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#生きづらさ

小説 ムジカ~それから

小説 ムジカ~それから

 ポータブルCDプレーヤーからは合唱曲が相変わらず聴こえる。聴き始めて、どのくらいの時間が経っただろうか。とっくに深夜と呼ばれる時間に達しているのだが、私は寝食を忘れて、合唱曲を聴き続けた。どんな空腹も合唱を聴くことで満たされ、どんな眠気も合唱曲を聴くことによって解消されていくのだった。
  

 アンサンブルコンテストから二か月以上が経ったある日、私は美穂子と再会することになった。その日はちょ

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小説 ムジカ~合唱④

小説 ムジカ~合唱④

 新品のCDプレーヤーに、昔取った杵柄のCDを入れる。何しろ長年箱に入れて保管されていた代物だ。音飛びなどしないかが心配だったが、それは杞憂に終わった。
 私はCDプレーヤーが処分されてしまった事実に気付いた瞬間に、家を飛び出していた。近所にある家電量販店に着いたのは、閉店の一〇分前のことだった。閉店準備にかかり始めている店員を強引に呼び寄せ、CDプレーヤーの売場を案内させた。どんなものでもよかっ

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小説 ムジカ~不毛な時間①

小説 ムジカ~不毛な時間①

 天を仰ぎ見ると、雲一つない青空が広がっていた。私の胸の内を全く反映していない天気に、思わず笑ってしまいそうになる。
「また、散らかった家に帰るのか……」
 そう呟くと、心に掛かった雲がどんどん分厚くなっていく。近所の薬局で処方してもらった薬を持って、川べりの堤防道路までやってきたときには軽く汗をかいていた。流れる汗をぬぐいながら、私はあの日のことを思い返していた。忌むべき日であるのだが。


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小説 ムジカ~不毛な時間②

小説 ムジカ~不毛な時間②

 気が付いたら、昼になっていた。時刻は一二時一五分、空腹で目が覚めた。ようやくソファから起き上がり、昼食に相応しい食べ物を求めて、キッチンを漁り始めた。袋麺が見つかったので、袋を開けて、鍋にミネラルウオーターを入れる。ガスの火で沸騰させて、麺を入れた。放心状態の私でもできる、最低限の家事だ。
 それにしても、美穂子は帰ってこない。しばらく経ったら、帰ってくるだろうと車で三〇分くらいのところにある彼

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小説 ムジカ〜不毛な時間③

夜が白々と明け始めた。仕事へ行かなきゃと私は慌てて時計を見た。SUNのスペル、日曜日だった。ホッとしたと同時に一睡もできなかった自分自身に言いようのない憐れみを感じた。もう一度、ベッドに横になって昼過ぎまで寝ようと試みる。しかし、目が冴えて眠れないその間にこれまでの不妊治療の経緯を思い出していた。

 職場結婚して三年、当初は二人とも子どもはいつでも構わないとのんびり構えていたが、昨年あたりから、

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