ミウラさんの写真と、芭蕉の足跡
このあいだ、陸前高田に訪れたときのことを書いた。
そのときのことを、もうすこし書いてみたい。
ミウラさんの写真を辿る
陸前高田に滞在している数日のなかで、ミウラさんが”くらしてん”で撮った写真の場所を案内してくれた。
わたしたちが、ミウラさんの写真の風景をみてみたいとリクエストしたのだ。
なるほど。朝起きて出勤しながら見ているのは海は、ここからの風景か。
作業の合間に、おばあちゃんたちと話しながら休憩しているのは、ここか。
くらしてんで記事にしたミウラさんのくらし。
そのくらしのなかの場面を辿る。記事で読んだ場面々々が繋がっていく。
"あの"写真と、照らし合わせながら実際に歩くという体験が、それはもう興奮するのだ。
ミウラさんとは、これまで関わっている時間はそれなりにあるのだけど、彼女のくらしをたどるという数時間のなかで彼女のこれまでにしらなかった面を知ることができた気がした。
そして、もし私たちがミウラさんを知らずに、そして彼女のくらしを知らなかったら、きっとこの風景はただ通り過ぎるだけだったのか、と考えるとなんだか不思議な感じがした。
芭蕉の足跡
実は、陸前高田に行く前に、少し用があって宮城県の松島に寄った。
時間に余裕もあったので、とりあえず松島の日本三景となっている風景をドライブの目的地とした。
普段の東京でのせわしなさから切り離されて、ゆっくりと時間と風景が流れる。
2~3時間ほど走って、夕方頃、松島に着いた。
実はそれほど期待していたわけではなかったのだけど、着いてみると、さすが日本三景というような風景に見とれてしまった。
夕日に照らされた海にはたくさんの島々が浮かんでいて・・・とか、今さら僕が拙い文章で付け足すまでもなく、松島の景色は文句の付けようもなく素晴らしい。
だけど、松島が素晴らしいのは、その稀有な地形による美しい風景のみによるものではない。そこに芭蕉が訪れたという事実が、さらに追い打ちをかけてくるのだ。
芭蕉は、"奥の細道"の旅で、
江戸を出て、東北をまわり、北陸まで歩いて旅をしながら、各地に俳句を残していった。
ちなみに、芭蕉は松島を訪れたものの、美しさのあまり俳句を詠むことができなかったそうだ。
各地に残された句碑を目指して芭蕉の足跡を辿る旅はきっとただ美しい風景を見るだけの旅よりも深い体験ができるだろう。
芭蕉が奥の細道の旅のなかで、同じ場所で同じ風景をみて佇んでいた。
そう思うと、さらにぐっと風景に引き寄せられるのだ。
風景、その背景にあるもの
ミウラさんの写真の風景を辿るという体験は、松島の風景とその背景にある芭蕉の足跡に思いをはせる体験に似ている。
その二つの背後には、それぞれのストーリーがあって、それを知っているわたしは、もはやそのストーリー抜きで風景を見ることはできない。
松島の風景の背後には、芭蕉の足跡があって、
陸前高田の風景の背後には、ミウラさんのくらしがある。
だけど、この二人の違いは、
芭蕉は歴史上の人物であって有名人であり、
ミウラさんは、”普通”の人であるということだ。
くらしをたどる旅
前にも、"有名であることへの違和感"というnoteを書いた。
わたしたちは、名のない人に光を当てたいのだった。
地方へ行って、そこにくらす人と話をして得られるのは、この人たちこそがまちをつくっているのだという感覚だ。
地方の主役は、"そこにくらす人"である。
歴史上の人物でも、ましてやたまにくる芸能人やクリエイターでもないのだ。
そして、そこにくらす人のくらしを巡る旅は、面白い。
そもそもわたしたちは、移住を考えている人に向けてこのメディアをはじめたのだが、今回の旅で、思いもよらなかった反応があった。
"くらしてんの記事をみてあそこに行ってみました"という声だ。
遠く離れた都会からだけではなく、その地方を訪れる人や、その地方にくらしている人も、"あの人のくらしのなかの風景"をみてみたいと思う。
そして、その地方をより深く知るきっかけになるかもしれないという可能性がみえてきた。
もし、わたしたちのサイトが色んな地方に浸透していって、芭蕉の足跡を辿るのと同じように、ミウラさんのくらしの写真やほかの皆さんのくらしを辿るような体験が広がったら、地方はもっと楽しめる。
そんなことを思った。
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