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さいさんの地方創生 note【能登半島地震が表出させた現在地⑧「祭り」と「未来」の交差点】

「キミたちが定年を迎えるころ(1985年頃)には、日本の自動車はきっと欧米の市場で歓迎されるようになる。キミたちは日本を過小評価しているが、これだけ勤勉で、これだけ平均的な教育レベルが高く、100年も200年も前から多くの分野で競って高度なことをこなしてきた国民はいない。これだけ優れた日本人を、うまく目標を示して動かすことができれば、必ず日本は欧米に追いつく。それが実証できれば他のアジアの国も続く。アジアがいっせいに集団で欧米を追いかける。それをするのは日本の政治家、アジアの政治家の使命だ」(池田勇人 内閣総理大臣)
 
かくして戦後の所得倍増、経済復興を成し遂げ、今に至るまで多大な遺産を残してくれた池田勇人総理の言葉から。

しかし、この国の行政やメディアにおいては、今も「何も知らない」状態で主観的過小評価を下す・というマインドセットが根付いています。そして、その考え方は国民にも大なり小なり浸透しています。
 
池田勇人総理に学ぶべきところの一つには、その長所にフォーカスし、その長所がより早く、より大きく花を開かせるように物心両面で環境を整えたこと。これは個人においても組織においても重要な、王道の支援の在り方です。だからこそ「避けたいシナリオ」ではなく「達成したいシナリオ」が実現化します。

もし、能登半島においてこの「長所」に目を向け、その潜在能力(ポテンシャル)を発揮させていくとするならば、どんな未来、どんな状態目標を描くことが出来るでしょうか?
 
まず隗より始めよ・とした前回はこちらです。 

☆「祭り」が写し出す「Being(あり方)」

この期間、能登半島に根付く祭りの文化。この存在が「鍵」となってきそうなことは、大なり小なり関わってきた人々には肌感として感じられていることだと思います。

僕自身はこの祭りを語るだけの背景はありませんので、そのものに対して何かここで断定しようとする話ではない。そこはまず確認していきたいと思います。ただ、僕自身の記憶と体験による青森県・ねぶた祭(うちは両親が青森出身で)等を近い補助線として、仮説へのアプローチをしてみたいと思います。

そもそも「お盆」と「祭り」という掛け合わせの存在は、私達日本という国の中でどんな役割を果たしてきたのでしょうか?

と問うた時に、よく「コミュニティ形成の為」という分析を見ます。が、僕がこの解は表面的であり、本質的ではないと感じます。なぜなら、義務や強制によって「祭り」を行っても、=でコミュニティが勝手に形成されるわけではないからです。

「祭り」という話をする多くの言葉は、その本番における盛り上がり時間帯だけを「祭り」としています。しかし「祭り」とは準備があり、本番後にも片付けがあり、継承があり、次の準備へと紡がれ続けていくもの。
 
ですので、それっぽい本番だけをやろうとしても持続的にはなりえず、こうしたプロセス全体の設計や関わる人々が主体的になりうる「像(画)」があり、自分以外の誰かに伝えたいと思えるだけの熱量ある体験が伴うこと。

これら全てが「祭り」です。

そして、この「祭り」には様々な世代の参加者それぞれに様々な「体験」の価値が付帯しています。僕自身の体験でいえば幼少期に観覧席から跳人と呼ばれる踊り手のお姉さん達から浴衣につけている鈴をもらい、一緒に見よう見真似で跳ねる時間をつくってくれたシーンは今もぼんやりと覚えています。当然、こうした体験は自分が踊り手になっていく動機になるでしょうし、大きなねぶたを引いていく男衆の熱気には「混ざりたい」と思わせる男の子の気持ちに刺さるものがあるわけです。

何よりも、昭和という時代にこうした日常の中にある非日常の日が貴重であったということは、もちろん指摘できます。そして、この「祭り」という非日常において重要なことは、地域で参加する全員が主役であるということ。ここは、とても大事です。

ディズニーにしてもUSJにしても非日常の体験は出来ます。しかし、私たちはお客様であり、金銭という対価と引き換えにこの体験を得ています。ですので、お客として与えられた何かが期待通りかそうではないか・という判断になるわけです。

しかし、こと「祭り」においては全て自分次第です。どのポジションで何をして、何を選択するのか、自分の幸せな時間を自分が作る。ここが重要な違いです。つまるところ「祭り」には自分の人生やその生き方自体も私たちは重ねているところがある。そんな「場」であるともいえるのです。

☆「財源」Vs「存在意義」

そして今、この祭りと行政の間で各地もめていることと思います。お金がないからやりたくない行政サイドとやろうとする民間サイドの対立です。
 
以前にも触れたことがありますが、ロサンゼルス大地震の際にアメリカ大統領府からは「被災しなかったエリアは存分に盛り上がって経済回そう! そのお金でロスを復興していこう!」という主旨のメッセージが出されました。そのうえで復興の最初に建てられたのはシアターでした。老若男女誰もが一緒に楽しめて、共に食事が出来る場所を最初に戻したのです。
 
しかし、日本の行政府では何でもかんでも「自粛」「忖度」「土下座」といったお代官様に平身低頭するような態度を被災エリアの人々に求める・かのような圧力をみせます。震災後に最初に復活したのはお役所の建物で、その次がパチンコ屋でした。ロスの事例を元にこうした文化的施設を求める声も多かった(ぴあの経営者さんとか本当に頑張ってくれていた)のですが、行政サイドは「遊びの施設なんか理解されない」と言い張って、まず自分達のの庁舎だけは最速対応。そしてその行政が他の部分でもたもたしている間に、土地を買い叩いたパチンコ業者達が支援金をもらっている被災者の財布を狙って進出してくることになってしまった・という結果に。
 
東日本大震災でもそうでしたが、お金がない、人手がないとやらない理由をつけて、あわよくば行政にとって負担の大きな「祭り」そのものを失くしてしまいたい。そんな思惑も透けて見えたりするわけです。
 
けれど・です。
本当にこれ「お金」だけの話なんですかね?と。

全てが「財源」から始まるならば、人口減少によって何かを切り捨て続け、最後に全てを失い、消滅する。そんな未来に向かうだけなのではないですか?と。

行政とは誰のためにある組織なのでしょうか?
行政が守る地域の未来は、どんな道のりで描かれているのでしょうか

これも予測として触れてきた通りで、既に人口減少加速化のゴングは鳴りました。そしてこの10年来「コミュニティは育まれるもの。作ったコミュニティは脆い」という証明があちらこちらで証明されてきました。
 
あとから人をコミュニティという名ばかりの行政フレームにはめたとしても、人は生まれず、育たず、流出するだけです。地域の未来の為に本当に大事な物。本当に優先すべきは何か?を今だからこそそこに残る人々と対話をしなければいけません。

「祭り」という存在を今の時代にどう据えていくか。

数十年後、確実に「命運のわかれたところ」と呼ばれることになるでしょう。

*続きます!


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