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コーチの社会分析 Note【予測されていた墓標。65億の負債で倒れた発電所。組織の誤った意思決定はなぜ起こるのか?】

いつかなるとは思ってたけど、もうなの?
 
今日はこの新たな墓標(詳細は上記リンク、木下さんの記事等をご参照ください)。わずか5年で65億の負債を計上したこの塩尻市のバイオマス発電所について一考してみたいと思います。主体企業が県から20億超の補助金つけてもらった稼働の初年度で既に債務超過だったとかヤバすぎん!?の話も出てきましたね。

☆希望の太陽は僅か5年でいかに滅んだか?

26%出資の一社グリーンファイナンス機構が65億の出資額になっていますので、全体で推計約260億を調達して始まったビッグプロジェクト。当時は下記リンクのように「期待しかない!」というメディア報道も多かったですし、塩尻市なんかはこの5年の間に視察受け入れとかもして「先進事例!」「モデルケース!」ってやってきたわけです(視察して信じてきた方々からすると、今、絶望しかないやつじゃ・・)。

さて、僕が当時この話をドヤ感だした中の人から聞いたときに感じた最初の感覚。それは「採算合うの??」でした。FITによる売電が売上げで利益の一本足打法。他の付加価値や収益モデルの構造化といったものがまったく無視されていたことには不安しかありませんでした。当時忌憚なくその方々等に指摘させて頂いた点は、まず

①「本当に供給できるの?」です。
「熱利用だと、投入するチップの総エネルギー量に対して80%のエネルギー効率が得られます。これをもし発電に使うとすると、エネルギー効率は20〜30%まで落ちるんです」「バイオマス発電で採算性のある規模は5,000kWだと言われていますが、その規模で発電するためには6万トンの原料が必要なんです。下川町で用意できるチップの量は年間3,500トン程度で、まだ集められそうな分を足しても倍の7,000トンが限界でした。つまり、6万トンなんて絶対無理なんです。そうすると、発電はこの地域の資源だけではできないということになります」

僕は北海道・下川町のこのストーリー、マインドセットとエビデンスを当時既に学んでいました。資源を最も有効利用できる方法を検討し熱利用に辿り着き、地域資源を循環させ、持続可能な地域づくりを目指していた下川町。
 
一方のこちら塩尻のバイオマス発電所は9500万kWhを予定していて当初約18万トンの原料を予定していました。毎月1万5千トン以上、つまり1日500トンの搬入が通年でなければいけません。特に【燃料には、主に長野県内の山林に残置されてきた間伐材などの未利用材、木材加工施設から発生する製材端材を用いる】としていましたので、塩尻エリアに毎日500トン(4tトラック125台以上。つまり、毎日4tトラックが5分毎に荷下ろしをして10時間列を作り続けている状態)の供給を可能とするリソース(加工施設の残量、間伐材と切る人、運ぶ人、道具、車両のインフラやそれに見合った対価、人件費の支払い等)が本当にあるのか?出来るのか?という部分で甚だしく疑問があり、僕はリスクだらけと感じていたわけです。
 
*加えて言うならこんなペースで市有林、県有林切っていくとして、山と森の環境をどう守り、育んでいくつもりなのかという環境アセスやSDGs視点。そこが「どうなのか?」という部分も明確ではない。

こちら環境省(2022年)の資料でもわかる通り、バイオマス発電には

・急激な出力調整が難しく,年間稼働時間が一定以上である必要がある
・安定した燃料供給および燃料の品質保持が必要
・燃料の調達場所によっては運搬による環境影響がある
・燃料使用後の灰の処理が必要
・バックアップボイラの導入や設備導入・運搬コストが必要

といったデメリットを予測し対策を立てる必要があります。塩尻市のこちらでは昨年、一昨年くらいからちゃんと稼働していない話が見え隠れしていましたので、やはりという印象です。こうしたリソースの試算が甘かったとか危機予測が出来ていなかったいうよりは、この箱モノを作る為にこさえた数字で「作ったんだからやるしかない」という特攻状態だったような状況すらあったのではないでしょうか? とも感じます。そして、

②「なんでこの大量の熱を無駄にしてんの?」

も当時から指摘していたところです。上記データにも書かれていますが、バイオマスは従来の化石燃料に比べエネルギー密度(体積あたりのエネルギー量)が低いので、高温を必要とする発電よりも低温の熱利用の方が向いているという特性があります。バイオマス発電設備の廃熱を利用することで熱電併給型のシステムにすることも可能だった筈です。
 
しかし前記のような売電一本足打法。当時僕が伺った話では、バイオマス最大の長所である「熱」をただ捨てていく状態になっていました。熱利用のマネタイズに対しての具体や企画もなかったようでしたので、結局は、そのまま売電頼みの利用を続けていたのではないでしょうか。
 
こうした集積による大きな発電所をつくるのではなく、下川町のように小規模分散型で地域の実情、実態に合わせたバイオマスや熱利用を複数展開するプランはなぜなかったのでしょうか?
下川町一橋地区の「全体で見ると子どもが増え、地域を支えてくださる40代・50代といった世代が増えている」といったことが起こったり、熱供給による新しい街やエリアが「灯油なしで暮らせる街」というブランドで移住先として人気を得ていた可能性だってあったかもしれません。
 
こうした別プランはなぜ検討されなかったのか? どうしてこの発電所が最優先の計画になったのか? このプロセスは当事者のみぞ知るということでしょうが、ここでひとつ指摘しておきたい部分があります。

☆集団的浅慮(グループシンク)

心理学におけるこうした集団的浅慮の特徴として

・他の案が検討されない
・目標を検討しない
・情報収集が乏しくなる
・都合の良い情報しか用いない
・代替案を検討しない
・その案が検討されるコストやリスクが検討されない
・非常事態での対応策を考えない

といったことが言われています。これは福島原発の重大事故における報告書で東京電力に対して指摘されたことでご存じの方もと思います。私見としては、民間以外にも長野県、塩尻市、信州大学、各電力会社等、多岐にわたる関係で構成された本件においても、このグループシンクの状態にあったのではないか・・ということを感じています(これらは墓標共通パターンといえそう)。

特に心理的拘泥現象。リーダーや権力のある人物が判断したり、意欲的である場合に「NO」と誰かが言ったり、リスクを指摘することが出来なくなってしまう状況だと、こうした状態にはなりやすいでしょう。ヒエラルキー型組織で構成されるこの国では官民問わずに日常的に起こっていることです。
 
こうした状況を回避するためには、直言を厭わずという人物(評論家ではない責を負える人)がリーダーの傍らにいて評価される。あるいは忖度、利害のない第三者による評価を受容する。また、そもそも組織として風通しが良く、全体論でオープンに対話が出来ている状態をつくる・といった行動、実行が不可欠です。
 
そんな組織や状態を目指す方は、ぜひ支援させてもらいたい!と思いつつ(ぜひご連絡ください)、今日はここまでとしましょう。
 
長くなりましたが、おつきあい頂いた方、ありがとうございました!




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