見出し画像

多様性と時代小説/山本周五郎『青竹』主人公への違和感から

あなたとは分かり合えない。でもそれでいい。私は私、あなたはあなた。それぞれの考えや立場を尊重する。分かり合えないことを分かり合うことから、多様性への理解がはじまる。これは私の個人的意見です。

多様性が大事だと言う。私たち人間は同じ地球という星に住みながら、国籍や民族、文化宗教の違いから絶えず争いを繰り返してきた。争いを失くし平和な世界を築くためにも、それらの違いを乗り越え分かり合うことが大切だ。そう説いて、他民族他宗教の人達と同じコミュニティに住む私たちを新しい価値観の世界に導く。同じ日本人同士ですら意見が違ええばしょっちゅう対立しているから、言うほど簡単ではないと思うが、排除より多様性が成熟した社会を形成するのは言うまでもない。

私は趣味で時代小説をよく読むから、考え方や価値観が異なる人物に紙上で触れることはよくある。彼らと物理的に触れ合う機会は永遠に訪れることもないため、分かり合う必要はないし、寄り添わなくてもまったく問題ない。ただ「この時代はこういう生き方が当たり前だったんだろうな」とか、「時代によって幸福の物差しは違うんだな」と、人間が長い歴史の中で追い求めてきた幸せな生き方について、幅広く考えるきっかけにはなる。

私が好きでよく読む作家・山本周五郎の作品に『青竹』という短編小説がある。主人公の余吾源七郎は、関ケ原で大将を討ち取る武功を立てた人物。しかし、なぜか源七郎は長くその事実を伏せていた。おかげで誰が敵方の大物を討ち取ったのか長らく謎であったが、ある宴席でこの事実が発覚し、家中で源七郎の名が知れるようになる。申し出れば多大な恩賞に授かれたのに、なぜ名乗り出ることもせずいたずらに時を過ごしてきたか、この質問に彼はこう答えた。

「敵の大将を討ったからとて功名とも思いませぬし、雑兵だからとて詰まらぬとも存じません、名乗って出なかった仔細を申せばこの所存ひとつでございます」

この話を聞いたある老臣は、源七郎のことがいたく気に入り、ぜひ娘を嫁にもらってほしいと頼み込んできた。が、源七郎は言下に断る。相手は千石の家格の娘で、若く容貌も美しい。申し分ないはずの縁談なのに、彼は次の理由で辞退したのだった。

「家格が釣り合わない結婚はしないと決めております。三百石という小身の者が、千石の上役より嫁をもらったとなれば、女房のゆかりで出世したと噂されるでしょう。このような仔細から、おのれの身分より高い家からは娶らないと決めているのです」

話の最後で分かるのだが、源七郎はこの席で娘を見て一目ぼれしていた。胸の底から沸き起こる恋慕の情を抑え、己の信念を優先したのだ。

楽に生きる道を選ばず、己を厳しく律する道をあえて選ぶ。とても立派だとは思うが共感の領域には程遠い。つつましくて清廉、そして無欲に徹する主主人公の生き方は、この時代にあっても異色だった。とはいえ、厳しい掟が貫く武家社会、今の私たちが想像を絶する価値観の中で武士たちは生きていた。自己主張しない、差し出がましいい言動は控える、粒粒辛苦は黙って耐え忍ぶ、などなど、忍従かつ清貧な生き方が何よりもてはやされた。

多様性は、同じ空間のコミュニティといった横の世界だけでなく、過去から一直線につながる縦の世界にも広がる。共感の振れ幅には影響しないかもだけど、視野は広がる。視野が広がることで、いろいろな価値観を理解する器は大きくなる。そんなことも思いつつ、これからも小説の中の素朴な生きざまに触れていきたい。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?