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川っぺりムコリッタを観て考えたこと、生きるってなんだろう

“刹那、

怛刹那、

臘縛、

牟呼栗多。”


“死んだ後の魂はどこに行くんですか?”


“茄子ってさ、芸術だよね。”


映画「川っぺりムコリッタ」のセリフが頭から離れなくて。


人の最期を見て、自分が死んだら、遺骨どうしようって考えちゃう。

お墓はいらないから、粉骨して、粉を海に撒いてもらおうかな。

自然豊かな山中にある吊り橋から飛んでみたかったので、そこからも粉を撒いてもらおう。

無人の島とかを探して、骨灰を自然に還して、その上にももの苗木を植えてもらおう。



朝7時の空気の匂い、昼12時の青空、夜6時の夕焼けの色合い、毎日同じような景色を見ているのに飽きないのはなぜだろう。

焚き火の炎を見ている時、いつも心の安らぎを感じる。人間も所詮動物なのに、火に癒されるのはなぜだろう。


死んだ金魚の魂が空を飛ぶらしい、私の魂がどこに行くだろう。


そもそも人間の魂って本当にあるのかな。死んだら、孟婆湯を飲まされてこの世の人生をやり直せって言われたらどうしよう、記憶が失ってしまったし、また同じ人生を繰り返さなきゃいけないことになったらどうしよう。



でも、なぜか、私は、この人生が良いのかもしれない。

「普通」という言葉と噛み合わなかった家庭環境で育てられ、愛されることを求めたあげくの果てに、その欲望が心の檻となり、そこから脱出するのが精一杯だったでも、それでいいのだ。

17年間住み慣れた土地から離れ、文化が違くて言葉も通じない国に行くと決めた時も、悲しみも恐怖も何もなかった。

誰とも喋らずに一人で6畳もない部屋に引き篭もったのも、明るい部屋で愛しい友達に囲まれたのも、私だった。


死のうと思った時に、いつも見ている駅前のイチョウがいつもより綺麗だったので、ちゃんと生きようと思った時も。

生きるのが辛いと思った時も、人間として生まれて良かったと思った時も。

全部、全部、人生の経験値だ。


こんな経験値を一つ一つに丁寧で貯めて行ったら、いつか、年末ジャンボ宝くじで一等賞に当たる日がくるかもしれない。

お金持ちになったらまた新しい悩みが出ちゃうな、この大金をどう使うとか、変な人に狙われていないのかとか。

生きているのであれば、ずっと悩みに襲われてしまうかもしれない。

死んでも、私の骨灰の上に植えているももの木は元気で育てられるのかって毎日心配しちゃうかもしれない。

あ、粉は意識がないから、そんな悩みはないだ。


でも、もしかして、粉も意識があるかもしれない。


天ぷらの衣が沸騰している油に入る前に、毎回「怖い、俺の人生ってこんなもんか」って叫んでいるかもしれない。


私たちって、粉になったことがないから、何も知らないよ。


「粉」になった後のことを楽しみにしながら生きていこう。

「粉」って意識あるのかを検証していこう。

茄子を芸術的な目で見ていきましょう。

幸せも悲しみも、なんでも楽しんでいながら生きていきましょう。



2023.02.10
東京.雪
xiAo

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