#金子修介
[ロマンポルノ無能助監督日記・第38回] 『濡れて打つ』で監督になったばかりなのに『メイン・テーマ』の助監督かよブツブツ・・・
監督になっても「無能助監督日記」は完結出来ない・・・
助監督を6年7ヶ月やって、『宇能鴻一郎の濡れて打つ』(84年2月公開)でやっと監督になったばっかりなのに・・30になる手前のギリギリ28歳6ヶ月で・・それがまだ完成0号(1/24 )の前だってのいうのに・・ダビング終わって2日後の84年1月20日、撮影所で森田組『メイン・テーマ』スタッフ顔合わせだとよ、チーフ助監督だとよ、ブツブツ・・・
一
ロマンポルノ無能助監督日記・第37回[『濡れて打つ』監督日記で完結出来るか? ]
金子修介28歳の映画監督デビュー作『宇能鴻一郎の濡れて打つ』の演出部は、チーフは一期下の池田賢一(27歳)、セカンドは三期下の明石知幸(25歳)、サードのカチンコには新人の川越修(多分25歳)という布陣になった。
山本奈津子は撮影時18歳。
池田とは、小原組でのチーフとセカンドの関係で、良くファンキーさん(小原宏裕監督)に調布のカラオケ店に連れて行かれ、一緒に歌ったりしていたから気心が知れている
ロマンポルノ無能助監督日記・第36回[山本奈津子主演『宇能鴻一郎の濡れて打つ』で監督デビューやった!]
金子のロマンポルノ監督第一回作品『宇能鴻一郎の濡れて打つ』は、83/11/9、小沼組『奥様はお固いのがお好き』撮影中の撮休日に社長室に呼ばれて内示があり、「山本奈津子主演、6日撮影で55分、500万の予算」だと言われ、11/16の最初の撮影所での打ち合わせでは、プロデューサーとして指名された上垣保朗さんが「俺は監督に専念する」と言って去り、2日後11/18に本社に呼ばれると代打の三浦朗プロデューサ
もっとみるロマンポルノ無能助監督日記・第25回[フラッシュバック✨押井守さんとの出会い⭐️パラオエロビデオの顛末⭐️うる星やつら]
今回は超過去の回想から入りマス・・・(Netflixの海外ドラマ形式で)
三鷹高校の3年間では毎年1本、文化祭で発表する8ミリ映画を作っていたので、学芸大に入ったらスグ「俺は絶対に映画研究会に入って映画を作るぞ」と力んでいたのだが、オリエンテーションでは紹介も無く、冊子にも載ってない。当然勧誘もされないし、映研てあるのか?と探したら、あった。
「サークル長屋」というボロボロの建物(戦時中は陸軍練
ロマンポルノ無能助監督日記・第21回[根岸吉太郎監督・鹿沼えり主演『朝はダメよ!』撮影中に『影武者』見る]
僕の日活入社初仕事は、初監督に昇進した根岸吉太郎組のサード。
舎弟として慕っている那須博之さんはセカンドだった。
その『情事の方程式』(78年6月公開)の現場から丸2年が経った。
2年の間に・・・
根岸監督は2作目『女生徒』を、アイドル的な可愛さの新人女優・大谷麻知子主演で、咋79年1月公開し、会社の評判は良かった。
3作目『濡れた週末』は、日活エース女優・宮下順子主演で同年9月公開で、これも
ロマンポルノ無能助監督日記・第19回[日向明子主演『桃子夫人の冒険』撮影中に『Keiko』を見てしまい・・・]
日向明子主演・小原宏裕監督『桃子夫人の冒険』は、アメリカで17年間冷凍され、目覚めた桃子=日向明子が、昨年(78年5月)開港したばかりの成田空港に帰国するところから始まる。
迎えに来て頭髪が完全に後退している旦那の徳一郎(吉原正晧)には最初気づかないが、暫く見つめていると、やっと分かった様子で、「徳一郎さん、ああ!」と抱きつく。
その後、自家用車で空港を出、高速道路上、走行する車の後部座席
ロマンポルノ無能助監督日記・第11回[西村昭五郎監督・赤江瀑原作『蝶の骨』で予告編を作ろうとしたが]
『高校大パニック』の熱い夏のあと、日活入社4本目に就いたのは西村昭五郎監督『白い肌の狩人・蝶の骨』。
小沼勝監督『時には娼婦のように』と2本立で78年9/23に公開された。
撮影は、8/7~9/1のうちの18日間。
撮影中に4日間のお盆休みが入り、2泊3日の京都ロケがあった。
真夏に撮影された訳だけれど、「暑かった」という記憶は無い。
『高校大パニック』の現場が熱かったから、“撮影の温度”が比べる
ロマンポルノ無能助監督日記・第6回[『情事の方程式』撮影中・助監督の殺意とは?]
42年前のことを、これだけ詳細に書けるのだから、女優さんの美しき御姿も微細に覚えてるだろう、とか言われるかも知れないが、正直、ハダカを見てエッチなことを考える余裕なんて、無かったデス。
女優さんは、写真が残っているので、それと照らし合わせて映像的に記憶している。
ナマの記憶で覚えているのは、山口美也子さんのシャワーシーンで、テスト(リハーサル)が終わっても、ボーッと突っ立ってたらしいので、