ロマンポルノ無能助監督日記・第6回[『情事の方程式』撮影中・助監督の殺意とは?]

42年前のことを、これだけ詳細に書けるのだから、女優さんの美しき御姿も微細に覚えてるだろう、とか言われるかも知れないが、正直、ハダカを見てエッチなことを考える余裕なんて、無かったデス。

女優さんは、写真が残っているので、それと照らし合わせて映像的に記憶している。

ナマの記憶で覚えているのは、山口美也子さんのシャワーシーンで、テスト(リハーサル)が終わっても、ボーッと突っ立ってたらしいので、

「何やってんだホラ金子、(ガウン)かけないと」

と後ろから言われて、慌ててタオルガウンを背中側からかけながら、顔色を伺い、
“「早くしてよ 無能助監督ね!」と思われていないだろうか、うう・・その目は、そう思っているに違いない”
と、感じたとか・・・

副題が「オリオンの殺意」で、山口さんの胸に、オリオン星座を思わせるホクロがある設定なので、それをメイクさんが書き入れている時に、まわりのスタッフがのぞきこんで、頭同士の隙間から、自分はホクロにしか目がいかないように、中心から目をそらしていてもチラチラ見てしまうとか・・・

紋子のアパートのセット(川沿いの設定)で、川面の反射を模して作った照明を、亜湖さんの白い肌が、更に反射して、妙にまぶしく感じたとか・・・

ラブホテル設定のセットで、山口さんと愛人のセックスシーンは何度もテストを重ね、その度に乱れたベッドのシーツを直しながら、本当にラブホテルの従業員みたいな気がして来て、
「因果な商売だな」
と呟いてみたが、本当にそう思っていた訳では無くて、その言葉が「自虐的な仕事人」みたいで気に入ったので、言ってみたかったのだった。

この時、麻子のセリフで、

「わたし・・・時々、また来ちゃうのよ」

というのがあったが、何のことか分からず、誰にも聞けないまま・・
山口さんの日活デビュー作『新宿乱れ街 いくまで待って』の意味も良く分からない。いく、とか来るとか・・・

その日は取材が入っていて、記者やカメラマンが大勢、セットに訪れていたが、セックスシーンの撮影を見せるわけでは無くて、撮影前に、ガウン姿の山口さんと根岸監督がベッドの脇で取材を受ける、というものだった。

フラッシュの放列が凄かった記憶があるが、それだけ、この新人監督・根岸吉太郎に対する注目度が高かったということであろう。
「山口美也子がたじろぎ、みなさんを返してからファックシーン」と書いてある。“ほぼ童貞くん”のダイアリーに、“ファック”という言葉が、次第に日常化してゆく・・・

この時のインタビュー記事で、根岸監督は、
「“走ったり、叫んだりするばかりの青春”では無い青春を描きたい」
「先輩の神代さんや藤田さんを一人づつ倒していきたい」
というように答えたのには、なかなか言うじゃんと感心したが、「じゃあ、次に根岸さんを倒すのはオレか」・・なんて思ったり・・初日の忘れ物のことは、その時は忘れている(^ω^)。

この「“走ったり、叫んだりするばかりの青春”では無い青春を描きたい」という言葉は、ちょっと波紋を呼んで、当時の日本映画の傾向を思い返すと、なるほどなと思わせて(確かに、走る、叫ぶ、泣くという青春映画が主流だったので)新鮮だったが、後に『高校大パニック』で日活に来た石井聰亙は、敢えて「俺は、走ったり叫んだりするばかりの青春を撮るんだ!」と言って、日活の新人・根岸さんに対抗心を燃やしていた。

4月25日は初月給で、セット内で全スタッフに、封筒で配られた。
みんなその場で作業を止め、開封して、中を確かめた。
3万7千円・・・
支払われたのは、3分の1だけ。「遅配」である。
チハイという言葉を聞いて、パッと給料のことを思い浮かべる人は、今や少ないだろうが、日活出身者は直ぐに分かる。
なんだよーこれだけかよー、とか不満がセットじゅうに広がって、スタッフとの連帯感を感じた。
根岸さんは、

「俺、金子と同じだよ」

と、笑っていた。監督なのに、入社したばかりのサード助監督と同じ!

遅れたぶんは、5月になってから、二度にわたって全部支払われたので、踏み倒されたわけではいないが・・
日活の経営が危うい、という事が、実感を持って伝わった。
同期の瀬川とは「俺たちが受かったのは、自宅から通勤出来るからだろうか」などと言い合っていた。
「家には1万2千円入れた」と書いてある。

僕ら社員は、毎日、守衛所のところにあるタイムカードを押して、通勤していた。
“ガチャンコ”と呼ばれる装置だ。自分のカードを差し入れるとそういう音がして、出勤、退出時間が記録される。
基本は8時から6時までだったか・・・それ以上は残業代がつくので、月末は残業時間を合算して報告するが、適当に、多めにして申請していた。
遅くまでやっている人に、代理で押してもらって、早く帰る人もいた。
那須さんのガチャンコを押したこともある。
自分もやってもらったかな・・・
(この後、更に経営悪化して、1年後くらいには残業代はつかなくなったが)

撮影8日目に、照明助手の山田茂さんと言い合いしている。

何が原因か分からないが、「そんなことは当たり前なんだよ」と言われ、「当たり前じゃないです」と言い返したら、「当たり前なんだよバカ」と言われ、「バカだけ余計なんだ!」と言い返した。・・・と、書いてある。後で謝っているが。

バカと言われると逆上したらしい。それまでの人生では、滅多に言われなかったからだが、現場では、急に何度も言われてキレたようだ。

「“電話BOXはやらない”と小俣さん(装飾の蔵さん)に誤報して、失敗」

なんで、そういう間違いをするのか・・・電話BOXは、ロケ地の良きところに配置するため、一台のトラックに、それだけを積んでゆく手間が大きいから、持って行ったら、やらないわけないのだが・・

「山本勉さんからも、情けない顔で見られ、トランシーバー役を取られ、がっくり」
どんなことがあったか、想像して下さい・・・想像つくでしょ・・

それでもこの組は、ゴールデンウイークに重なって、休みが多かったので、心も体も、疲れがそれほどにはならなかった。結構、楽していたのだ。

しかも、撮影9日ぶんまで済ましての4月29日には、「新人歓迎会」というものがあり、マイクロバスで修善寺日活ホテルに、先輩助監督たちと泊りがけで行って宴会、車座になって、手拍子で「演歌チャンチャカチャン」を歌ったが、途中で歌詞を忘れ、ウケなかった。先輩たちの冷ややかな視線が記憶にある。
(山本晋也監督の『ポルノチャンチャカチャン』が4/1に公開されていた)

先輩たちは、入社した新人を歓迎する気持ちより、組合の福利厚生費を使って温泉でイッパイ呑めるから来ているに過ぎない・・のは当然だろう。
那須さん以外は優しくなかった。

5月1日のメーデーは、組合から動員がかかっていたが、行かないで映画見た。
吉祥寺東映で『宇宙からのメッセージ』を、吉祥寺松竹で『オレンジロード急行』と『ダブルクラッチ』の二本立て。1日3本は学生の時以来、久々だ。

『宇宙からのメッセージ』は、『スターウォーズ』を見る前であったが、テンポが良くて楽しめた。さすがフカサク。千葉真一はじめ、ヤクザスターたちが宇宙人というより、ギリシャ神話のコスプレしているのには笑ったが。

『オレンジロード急行』に対しては、大森一樹に敵愾心を燃やしたが、原田芳雄が、若者の海賊放送局を探し「海に行ったのに決まってる。アイツら何かってえと海なんだ」というセリフには笑った。

こどもの日の5月5日には吉祥寺で『007私を愛したスパイ』と『ガントレット』の2本立てを見て、8ミリ映画を一緒に作った高校の同級生の女子2名と調布で会って、映画の撮影とはどんなものかを、いい気になって説明、ピザでビール飲んだ。

撮影は飛び石連休の平日で、1日おきに行い、撮影所内の寮に泊まっては早朝出発で、狭山のプラネタリウムなどにロケしている。
オリオン星座が、重要なモチーフだから、夜空にオリオン星座の絵が投射されている映像が必要だった。

5月6日も撮休で、「日活スタジオ祭り」にカノジョを連れて来た。
どんだけ休みあるんだよ、という感じだが・・・
例の「模擬撮影」にはフィルムは入れないことになってガックリしていたが、何も手伝うことなく済んで、物珍しそうにしているカノジョを案内した。

「スタジオ祭り」は、金魚すくいもあったりして、神社の縁日みたいなショボいもので、翌年も開催されたが、3年目は開催したのだろうか?覚えてない。いつの間にかやらなくなった。こんな企画が儲かって、続くわけが無い。

それでも一般客は、800円くらい?の入場料で、初めてなので、まあまあ入っていた。撮影セットが無いステージは開放し、見学出来るようになっていたが、撮影中のステージ内は立ち入り禁止にしてある。

だが、僕はカノジョを『情事の方程式』のセットが組まれてある、常夜灯だけが点いている薄暗いステージに連れ込んで、ベッドに座って何かしようとしたが、拒否られて先に帰られた。

スタッフは移動部の田中じっちゃんだけに会い、老いぼれた喋り方で「カノジョどうした」と言われた言われ方を、良く覚えている。
60代のじっちゃんからすると、21歳のカノジョは可愛かったろうな・・・まあ、綺麗な人でしたから。教師を目指してるんで。 

GW明けから撮影は再開したが、予定よりオーバーしているようだった。
撮影実数を数えると、23日間のうちの15日だった(つまり8日休みがあった)ので、当初より2、3日のオーバーなのだろうか、当初の予定が分からないので、末端の僕には明確なことは言えないが、雰囲気は押している感じで、スタッフ全体も、少し焦っている空気があった。

制作デスクの黒板の前に立ったチーフの上垣さんが、座っている甲斐次長とスケジュールのことを話し合っている背後に、僕は何故かいた。
撮影日数を延ばす、いや延ばせないという話をしていたのであろう、その時上垣さんが、

「あんた、新人殺す気か?」

と甲斐次長に迫った。この言葉は、雰囲気も正確に覚えている。
言われた甲斐次長の固まった表情も。
つまり、日数を延ばさないと、落ち着いてちゃんとした“画”が撮れないから、新人監督としての評価が落ちる、それを「殺す」という強い言葉にしている、ということだった。
その責任をアンタ、取れるのか、と言って脅している。
先輩である上垣さんが、後輩の根岸さんのデビューの為に、自分の保身を考えず、上司に逆らっている、という姿だった。男前。
あとから、助監督で一番女優にモテるのは上垣さん、ということを聞いた。

撮影現場では、根岸さんが上垣さんを先輩として接している姿は見てない・・というか、上垣さんは滅多に現場にいない・・というか、ロマンポルノの現場では、チーフはあまり現場につききりでは無い。

現場で何か問題が発生すると、
「チーフどこに行ってるんだよ」
「食堂でお茶のんでるんだろ」
という会話を、その後、何度聞いたことか・・・
「食堂でお茶のむ」というのが、「サボる」という意味の慣用句になっていた。

まあ、それほど出演俳優の数が多く無いし、ラブシーンなどは助監督はセカンド一人いればいい、ということはあるけれども。
チーフは、こういう時に重い役割を果たす。まさに“助”監督。

根岸さんが、現場で「上垣さん」と呼んだのを見たのは一度だけだった。

それは、戸浦六宏パパが殺され、屋上から死体が落とされるのを人形で撮るシーンの時で、撮影所の近所のマンションで撮影された。

カメラはマンションの下から上を向けて、人形が落ちてくるのを待っている。
スローモーションでの撮影なので、フィルムはいつもの3倍のスピードで周り始めたが、一向に人形が落ちて来ないので、業を煮やした根岸さんが、「上垣さーん」と大声を上げたのだった。

監督が助監督をさんづけしている、ということで、ちょっと「え?」となり、ショックを覚えたというのもある。

ロマンポルノでは、フィルムは、完成尺数(完成した映画の時間)の二倍ぶんしか与えられていない。それ以上は、フィルムオーバーとなる。
だから、このジャラジャラとフィルムが回っているのに何も始まらないというのは、凄い無駄使いの状態で、監督も焦るだろう。

このカットのラッシュフィルムを翌日くらいに見たが、なかなか人形が落ちて来ないので、見ているスタッフは「まだぁ」などとヤジっていた。
やっと落ちて来たのは人形そのもの、スローモーションだから人形だとはっきり分かる・・・
日本映画の貧しさを痛感した。

落ちている死骸の現場検証のシーンでは、カメラマン役で出演した。
これを「ウチトラ」という。「内側」の人間の「エキストラ」だ。
後から大学の友人女子から「映ってたね」と言われ、それが凄く嬉しいものであった。(はっきり言って、この頃、友達は女子しかいない)

予告編は1分くらいのものをセカンド助監督が作るのが習わしとなっていて、ここでは当然、那須さんが作っている。
映画に使われなかった場面とか、NGになったカット、また、予告用に、現場で助監督がスタッフにお願いして撮ってもらったものを繋ぎ合わせ、自分で考えた惹句(画面にスーパーインポーズするタイトル)を載せる。

那須さんは、予告作りが上手い、という評判であった。

会社から監督昇進の決め手となるものは、1)脚本が書ける 2)予告編が上手い 3)現場処理能力が高い ということであろう、という噂であった。

那須さんの同期の堀内さんは、「那須は日活のギャレットだ」と言っていた。

ギャレットは、当時の広島カープの助っ人外人で、名手ライトルと並んで“ギャートルズ”などと呼ばれていたが、“負け試合で特大ホームランを打つ”ということでも知られていた。
ここから、堀内さんは、本編がツマラナイ時に、予告でホームランを放つ那須さん、という意味で言っている。

映画の出来不出来、会社の評判の良い悪い、は、一瞬にして撮影所内に広まる。

那須さんから、惹句を「何か考えてみ」と言われて、何個も書いて那須さんに渡した。

その中から、一個だけ採用されたものが
「新人監督(27歳)・根岸吉太郎の殺意は?」
というものであった。

コンテ(繋ぎ方)は僕が考えたものとは当然違うが、ほぼ最後の方で、
戸浦パパがマンション屋上でゴルフパットをバックスイングするカットにこのスーパーが入り、スイングで打つ瞬間にカットを変えて“バキューン!”と効果音が入り、『情事の方程式』とタイトルが出るという予告だ。
カッコイイ、那須さんのセンスに感心した。

1971年に始まったロマンポルノは、最初の2年くらいはどんどん新人監督を輩出していたが、監督ローテーションのようなものが出来ると固定化し、人気監督の神代さんや藤田さんは他社でも撮るようになり、7年目のこの年は、根岸さんによって、久々の新人の登場となった。

日本映画界全体でも、撮影所出身の新人監督は見当たらない状態のなか、父親殺しのテーマで、根岸さんはデビューした。

2年前76年のベストワン、これも日本映画としても久々の30歳の新人・長谷川和彦監督『青春の殺人者』も父親殺しの話だ。

父親殺しの映画は、それまで天空を覆っていた圧迫感や、良く分からない権威というようなものを振り払う、ブッ飛ばす、破壊して旅立つ・・・というようなイメージを掻き立てる。

『情事の方程式』の敏彦は、自分では直接手を下していないが、父親を麻子の愛人に殺させるように仕向け、結局、麻子も愛人も逮捕され、家に一人となる。

敏彦は、一人ライトプレーンを飛ばす。ライトプレーンは、ゆっくり飛行しながら、部屋の中を回る。
・・・「したたか」というイメージが重なるのか・・・
しかし、犯罪を成就した、というピカレスク物語では無い。
彼には、アンニュイな日常が戻り、紋子のアパートに行き、都会の真ん中を流れてゆく川を眺める。
川面にはキラキラと光の反射がある。
流れてゆく都会の中の川がラストカット・・・

当時は「東洋現像所」という名前だった、今の五反田のイマジカで、『情事の方程式』の0号試写を見た。
撮影所でラッシュを見ている時は、ほぼ白黒だけで見ている。
撮影開始の朝とか、昼食後とかに、試写室にダラダラ入って、前日ぶんの撮影ラッシュを見るのである。
前日のぶんが、毎日見れるとは限らない。現像所の休みがあるので。

ラッシュを見て、「自分がそのカットの時には何をやっていたのか」を思い出し、
「学習せよ」と言われていた。
カラーのラッシュはお金がかかるから、指定して何カットかしか焼けない。
だから、0号で全編カラーで見たのは、非常にカラフルで新鮮だった。

アフレコの後、次の組に配属されていたので、ダビングまでの作業を見ていないから、音楽も新鮮に感じた。若々しい。今までのロマンポルノとは違う・・・って、何本かしか見てないけど。

この0号も、撮影所から出ている「現像所便」という車に乗って行き、帰りもその車で撮影所に帰って来た。
この時、録音部門(日活スタジオセンター)の責任者で、ベートーベンというあだ名の長橋さんと同乗していた。
白髪が似合う、見るからにベートーベンのような深刻なしかめ面をしている。
僕は後部席に座っていた。
長橋さんは助手席で、運転手に、

「いい監督、出て来たね。・・・あと、二、三人欲しいね、こういう監督」

と言っていた。

俺がいますよ俺が・・・と思っていたが・・・言わなかった。

その日は撮影所に泊まり、翌日から田中登監督『人妻集団暴行致死事件』のロケがスタートした。


.・・・to be continued

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