあいだに、もっとたくさん、好きな服を着せてあげたらよかったね、杏美」


山添さんはそう言いました。

「もう、泣かないでください」


羽衣子は山添さんにタオルを渡します。

「いつまでも泣くなって、主人にも言われるんです」 

いいかげん、前を向く努力をしないといけないですね



すると

「前を向かなければいけないと言われても前を向けないというのなら、それはまだ前を向く時ではないです。準備が整っていないのに前を向くのは間違っています。」


道は、山添さんに言いました。

「・・・・・・ありがとうございます」

山添さんはゆっくりと頭を下げた。骨壺をしっかりと抱いたまま。


この言葉を聞いたとき、羽衣子は道を認めたのでした。認めざるを得なかったのでした。

認めたくないけど、道にはわたしにはないものがある。

ただ人と違うというだけじゃない、特別な才能みたいものがきっとある。わたしが見つけてないものを、道はすでに手にしている。


相容れなかった2人はガラスの海を渡る舟に乗り、お互いにない部分を補完し合って、人生のオールを漕いでゆきます。お互いに認め合いながら。

祖父は昔、溶解炉の中のガラスを「燃える海」と呼んでいた。そのせいだろうか、ぼくは竿を持つ時、海を渡る小舟が頭に浮かぶ。


道は世間一般に言われている「普通」ができません。でも、世間一般に言われている普通にはできない、人の心に寄り添うことが自然にできました。


このあと羽衣子は道に助けられます。羽衣子も道を支えます。まわりにいる人たちも2人を応援するのです。


いろんな大切なことを、この物語を読んで教えられました。とくに優しい言葉に慰められました。素敵な言葉の数々は、ガラスの作品そのものでした。


それは、とても透きとおった言葉の竿が、胸中のあかあかと燃えるガラス種を巻き取り、明るく、熱く、形を変え、できあがったガラス作品のようです。


それはキラキラと輝いていて、心の中の最も繊細で光の届かない部分まで、ほかほかと温めてくれるのです。



【出典】

「ガラスの海を渡る舟」 寺地はるな  PHP研究所


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