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退職エントリ②~2社目のこと~

前向きな転職、という事で胸を張って新卒で入社した会社を退職。

人生はじめての転職です。

2社目にはつい最近まで約4年間勤めていました。

というより、実際は現在も有休消化中です。

辞めたてほやほやの2社目での激動の4年間についてお話していきます。

リフォーム業界、いわゆる歩合給の仕事です。

売れば売るほど収入は増え、仕事は自由に進めることができます。

やることをやっていれば会社に来るよううるさく言われることもない。

これは前職で満員電車に揺られて9時前に必ず出社していた自分には衝撃でした。

入社2日目、8時半に事務所に行くと誰もいない。鍵の場所も教わっていないので中に入れず待っていたら9時半になってようやく2人目が来た、なんてこともありました。

正社員でしたが、実質個人事業主のような業態です。

最初はキッチンやUB(ユニットバス=お風呂ですね)の交換、洗面台、トイレといった水回りの設備交換、ちょっとした間取り変更、フローリングやクロス(壁紙)の交換を小規模で請け負う部署に配属されました。

こういった小規模リフォームの良さは問い合わせ~契約~着工~引き渡しのスパンが比較的少ない事、決めることが少ないのでクレームになりにくい事です。

難しいところは単価が安いため、数をこなさなければ歩合給が増えない事。

僕の会社では小規模のリフォームでは工事担当がつかないため、工事中は営業が毎日現場に赴いて指示や進捗確認を行わなければならない。

集客、営業、手配、施工管理、アフターまで何もかも自分で面倒を見続けなければ代わりにやってくれる人は誰もいない。

自由ですが、とんでもなくやることが多いのでこなせる数も限界があり、その割にひとつひとつの単価はそこまで高くないという事です。

一方で家全体を改装して間取りから何から全て一新するような大規模リフォームでは、設計から提案していくのでスパンは半年~1年まで長くなります。

当然歩合給は完工し、引き渡したのちに入金されるためそれなりに計算して営業していかなければなりません。

その分1棟の単価が高いため、どかんとお金が入ってきます。

そんなリフォームのお仕事でしたが、最初の2年は小規模リフォームをせっせと頑張りました。

クレームもなく、人間関係にも恵まれ、終電まで帰れないこともざらにあり体力的に厳しいことは多々ありましたが、辞めようと思ったことはありませんでした。

その後3年目になるにあたり、大規模リフォームの部署に異動しました。

何故なら思っていたほど稼げなかったからです。

収入を伸ばすために上司に掛け合い、異動を実現させました。

前向きな姿勢ですね。体育会系の会社だったので、前向きな意思表示は好意的に受けていただきました。

問題は異動後の仕事量です。

大きなリフォームは工事担当が付きますし、当然在宅での工事などありえないため、今までのように毎日現場に赴く必要もない。

今までより楽になるよ、と色んな方に言われました。

しかし、ここからが地獄だったのです。

確かに1棟単価は大幅に上がり、たくさんの稼ぎが期待できる状況にはなりました。

ただお客様の数は減らず、今までより難しく手間のかかる案件を、今までよりたくさん捌かなければならなくなりました。

これには理由があります。

僕の営業所は30代以上の女性が多く、20代でバリバリ頑張る若手の男性が僕だけでした。

年齢や性別がそこまで関係あるかと言われれば、必ずしもそうではありませんが、僕の上司は僕にこそバリバリやらせようと思ったのでしょう。

丁度結婚した年でもあります。稼がせようと思ってもらえたのか、たくさんの案件をくれました。

「まだ回せる?」「この案件やってもらっていい?」

と言われれば僕は必ず断らずに請けました。

案件をもらえることはありがたいですし、収入UPに直結する。

下手に断って継続して案件をもらえなくなるのも避けたいと思ったからです。

結果として、僕は心身を壊しました。

兎にも角にも3年目を走り抜け、僕の成績は異動後実質1年目にも関わらず全国で上位5%以内の成績でした。

しかし前述の通り、大規模なリフォームはそうスムーズに手離れできるわけでもなく、1000万円を超える規模の案件を十数件同時に回しながら、歩合給は未だ入っていないという状況です。

4年目を頑張れば年収は跳ね上がるだろうと思っていましたが、どうにも今までのように仕事が回せなくなり、記憶力も弱まってきている確信がありました。

根性はある方だと思っていましたし、できないと言わない社員として頑張ってきたため、あまり考えることはなかったのですが、精神的な異常があるのではないかと感じて4年目の春に心療内科を受診しました。

結果、鬱の傾向があり、適応障害の診断書が出ました。

すぐに1ヵ月の休職をとるよう医者に言われたため、診断書とともにその旨を上司に話しました。

上司は「こういうところ(心療内科)に行けば大体こういうことを言われるから」「みんな少なからず同じような中でやってるから」

と言い、診断書を手に取ることもしませんでした。

僕は非常に残念な気持ちになり、この会社に助けを期待することはできないなと感じました。

今の自分に一番言ってはいけない事だと想像ができないのか?と上司に対し強い憤りも覚えました。

この時点で僕の頭には退職の2文字がよぎっていました。

休職をしてしまえば、昨年1年間頑張った案件を手放すことになり、誰かに引き継げばその歩合給はその人と分け合うことになります。

それだけは嫌だ、やってきた分の成果は余すことなくもらいたいと感じた私は、新規営業をストップして今持っている案件に集中させてもらうことで休職を踏みとどまりました。

2021年の夏は一生忘れられないほど苦しいものでした。

自分は鬱である、などと顧客にも同僚にも言いたくなかったので、休職しないからには普段通り働かなくてはなりません。

僕は抗うつ剤と睡眠薬を服用しながら半年間何とか仕事をし続けました。

本当はすぐにでも辞めたいと感じていましたが、歩合給を回収しきるためだけに頑張りました。

正当な対価を得られないがために、辞めたいときに辞められない理不尽さにも参りました。

運が悪いと言えばいいのか、この時に抱えていた顧客は非常に厄介な方が多く、何件かは今まではあり得なかったようなクレームになり、顧客や現場と口論になるようなことも増えました。

これは僕自身が被害者意識を持って働いていたこと、精神的な余裕がなかったこと、自分の身を守ることを第一にしていたことが原因だと今になっては思っています。

大手の正社員を名乗れる、頑張ればたくさん稼ぐことができるという夢と希望を持って転職した会社で、数年大きなストレスなく働けていた僕にとっては、できることならやめたくなかったというのが本音です。

しかし、この2社目での体験を通して僕の仕事観は大きく変わったと思っています。

仕事観については次にまとめていくことにします・・・

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