記者が芸人を屋号で呼ぶ時代

まあ落語ファン、歌舞伎ファン、文楽ファンだけでなく、ちょっと知ってる人なら常識として、

この種の芸人を「桂さん」「市川さん」「竹本さん」とは言いません。

しかし、マスメディアの方々(TVや新聞などの大手マスメディア関係者)は、この頃、よく「桂さん」「市川さん」などと、屋号や上の名前(姓?)で呼びます。
(昔はそんなことはありませんでした。少なくとも、私が子供の頃は無かったので、ここ30年ぐらいの変化かと思います)

これについて、
この種の芸能に近い人たちは、メディア関係者に
「歌舞伎役者や落語家などは、芸名の下の名前で呼ぶようにして下さい!」
と注意喚起していますが、いっこうに治りません。

いわば、これは「携帯が寄席でなぜ鳴るのか」という問題とよく似た現象だと思いますので、本日は、

なぜ最近のメディア関係者(新聞記者やアナウンサーなど)は、伝統芸能の芸人を屋号や姓で呼ぶのか?
そして
それはなぜ治らないのか?

ということについて考察致します。


なぜ伝統芸能の芸人を屋号や姓で呼んではいけないのか?【そもそも論】

まずそもそもの大前提から話します。
なぜ伝統芸能の芸人を屋号や姓で呼んではいけないのか?

ちょっと考えればスグわかりますが、、、
落語世界で言えば、そもそも

林家
笑福亭

三遊亭

などは「その屋号や亭号をもって、世間に落語家と指し示すための表示」です。言い換えれば「プロの証」です。
(ヤクザの代紋に近い気がしますが…)

伝統的なプロの落語家の「門派」に所属しているという証明が落語家の屋号or亭号なのです。

「林家」なら東京で落語協会で50人近いし、大阪でも16人います(2024年1月現在)。

つまり、「林家」では、落語家の誰かを特定することはできないです。
「林家」とは、「落語家の中の門派」を表してるだけであり、個人を特定するものではないのです。(もっと言えば「落語家」であるという証明をしているのです。)

そしてこれが大原則ですので、噺家は同じプロ集団において、

下の名前が同じである噺家はいない

という原則があります。
(※大阪と東京など、文化圏が違う=同じ集団でないことによって、下の名前が重複することはあります。それはほぼ商売圏が被らないことで、大阪の●●さん・東京の●●さんと、区別できるからです。例えば、東京の桂米助師匠と上方の桂米輔師匠など…それでも音が一緒でも、字が違うことがほとんど。)

そんなわけで、昔のメディア関係者は、古典芸能に通じていたので、
一般人に向かって記事を書く場合は、

芸名のフルネームを一旦書いて、そのあとは
下の名前で記事を展開します。


このフルネームを最初に書くことで「落語家であること」だけでなく、「どこの門派か」も情報として提示し、そのあと、下の名前を提示することで、その噺家個人としての活動を伝えることが出来るからです。

では、なぜ屋号や姓で呼ぶといけないのか?

もしも最初に「笑福亭たま」と表記して、その後、「笑福亭さん」と表記していく場合、どんな弊害があるのでしょうか?

無数にいる噺家の中のその個人に本来スポットを当てたいのに、
そういう記事では、「たま」という下の名前の出現数と「笑福亭」という亭号の出現数では「笑福亭」の数が勝ってしまいます。そうなると、一般のお客様には「笑福亭」だけが記憶に残り、「たま」は記憶に残りません。つまり、それでは、記事の書き手として、個人の記事を書いて世間に伝えるという目的からズレるということになります。
笑福亭は数十人いるのですから。。。

※他のジャンルでも昔からの芸能においては、

竹本は浄瑠璃、鶴澤は浄瑠璃の三味線、
坂東とか市川とかは歌舞伎、
茂山とか野村とかは狂言、
笑福亭や林家とかは落語、、、みたいに、

名前の上を言うた時点で、それである程度、どのジャンルかわかるようになっています。逆に言えば、屋号や姓では個人を全く特定できないということです。屋号や姓で記事を展開していけば、「今、話題にしてるジャンルの中の個人」について言おうとしてるのに、そのジャンルをただただ言うてるだけになるからです。だからこそ伝統的な芸能従事者を新聞記者が屋号や姓で呼ぶのは良くないということです。

昔の感覚で言えば「その記者の見識を疑う(=アホちゃうか?)」となるのです・・・。

なぜ今のメディアが屋号で呼ぶようになったのか?

ここまで書いたところで、以下のような疑問を持つ人も出るかもしれません。

普通の記事では、フルネームを書いて、その後、姓の表記で問題ないのに、芸人には適用すべきでないのはなぜか?

例えば、「大阪●●区で珈琲店を営む田中一郎さんが、、、」という記事があった時に、当然、そのあとは「田中さん」と表記していきます。
田中さんは無数にいるではないか?噺家同様、識別できんじゃろと(笑)

しかし、この場合、下の名前の「一郎さん」であっても、それだけでは特定できないのです。日本中に同姓同名は山ほどいるからです。
あくまでこのような記事の場合、話題になってる個人を指し示すことが目的なので苗字で良いのです。

落語家の場合、「笑福亭たま」と書いたことで、落語家であることが指し示されており、そのあと「たま」と表記した方が確実に個人を特定することになるからです。
落語家で「たま」は1人ですから。
(もしも東京や大阪で同一名がいたとしても、屋号や亭号よりも個体数が圧倒的に少ないので文脈上、個人を特定できるからです)
いわば「笑福亭」の部分は記事の最初の「大阪●●区で珈琲店を営む…」みたいな説明と変わらないということです。

だから伝統的な芸能分野の芸人は、下の名前で呼ぶべきなのです。

※漫才師でも昔は師弟制度があったので、
「横山やすし」を「横山さん」とは言いません。「やすしさん」です。
→さらにその大前提があるからこそ、たかしひろし師匠の「横山ぁ〜、怒るな」(お前も横山や)みたいなギャグが成立するのです。

なぜ今のメディアは伝統芸能の人間を屋号で呼ぶのか?

しかし今、新聞やネットニュースの記事を見ると、伝統的な芸能従事者を屋号や姓で呼ぶことが増えています。それはなぜでしょうか。

ここからは私の個人的見解で、異論もあるかもしれないので、有料にしておきます。今回はそんなに過激な内容でもなく、至極当然なことを書いているので、お安めにしておきます。以下は、サポートして下さる気持ちでお読みください。

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