芸の評価「芸とは何か?」

今回の記事は「芸とは何か?」についてです。

落語家がウケているにもかかわらず、たまに

「あれは有名やからウケてるだけ!」
「あれは身内を呼んでるだけ!」
「マニアウケなだけ!」
「ベタ!」
「男前なだけ!」
「素人をだましてるだけ!」
「芸能人が評価しやすい芸やわな」

などの罵詈雑言が、色んな角度で落語家には浴びせられます(笑)

しかも落語家から・・・(内緒で?)。

お客様は上記のような罵詈雑言は明言しませんが、無意識に

「●●師匠は好きやけど、△△師匠は何か嫌」

みたいな反応を示します。
それは「芸の質」が、お客様によって「合う・合わない」があるのだと思います。
本日は、この「芸の質=芸とは何か?」という話です。

もちろん「芸人の評価」と「芸の評価」は別物です。
1つ前の記事で「芸人の評価」ついて書きましたので、未読の方は「ほぼ無料」ですので、無料部分でも大体理解できると思いますので、よろしければそちらもお読み下さい。(参考:芸人の評価【ほぼ無料】https://note.com/shoufukuteitama/n/n029a240d2313

では、改めまして、

そもそも「芸」とは何なのでしょうか?

前回と重複しますが、
「芸を評価」する上で、よく言われるのは、、、

●仕草的な技術(踊りやマイム的な動き)
笑わす技術(話術)
物語を伝える力(話術)
●顔芸・キャラクター

人間性・性格

みたいなことが挙げられます。他にも列挙できるのでしょうが、それらは「芸のうちの1つ(構成要素)」とされ、それら全部をひっくるめて「芸」と評価されます。

では、どこまでを「芸」にひっくるめるのでしょうか?(笑)

「芸がある・ない」「それも芸のうち」などと我々がよく言う場面から逆算して、「芸」を定義してみたいと思います。

先に結論を書くと、以下です。
(ちょっと面倒な表現ですが…)

芸人とお客様が対峙している状況下で、
「お客様が快感を感じた」という事実が起きた場合、
我々は「その事実を起こさせる何か」が芸人側に存在したと考えます。
その「起こさせる何か」を芸と呼ぶのだと思います。

何が言いたいかと言うと、
「芸」とか何や言うてますが、
実は、目に見えているのは、「お客様が喜んだ」という事実しかないのです。
「芸」とは目に見えないのです・・・。

だからこそ、まず押さえておくべきことは、
「芸の評価とは、お客様それぞれが芸人に下す主観的評価なので、芸に客観的な評価を下すことは不可能」ということです。
それを踏まえた上で、それでも「芸とは何か」について迫れるだけ迫っていきます(笑)


①仕草的な技術(踊りやマイム的な動き)

まさに落語初心者が一番「芸」っぽく感じるのが、「仕草(所作)」です。これは、もちろん「芸のうちの1つ」と言えます。
(落語を知らない人が、まず落語と聞いて「うどんを食べる仕草」を思いつくみたいな話でもあります)

落語とは想像の芸と言われますが、何もないのに「お客様に人間・物=世界が見えるように」するのが落語の基本です。
その意味で、「物が見えるようにする動き」として、落語の仕草があります。センスや手ぬぐいなどを補助道具として、パントマイム的な動きや、日本舞踊などの動きをして「世界が見えるように」します。

<例>
※「愛宕山」という落語で、坂道を2人で駆け上がる時に、1人がもう1人の尻を押しながら上へあがっていくのですが、パントマイムの要素で表現するのか、日本舞踊の動きで表現するのか、そこは各落語家の裁量です。
※舟をこぐ仕草も、パントマイムの要素を強いのか、日本舞踊の要素が強いのか、それは噺家の個性だと思います。
※三代目春団治師匠の動きは、ほぼ全ての仕草が日本舞踊の要素が取り入れられ(日本舞踊が下地になっており)、華やかでした。

ですから、日本舞踊の技術を持っていれば、もちろん歌舞伎のネタをする時に上手に見えますが、それ以外の滑稽噺(一般的な古典落語)においても仕草が上手に見えます。しかし、日本舞踊でなくてもパントマイム的な動きが上手であれば、そこは代用できたりします。

ただ、この仕草がいかに上手であっても、「落語が面白いかどうか」とは別です(笑) ← 当たり前ですが…。 
ですから、どれぐらい重要なのかというと疑問です。その意味で落語家にとって「基礎・基本」なんですが、実はそこまで重要視されていない気もします・・・。
(踊りやパントマイムがメインのネタなら、それがウケに直結するので別ですが・・・、それ以外は基本や基礎ではあるものの総合力においては噺家目線としては、あまり重要視されない気もします。)

②笑わす技術(話術)

この技術は重要視されますが、一方で非常に不確かなものです。
「ウケる」というのは「結果が見える(聞こえる)」ものなので、ウケるための技術を使用しても「ウケない」という結果が生まれた場合、「その技術は発動されなかった」となります(笑)。つまり、落語の稽古においては、「笑わす技術」は、説明や指導が行われますが、「それが発動できたかどうか」は毎回、どんな偉い師匠でも、現場での結果論です。

そして「人間が笑う(ウケる)」というのは、お客様の属性・その場の状況などによって全然違います。当たり前ですが、赤ちゃんと40歳の大人では笑うツボは違います。それと一緒で、落語初心者が聞く「動物園」や「百年目」と、落語を沢山聞いた上で聞く「動物園」や「百年目」では全然、ウケが違うでしょう。また落語を聞いた回数でも違いますし、沢山聞いた上でさらにそのネタを初めて聞く状況でも全然ウケ方は変わります。

笑わす技術と一口に言っても、実は「語る技術」だけでなく、「どのネタをどの状況で選択するかの選球眼」や「語る技術以外で、お客様の心を掴む技術」など、全てが「笑わす技術」と言えます。ある種、これは「芸人としての総合力」です。

毎回、お客様は違いますので、ウケた時はお客様はその芸人を面白いと言い、ウケない時は面白くないと言うだけです。
その意味で「①仕草的な技術」は、ウケるウケないと関係なく、毎回上手下手が認識可能ですが、「②笑わす技術」は毎回結果論として「発動できたかどうか」が発生し、1回だけの高座を見て上手下手をお客様が認識するのは難しいと言えます。(本当はお客様はその1回でほぼ判断するのですが…。)
→沢山の落語を見たお客様は、その落語家の複数回の高座を見て「だいたいの笑わす技術(総合力)の平均値」を予想しているのかもしれません。

その意味で、1回だけで判断する場合であっても「ウケは、お客様の好み」ですし、複数回の高座を見て判断する場合も「お客様の好み」ですので、笑わす技術の上手下手は、お客様によって、ずいぶん判断が異なると言えます。

③物語を伝える力(話術)

落語の中には「笑わないけど、ストーリーとして楽しめる演目」があります。
「紺屋高尾」「仲村仲蔵」「立ち切れ」など、ギャグが少ない話ですが、こういう人情噺において、この「③物語を伝える力」が有効に発動した場合、お客様は涙を流して大感動します。気持ち的にはお客様は「スタンディングオベーション」を送りたいぐらいになります。

ただ、軽く発動した場合は「ええ話やね…(寝なかった)」ぐらいの感想になりますし、違う風に発動すれば「メチャクチャ寝れた」「こんな辛気臭い話せんと、もっとパッとした話をしてほしかった」みたいな感想にもなるのですが・・・(笑) ただ、この能力の問題点は「発動したかどうか」がわかりにくいのです。

「②笑わす力」はギャグを言う度に、ウケてるかどうかは一目瞭然なので、「今発動したかどうか」を全員がチェック可能です。しかし、この「③物語を伝える力」は、「ウケが目に見えない」ので、高座を終えた時の拍手の量や強さなどでしかわかりません。

「②笑わす力(ウケ)」においては、お客様がある一定の満足度を超えない限り、「笑わない=声が出ない」です。
しかし、落語を終えた時には、お客様は一般常識・マナーとして「拍手」はしてくれます。どんなに退屈であっても「拍手」は行われるのです。そして、満足度が高くなるにつれ「拍手の量と強さ」が増すのです。
ですから、「③物語を伝える力」については、実はあまりなくても、あたかも一定の成果が上がったように見えるのです。つまり、「スベってない」ように見えるのです。

これが「②笑わす力」との違いです。
「②笑わす力」は”一定の強度を超えて”発動した場合のみ「ウケる」(お客様の声が認識できる)のです。
→強い満足度のみ表示。強い満足度でないものは「スベッた」とみなす。

「③物語を伝える力」は、実は”発動したかどうか”が不明。
→不満が表示されない。満足度の強弱も不明になりやすい。「スベッた」とみなされない。

たとえ、お客様の誰かが「寝た」としても、他のお客様の誰かは起きているので、「好みはそれぞれ」で片づけられます。「この能力」単体が使用されるネタの場合、客観的な音量では、上手下手をはかりにくいとも言えます。

その意味で、凄い名人がこの能力を所有し、皆を感動させる一方で、
ストーリーものをすることで、「自分がスベッてること(②の笑わす能力が無いこと)」を隠す噺家が発生してしまうとも言えます。

もちろん、「③物語を伝える力」のある人は、ストーリー物に特化し、
「②笑わす力」のある人が滑稽噺を中心にするというのは、「棲み分けとして良い」とも考えられます
が、なぜか「③物語を伝える力を持つ噺家は、②笑わす力をもつ噺家より上」という風潮があったりするだけに、そこは噺家内では違和感が多いです。
本来は、②と③のどちらが優位という話では無く、できれば当然どちらも所有したほうがよく、どちらかに強みを持つ人は棲み分けとして片方にシフトしていくのかもしれません。


④顔(芸)、人間性・性格、華(=キャラクター・肉体)

「顔(芸)、人間性・性格、華」は、それぞれ区別しにくい芸の要素ですし、実はこれらと上記の①~③も明確に区別しにくい要素と言えます。そこらは、個性(キャラクター)と言える芸の要素かもしれません。

顔芸というのは、主に「表情」のことでしょうし、そこには「目線の持っていきよう」で、「①仕草」を補強するものとなり、「②笑わせる」要素になったり、「③物語を伝える」補強になったりします。
また顔の表情は、「その人が持つキャラクター(個性)」があって成り立つものでしょうし、顔には人間性・性格・華が特に現れます。

私が思うに、この「顔(芸)、人間性・性格、華」などは、特に「②笑わす力・③物語を伝える力」を下支えする要素(キャラクター)と言えます。
キャラクターがお客様にとって効果的に発動すると(=お客様がそのキャラクターを好意的に受け取ると)、「ウケやすい・満足しやすい」と言えます。ですからよく、「芸は人なり」と言うのでしょう。

ある意味、格闘技などにおける「筋肉・筋トレ」みたいな話かもしれません。格闘技で勝つためには「技術」や「作戦」は必要ですが、「筋肉・筋トレ」は、その技術や作戦を下支えする要素だと思います。どれだけの筋肉やパワーがあるかによって、使える技術や立てられる作戦は違います。
それと一緒で、我々は「自分の肉体」(キャラクター)から「芸」を引き離すことはできないのです。かならず、その芸は「その肉体」からしか発動できないとも言えます。

★「華」と「人付き合い」の区別の難しさ

そもそも「顔・人間性・華」自体、直感的に、それぞれ別物な気もしますし、ましてや「華」と「人付き合い」は、全く無関係に感じますが、実は「ウケる(芸)」という観点においては、全てよく似た「プラス要素」だと思います。

最近、私は、このような理解になったのですが、、、
「それでも地球は回っている」とか「コペルニクス的転回」みたいな発言ですし、そういう発言は大概、最初は「怒られやすく、理解されにくい」ので、ここから有料とさせて頂きます(笑)

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