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【エセ名言】間違って「生まれてしまった」名言

インターネットをしていると、我が物顔で人の名言を使っている人いませんか!?!?私は4憶人は見てきました。その中で、名言の使い方が間違っている人も大量にいました。

そんなとき、心の角度が悪いとスルーできずに「は~コイツなんかいってんなぁ!」とつっかかっていきたくなることありませんか。
自粛期間で外出できなくて虫の居所が悪いのか、最近心が黒い影に浸食される瞬間があります。困りました。

このnoteでは、一般的な意図とは異なる広まり方をした「エセ名言」を紹介します。そして、インターネット上に8憶人はいる「怪しい名言使い」に出会ったときに退治できるようにしましょう。

「結婚は人生の墓場」

フランスの詩人、シャルル・ボードレールの言葉です。

現代の使い方として、よくあるパターンは、
既婚者が独身の若い人に向かって酒を呷りながら言い放つ

「いいかお前、結婚なんてするもんじゃない。結婚は人生の墓場だ。」

という感じですね。
有名な解釈は次のようなものです。
「結婚をすれば、自由は時間もお金も、交友関係も手放すことになるだろう。結婚なんてしたら人生終わりだ」
しかしこの名言、立派なエセ名言の仲間です。

そもそも、ボードレールの名言ということにされていますが、彼の現存する著作物に「結婚は人生の墓場」にあたる言葉は残っていないと言われています。その代わりに、彼の結婚に対する意見で、残っているものは、

「素性の分からない相手と誰彼かまわず肉体関係を持つような自由恋愛はやめて、まずは体を清めなさい。そして、墓のある教会で貴方が愛する唯一の人と結婚しなさい」

というものです。当時梅毒が流行していた18世紀のフランスにおいて、ふしだらな交友関係を辞めて、純愛を貫くように説いています。

これが日本語にどのように訳されたら「結婚は人生の墓場だ」となるのでしょうか。私は不思議でたまりません。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

プロイセンの政治家、ビスマルクの言葉です。

歴史を教える先生は、寧ろこの名言がエセ名言であることを知っている人が多いので、あまり引用しない気がします。
現代における使い方は、読書などを人に薦めるときに、古典の名著を読めオジサンが好んで言っているイメージです。あとは、政治について、ひとこと言いたいオジサンも、自分の主張を正しく見せるために引用しているイメージがあります。

しかしこの名言もまた、立派なエセ名言の仲間です。

この現代の解釈が誤っていることは、原文を直訳すれば分かると思います。

「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」

現代の解釈の大きな誤りは「歴史」に学ぶという点です。「他人の経験」という言葉が「歴史」という大きな言葉にすり替わっています。

直訳を踏まえた解釈は、
・自分の経験から学ぶ→愚者
・他人の経験から学ぶ→ビスマルク(賢者)
となるのが妥当です。

自分の主観が入った経験よりも、第三者的視点で見られる他人の経験から学びを得なさいということです。
この解釈は「人の振り見て我が振り直せ」ということだと思います。


「健全な精神は健全な肉体に宿る」

古代ローマの詩人、ユウェナリスの言葉です。
彼の出版した『風刺詩集』に登場します。この本は、タイトル通り、社会に対する風刺を綴ったものです。

現代における使い方は、
運動や睡眠などの健康指導の人が「体は資本」の次によく言っている言葉だと思います。

しかし、社会に対する風刺の本からこんな名言が出るなんて、それだけでおかしいと思いませんか。この名言もまた、立派なエセ名言の仲間です。

この名言にいたっては、誤訳を通り越して、原文には違うことが書いてあります。

「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」

というのが、元々の主張なのですが、妥当な解釈としては、
「健全な肉体、健全な魂、この2つさえあれば、それ以上願うことはないだろう」

戦争下の元で、安定した暮らしが満足に手に入らない世の中だった1世紀のローマにおいて、健全な肉体と健全な魂を手に入れることは、最上の望みだったと言えます。
これらが手に入りさえすればあとは、後のものを臨むのは、傲慢だということでしょう。

現代の解釈の「健全な精神は健全な肉体に宿る」は、精神と肉体を結び付けている点が明らかに、創作意欲を込めた解釈のような気がします。

まとめ

今回は3つの名言を例に挙げましたが、どれも日本語に直したときの誤訳や、解釈の拡大によって、本来の意味とはかけ離れて使われていることがわかりました。
誤訳や拡大解釈は、いろいろな種類がありますが、昔の翻訳家が、単純にミスをしている可能性もあります。

江戸時代に『解体新書』を日本語に訳した杉田玄白らは、オランダ語の辞書を片手に奮闘しました。
「鼻は、顔の真ん中で盛り上がっている」という一文を正しく日本語に直すのに1日がかりだったと言われています。

現代でこそ、高精度な検索方法が確立されていますが、当時の調査の困難さは相当なものであったと推測できます。

そんな中で、日本に渡ってきた、海外の書物を訳す人が、訳者の解釈を加えていいように訳してしまった可能性は否定できません。

だから、せめて色々な知識が簡単に手に入る現代人は、その正しい意味まで理解したほうがいいと思います。
このnoteを読んだ人は、怪しい名言使いに出会っても、騙されないようにしましょう。




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