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悪夢日記 三 『交通事故』

 異様に混んでいるコンビニを出た。半袖を着ているので夏であるようだ。蒸し暑い。コンビニの目の前には片道三車線の大きい交差点があり、車やトラックが行き過ぎていた。

 赤信号の横断歩道の上、ひとりの女子高生がいた。落し物でもしたのか、あたりを必死に見まわし、しゃがみこみ、また何かを探す仕草で、その横断歩道に交差する車線では交通渋滞が起きていた。周りの人たちは始めこそ、危ないから早くこっちに来なさい、だなんて心配していたけれど、そのうち馬鹿な女子高生だ、と興味を薄れさせていった。

 私もその光景に背を向け、歩きだしたところ、なにか固くぶつかる音で思わず振り返ってしまった。

 女子高生が血濡れで倒れていた。制服を着た華奢な体は私が最後に見たまま、白く細い腕は血の海にそっと添られ、その枝と熟した果実を見るような光景に、醒めるような美しさとはこういうものなのだろう、と冷やかな分析的思考を持ちながら、その煽情的な光景に、私は目を奪われていた。体は交通事故によって死を得た体と思えないほど綺麗だった。顔は無くなっていた。


(記憶の欠如)


 仄暗いバーにいた。横に座ってきた人と話していたのだが、突然に椅子を引かれ、床に落ちた私に騎乗し、罵倒の言葉を叫んでいた。ただ、私にはその人の話す言語がわからず、ただ怯えるばかりだった。

 カウンター越しのバーテンダーと目が合い、助けを期待したけれど、私の姿に気づいた彼女は大急ぎてこちらにかけ寄り、この場面に乗じて私を蹴り始めた。ああ、それだけではない。どこにいたのか、次々と老若男女を問わず人がやってきた。罵倒され、蹴られ、踏まれ、唾を吐きかけられ、私は声が枯れるほど助けを求めた。

 誰の言葉も理解できなかった。先ほどまではちゃんと意味を解し、また自分で言葉を操り会話ができていたはずなのに。今はただ、人混みがつくる言葉の群れのような雑音だけが薄暗いなかに響いていた。

 少しばかり力の緩んだ隙に私は起き上がり、勢いよく店を出た。廊下が細く続いていた。天井の橙の明かりは弱く、暗い廊下の終わりは見えなかった。誰か、助けてほしい。それだけを考えていた。

 強い力でねじ伏せられた。バーからの追跡者たちの声がする。必死の抵抗で足にあたるものすべてを蹴り飛ばし、逃げた。そしてまた追いつかれては、たくさんの酷いことをされた。廊下に終わりはなかった。

 走りつづけ、左右にいくつかの扉が現れた。どこかに入ろう、どこか、どこか、と息を切らしながら思考していたところ、電話のようにフィルターのかかった声で

「 ———— 」

 と、聞こえてきた。その声が聞こえた部屋の、横開きの戸の、畳の部屋に逃げ込んだ。

 物音を立てず、息を殺していた。私を探す声と激しい足音たちが通り過ぎ、静かさが戻った。

(いつの間にか三人称視点に変わって、私の視点は中型犬くらいの位置にあり、私は自身の脚を部屋の隅から見ている)

 私は言葉を失っているようだった。部屋の押し入れの中にあるものから目が離せず、静かさを痛覚で感じていた。嬌声や足音も遠くから聞こえていたけれど、心は少しもそよがず、ただ、押し入れを前に立ち尽くすばかり。

 私の視点からはなにも見えない。しかし、なんとなく、なんとなくだけれど、その押し入れには交通事故死した女子高生がいるような気がした。




 ——夢であった。




 

 

 

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