「ラッキー道」 武田双雲
「僕は、一人の人間が「運を使い切る」なんてことは基本的にないと考えているのです。」
「ラッキー道」 武田双雲
大変ありがたいことですが、ごくごくたまに自分の書く字をほめていただくことがあります。
それは決して上手い字を書くということではなく、読みやすいとか、わかりやすいとかという意味で。
字というのは、そのときの自分の精神状態がそのまま表れます。
焦って書いた字というのは、すぐにわかりますし、乱れた気持ちで書いた
字は、そのまま書いた字に出ていると感じます。
僕は昔から字に憧れがありました。上手な綺麗な字を見ると、その人が
表れているようであり、その人をうらやましく思いました。
綺麗な整った字は書けないけど、せめて、「読みやすい字は書けるのではないか?」、そう心がけて書くようにしたところ、ごくたまに前述のように言っていただいたりしまして、そのたびに嬉しく感じている次第であります。
そんな、「人の書く字」が好きな僕が、「これは凄い!」と感激したのが、
大河ドラマ「天地人」のタイトルの字でありました。
「天地人」の小説や大河ドラマも好きでしたが、心を奪われたのが、「天地人」の武田双雲さんが書いた字なのです。
字が生きている。
躍動している。
それでいて内省している。
強さの中に究極の「柔」を秘めているような、それでいてその「柔」や優しさに甘えて近寄ってくる「邪」をその字のオーラで跳ね飛ばしてしまうような、静謐な磁力がはたらいている字だと感じられるのです。
それ以来、武田双雲さんの字を見るたびに見入ってしまいますし、心が躍りました。
ある日のことです。仕事から帰る道中、カーラジオを何気なく聴いておりましたら、ゲストが武田双雲さんでありました。
話している内容は忘れてしまいましたが、話し声が字のごとく、生き生きと明るく、それでいて芯がしっかりとあり、さわやかでずっとお話を聴いていたくなりました。
話の中にもありました「運」のこと。
それが心にひっかかりました。
本屋に行ったときに、無意識の領域に入っていた記憶の断片が、武田双雲さんの本をすばやくキャッチしたのは言うまでもありません。一瞬で視界にこの本が目に飛び込んできたのです。
「ラッキー道」
いきなり冒頭で、双雲さんはこう語っております。
なんと!ご自身でそうハッキリと言えるというのは、相当良いことに恵まれてきたのでしょう。
実際に双雲さんに起こった「ラッキーの数々」の事例を挙げておられます。
僕はこの本を読んで、根本的に自分の考え方が、この「ラッキー道」に反していたとわかりました。まず、考え方を改めなければなりませんでした。
僕が根本的に考えが違っていたのが、「良いことはずっと続かない」と思い込んでいたこと。
良いことがあったら、次に悪いことが起こるのではないか。だから、良いことを素直に喜べないし、嬉しいことがあって喜んだあとも、ふと不安に襲われ、「これで運を使いきってってしまった」などと落ち込んでいたのです。
僕は良いことが起こっても、すぐに悪い方向にチェンジして考えていたのです。あなたも心当たりはありませんか?
双雲さんは言います。
ツキのある人の考え方は、ここが違うんです。この考え方がツキを連れてくるのですね。
なぜ幸運だと思える人が少ないのか。
それは
ラッキーなことが起こる前に、「幸運のブレーキ」をかけてしまっているというのです。
そのブレーキが何かというと、
「不安」と「恐れ」なんです。
人は、何かと不安を感じます。
恐れを感じます。
それは自然なことです。
防御本能でもあるのです。
そう感じて当然の「不安」と「怖れ」をコントロールできることが、ツキを連れてくるものなのではないか。
コントロールできなかったとしても、「不安」と「怖れ」がツキを遠ざける
ものだと意識していれば、かなりそのブレーキを軽減することができるのではないか。
それには、気をつけるコツがあるのです。
「運、不運の違いは、ここにあるといっても過言ではないか」と考えたことがコレです。
その習慣とは、どういうものなのか?
僕が一番効果的だと感じたことが、ワクワクする感覚。
このワクワク感にいかに持っていけるか。
そして、感動できるか。
本や、映画、音楽、芸術、スポーツ、言葉、香り、植物など、外圧で「ワクワク」をコントロールできるものが身のまわりにたくさんあります。
感動できるものをいっぱい味わいましょう!浴びましょう!
好きな人、この人たちといると楽しい、幸せだと思う人と一緒にいましょう!
この本の「双雲流ラッキー習慣」を体験してみてください。
きっと、幸運の波が次々とやってくること間違いなしです。あとはその波に
うまく乗れるかどうかです。
【出典】
「ラッキー道」 武田双雲 光文社
いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。それだけで十分ありがたいです。