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人身事故、戦争、サステイナブル。

身の回りにあり、聞くことはよくある。でも、深く考えると脳が焼き切れてしまいそうな言葉。

そんな言葉たちをちゃんと考える余裕を作る。そのための余白が今回のnoteです。

共通点はあるのか、はたまた全く関係ないのか、そんなことを考えながら読んでみてください。

人身事故

「人身事故」。

この言葉を選んだ理由は、人身事故の現場に居合わせるという体験を最近したから。

九州での卒業旅行の帰り。成田空港から家に帰るため、終電間際の電車に乗り込んだ。

途中、日暮里駅での乗り換え。京成本線から山手線のホームへ向かい、階段を下りていると、すさまじいブレーキ音が長い時間鳴り響いた。

ホームに到着すると、向いの京浜東北線が停車位置のものすごく手前でゆっくりと止まった。この時、何かが起こったことしか理解できなかった。

先頭の車掌さんが受話器を持ち、「日暮里駅で人身事故発生」と言った。このときやっと理解した。

あのブレーキ音は、人が線路内にいたことに対するブレーキ。

そして、今いるこの駅、このホームの少し先で、人が死んでしまった。


初めての体験でした。人は死に近づいたり、身近の人の死に直面すると人生観が変わると言う。

実際に、目にしたわけではない。けど、同じ空間で今、人が死んでしまった。この体験したことのない現象に、その時の私は立ち向かっていた。

姿が見えないこの人はなぜ飛び降りてしまったのか。自分の意志で飛び降りたのか。金曜日、三連休の前日の終電間際。

会社で何かあったのか。そもそもどんな性別、年齢の何をしている人だったのか。周りに人はいなかったのか。。。

駅内にアナウンスが鳴り響く。「人身事故が発生しました。目撃された方は先頭車両へ来てください。」外でパトカーの音。到着する救護隊。

何度かアナウンスが流れるも、誰も先頭車両に訪れる気配はない。ということは、誰も見てなかったのか。見ていてもめんどくさいと思い、名乗り出ないのか。

私が乗りたかった山手線はもちろん来ない。乗れるはずの電車の時間が15分すぎた。そこで私は、タクシー代を調べ始め、その後近くのカラオケやネットカフェを調べる。

電車を諦め、ホームの階段を上る人々。人身事故が起きたと誰かに電話で報告する人。何があったのかと線路をのぞき込む後から来た人々。

その時思い出した。私はブレーキ音が鳴っているとき、何かを察して線路を覗きたいと思った。その後、それはいけないことだと思い、あえて見えない反対の壁側を歩いたこと。

結局私は、運転が再開した山手線にのり、ぎりぎり次の終電の乗り換えに間に合った。


さて、振り返ってみて、改めて「人身事故」のことを考えてみた。

あの時の人身事故がニュースになっていないか検索してみると、まとめ記事があった。そこには、事故に関することをリアルタイムでつぶやくTwitterの投稿が掲載されていた。

「終電近くにやめてほしい」「帰れなくなる」「この電車が人をひいたらしい」「遺体を探しているのかなあ」

不謹慎と思うだろうか。人でなしと思うだろうか。

自分が乗ろうとした電車のどこかの駅で人身事故が発生し、駅に行ったら電車が動いていないということは何回かあった。その時は、正直迷惑だと思ったことはあった。

ただ、今回は違う。同じ空間で人が死んでしまった。だから、自分が当事者になった気になった。距離が近くなった。関係しているように感じた。

偽善とかではなく、本気でツイートに対していらだった。

ただ、自分もあの時、自分の終電や帰れなかったときのことを心配していた。それくらいの当事者意識なのだと思った。


もう少し、人身事故について深ぼってみた。

ではもし、自分が見ているところで人が線路へ飛び下りたら自分はどうするのか。

手が届く距離にいたら、引き止めることはできるのか。そもそも引き止めるべきなのか。

やはり、落ちようとして、落ちれなかったら恥ずかしいのか。それとも本心では、引き止めてほしいのか。

引き止められるリスクを減らすために、人に見られないようなタイミングで飛び込んだのか。それならなぜ電車に飛び込むことを選んだのか。電車に止まってほしかったのか。影響のある死を遂げたかったのか。

答えはありません。

ただ、目の前で人が死のうとしているときに、そのまま死なさせてあげる勇気は私にはない。引き止めずにはいられない。

責任とか、周りの目とか、教育とか、そういう言葉による体の反射かもしれないけど。


「人身事故が起きないようにするにはどうすればいいのか?」
「死にたいと思う人を減らすストレスケアが大事なのか?」
「ホームドアをつければいいのか?」
「罰金をかけて、周りに迷惑がかかるとアピールするのか?」
「電車がなくなればいいのか?」

人は死にたいと思う。生きている限りその選択肢はずっと残る。解決策は生まれないこと。

もちろん、どんな人にも死んでほしくないし、人身事故が起きない世の中を目指すことは大切。

ただ、人は死にたい。だから、自分ができることはもしかしたら。いや、自分がしたいことは、亡くなった人のことを考えること。人身事故の仕組みについてとことん考えること。そして、それを意味として記録すること。

だから。。

そして、この行動の原動力は「当事者意識」。これがかなり重要だと思う。

そして、次のキーワード「戦争」でも、、

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