544日目(2022/09/14):目的と手段を間違えるな!受験編2/3
おはようございます。シューゾーです。
いつも記事をご覧いただきありがとうございます。
今日は目的と手段をごちゃごちゃにした話の2回目です。
そもそも目的と手段って?
目的と手段がときに入れ替わるのはなぜか?【自分の仕事を振り返るリスト付き】 | GLOBIS 知見録
これを見てくださいw
ということで今日は受験勉強についての目的と手段を書きます。
大学合格が目的だった
実はとある国公立大学を第一志望にしておりました。それも超難関といわれるような所を受験して、みんなをぎゃふんと言わせようと言うことを考えていました。
結果としては難関国公立に通うことはできません。でしたが、公立高校のほどほどに頭のいいところに合格することができたのです。
しかしながら、私自身は国公立大学、それも超難関国公立大学に合格できなかったことに対して後悔をしてました。
それは両親や兄弟が超エリートコースを歩んできたから、自分だけ全然勉強ができない中でやっていた人間だからと、いうこともありました。
とある公立大学に合格したことでよくやったなんて言う話もありました。が、自分にとってはまだまだ途中だというふうに考えていました。
しかしながら、公立大学に通っていたながら、なんとなく勉強してなんとなく通っていたということもあって、大学受験を別の学校に切り替える。何て言うことができませんでした。
これだけ頭の良い人間でありながら、塾のアルバイトとかお金がたくさん儲かる仕事とかに入ることはできず、ずっと派遣のアルバイトをやっていました。
とても退屈でつまらないのを覚えていますwww
本当の目的は?ぎゃふんと言わせたい
今思えばこれだけ勉強していたにもかかわらず、大した国公立大学にも入れず。そこそこの公立大学に入ったということは、私にとって屈辱でしかありませんでした。
私自身、どういうことをしたかったのかというと、そこでもどうしようもないということがありました。最終的に私自身がやりたかったのは、周りをあっと言わせる事だったということに過ぎません。
当時、私は、高校時代は男子校たかったのですが、とにかくいじめにあっていたことを覚えています。
スポーツも何もできない自分ができることと言ったら当然勉強しかなかったからです。
今思えば、その時の我慢強さというのが今のサラリーマン生活に役立っていたのではないかと思いましたが、さすがに、もう最近は生き方改革ということを考えてみれば、今の会社になっていいような気もします。
勉強できるようになれば、周りからいじめられることもなくなる。
周りの人間が私を虐めずに尊敬してくれるだろう。
そういうことを考えてみたら、私自身は今思えば勉強よりかはむしろ勉強以外のことで、人より優れているところが。欲しかったのかもしれません。
それは相手や誰かに買ってマウントを取るような行為ではなく。自分自身が正しいと言うことを思いながらも、それを遠い目で見続けられるような感じになっていくものではないかと。
むしろ目先のことだけを考えず、これから先のことを10年後、20年後のことを考えて動いていけるような感じになって、生きたかったのではないかと思います。
今の私自身はサラリーマン生活を辞めてフリーランス個人事業主になって働いていこう。
そういう結果が出たのだから、もっと自分らしく生きて、さらにそれ自身をもっとうまく活躍できるのではないかと思ったのです。
手段は受験でなくともよかった?
受験でなくとも何かしらで人を見返せたのだと思います。。。
今となっては後の祭りなのですが。。
結論
受験勉強に合格することを目的としては行けません。
3~4か月後に控えている受験生のみなさん。
手段と目的を間違えないようにお願いします!
以上w
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?