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ロマンポルノ無能助監督日記・第31回[スリランカから帰って『家族ゲーム』で松田優作に呼ばれOKOK]

恒例になっていた年末年始休みを利用してのアジアバックパッカー、1982年は那須夫妻と離れ、大晦日に入国した“スリランカ一人旅”は波乱万丈だった。

着いた日のホテルは決まっていたが、翌83年1月1日からは「何も計画せずにバスで毎日違う町へ行く」というテーマで、バスから降りると、全く初めての、ピーカン酷暑でカラフルな光景のなか、何人もの訳の分からない言葉が話しかけて来て、「が〜ん」という効果音が耳の中で響いているようで、呆然と30分くらいその場にブッ立っている、そのうち、「ホテル、ホテル」と呟きながら、宿がどっちにあるかキョロキョロしながら歩き始める・・・

宿には、だいたい英語が喋れる人がいて、情報が分かって名所を巡り、一晩泊まったら翌日は次の町へバスで移動して、「が〜ん」を繰り返し、それがクセで快感に。「地球の歩き方」は、スリランカに関しては情報不足で役に立たない。

有名なシギリアの遺跡では、イラナイっちゅうのに案内してくれるカタコト英語のヒゲモジャ男がつきまとい、ここは王様のお風呂だとか説明するので、フムフムと頷くと、帰りに、360度誰も見えない平原で「金を出せ」と豹変。まるでマンガのような顔の豹変だったが、ホントに現金持ってなかったので、バッグをひっくり返して虫除けスプレーを渡したり・・・

レンタルバイクを借りるにはパスポートが必要で、預けて気持ち良くブッ飛ばし、停車で倒してちょい傷つけちゃって返す時にそれを見つけられて高額な修理代請求されパスポートを返してもらえず取り囲まれてバスに乗り遅れたが、その前の晩に泊まったゲストハウスの外人好きらしいマネージャーが話をつけてくれて、もう一晩ゲストハウスに泊まって世間話すると「奴らは悪者だ」と言ったが、今から思うと、この半年後に始まった内戦の、タミル人対シンハラ人の民族対立が、背景にあるような気配があった。

最後の1/8には、浮浪児たちに「高いレートで換金してやる」と言われてトラベラーズチェックを騙し盗られ、警察に行ったらニヤニヤされるだけで、空港へ行く現金も無くなり、食堂で客たちにセリで時計を売って、その金で深夜、空港へ到着出来た。1:50発のフライトだった。
この時、「なんだカシオかぁ、セイコーならいいのに」と言われて値切られた。

ということで、1/9に韓国トランジットで成田に帰って来て、1/10にトラベラーズチェックの盗難届を出し(これは後に戻って来た)(現地で使われたらしいが)(警察に届けていたのが幸いした)1/11から『家族ゲーム』のロケハンがスタートして、夜には那須さんにスリランカの報告をして、焼肉をご馳走になった。

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