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さいさんの地方創生 note【能登半島地震が表出させた現在地⑧ 正しき温故知新】

2040年代からは、その東京が人口減少のもっとも厳しいエリアになり、少子化で地方からの流入も減少し、財政的にもより厳しいことになることはマクロでもう見えています。そんな10年後、20年後の為にも、この能登半島をどのように時代に適応した Re design をしていくのか。誰が、誰と、何をして、どんな暮らしを営んでいくのか。それを自助だけでもなく、公助ありきでもない、本当の共助でつくりあげていくのか。

個人が主役になり、夢の実現や再挑戦がしやすい社会

その環境を作る為にいかに政策を起こし、予算を確保し、規制を緩和、撤廃していくのか。その為に「公」が優先順位を変更し、機能していくことを期待してやまないわけです。

とした前回はこちら。

今回からはその具体をイメージしながら進めていきたいと思います。

☆「挑戦」する人とは?

これまでのいわゆる「地方創生」というカテゴリーでは、ローカルは都会(既得権)の実験場ともいえる有様を示してきた・といえるくらい散々な結果。その屍が累々とよこたわっています。

以前にもふれたこちらの大規模なバイオマス発電所では、東京大学や信州大学といった国立大学の有識者が入り、大手電力会社が入り、なのに基本的な燃料計算すらグダグダで、わずか数年で65億の負債を抱えて沈没。誰も責任を取らないこうした有識者達や都会の企業の身代わりであるかのように、長野県の優良企業が生贄同然で散っていきました。

そんなことが、日本中で起こってきたこの20年、30年であったわけです。

そして一方で(株)四万十ドラマや一平ホールディングス(九州パンケーキ等)に代表される地域商社のような企業やキラリと光る幾多の個人商店が生まれてきた20年、30年でもありました。

この両者の差はなにかなと言えば「責任」。
その言葉にこそ、違いが集約されてくると思います。

先の事例に限らず、東京に本社があるような企業は無論、コンサルや大学の先生方、地方行政における担当部署やサインをした方々で、自ら「責任」を引き受け、矢面に立ち、失敗に際してもその「責」を進んで引き受けようとする。

そんな人はまあ、見当たらないわけです。

そして相反して、地方から民として成長した方々はこれら「責任」を正面から引き受ける覚悟があり、またそれにふさわしい行動、態度を示している。本当に対照的な両者と言えるでしょう。

その意味でも、能登半島から生まれる最初の条件は「責任」というモノサシになると思います。そしてこの「責任」という言葉は、口先だけで信じられるものではない。やり続ける「行動」によってこそ示されるものだということは忘れないでおきましょう。

☆「温故」と「知新」を二項対立させない為に

そのうえで、地方がよく対立させてしまうこの「温故」と「知新」という二つの言葉を融合させていく。この部分についてまず振り返っていきましょう。

行政内でも「国」とかそれに近しいコンサル達は「新技術」とか「新手法」といったものを「正解」として地方に売ろうとします。そして地方側の行政サイドでもこうした救世主が自分達を救ってくれて楽になれると考えたりしています。ところが、こうした押し付けられた「知新」は、住民の共感や理解を得られることなく「どこかで役所がまた税金の無駄遣いをして」とすら言われ、そして、その実験がうまくいかなかった試しはないことは触れてきたとおりです。
 
一方で、地域の中で何か新しい取り組みをしようとする市民の誰かがいると、行政サイドや地方の重鎮たちは、今度は手のひらを返して反対することがほとんどです。昔ながらのやり方を変える必要はないとか、若者しか利がない政策はダメだとか、地域の歴史や文化、伝統(という名称の自分達)を尊重しろとか言い出したりします。こうして地域のニーズから生まれるべき本当の「知新」を「温故」を盾にして潰す。邪魔をする。これでは地域が良くなるわけもありません。
 
真の伝統とは、受け継いだ伝統に+1をして次に受け渡しているとも言いますが、こうした「温故」における地域が守ってきた良い価値、良い文化を内在した人物が+1を実行すること。そこに本当の温故知新があります。
 
知新だけでは成立しませんし、温故だけでは衰退するだけの結果が待っています。本当の公務員とは、所属する「場」の歴史、背景に通じ、どこに誰がいるかを知り、新しい世界への知見もある「理解者」であるべきでしょう(そんな公務員を育てるための学びの機会もまた、この国には不可欠だと思います)。

☆一目ぼれよりも、育まれていく「愛」こそが本物

ですので、受け入れ側。特に「公」を預かる行政サイドにおいては、かっこいいプレゼンや偉そうな肩書を持ってきた人にやらせる(一気のリソース投入)のではなくて、地域の中でなんとなくからでも実際に小さくはじめていく人々に分散投資をしていく。そして、その一つ一つを可視化、具体化し、オープンに見えるような状態を作り、「事」を育む中でお互いの信頼や生まれてくる関係性を確認していく。
 
そんな成長への設計を最初から認識しておくことです。
 
これまで地方サイドが繰り返してきたことの多くは、ひとめぼれマッチングイベントをやって、狡猾な詐欺師に騙され、捨てられていく人と同様。
最初から「詐欺的」目的で自己利益にしか興味がない人にこれでもかと(税を)貢いで、その詐欺師的な輩はより良い条件の相手(自治体)が現れたり、ネタ切れになればポイっといなくなっていく・・のと同じこと。

その損失はまた地域に暮らす人々の税で補填されていくことになるわけです。悪いやつに騙され続けるような自身のマインドセットこそ、まず最初に変えなければいけない。まず共有しておきたい部分といえます。

☆逆にすればうまくいく・・かも!

というわけで結論から。これまで失敗してきた国や大きい会社、新技術や新手法、前例事例といったワードから生まれてきた屍達は、手段が目的化して生じた事実(FACT)です。薬を飲めば風邪が治るという論理と一緒で、何かをやれば地域が良くなるというマインドセットが引き起こしている「病」と言えるでしょう

ですので、この「病」を治そうとするならば、同じ考え方に基づいた、同じやり方、同じ行動をまず変える。違う考え方、違うやり方、違う行動で違う結果を出さなければいけないわけです。

その意味で地方行政こそ、これまでの国や大きな会社に頼る、盲目的に信頼するといった「知新」で市民を上書きするような出発点、やり方を改める必要があります。そのうえで、地域の中の小さな「個」を丁寧に育んでいく。根を張った「個」と「個」をつないでより強く育てていく。そのプロセスにリソースを投資する(国の補助や施策、企業人材等)といった手順をまず基準にしてみる。それが今回の流れでした。その意味でも、
 
まず隗より始めよ。

この言葉を実践しましょう。中国の春秋時代に最弱と呼ばれた北の果ての「燕」が、時代の中でただ一度だけ覇を唱えた最初の言葉です。
 
ただの一人に対して王自らが謙虚に接し、学び、応分以上の対価を与えるならば、その話が全国につながり、志ある、才ある人々が辺境の燕国に集って来る。人材から集め、その人材で状況を一変させた。
 
この言葉が奥能登再興の第一歩として、まず浮かんできます。

*続きます!

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