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「趣味に生きること」は、日本人の第3の性別 《自己肯定ができないのは、男女平等のせい》

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    1. 

  男性にも女性にも価値観が合わないと、思うことはありませんか?

2.

  時代が変わっても、親世代の結婚観や男女観が
なかなか変わらないのはどうしてでしょうか?

 3.

  アーティスト、クリエーター、研究者、オタク、
役者、小説家、etc,  何かに熱中している人には、容姿や恋愛に興味が持てないのでしょうか?

  4.

  自己肯定感が低さや承認欲求の問題は、どこからやってくるのでしょうか?

ということで、今回は《「趣味に生きること」は、日本人の第3の性別 》論です!

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・ はじめに 

 「趣味に生きる」と言っても、アスリートに対して、「第3の性別」などと言ってしまうのは、彼らの現状に対して、あまりに知性とモラルに欠ける行いです。アスリートの性別問題は、近代から現代に至るまで、現在も議論がされています。
  本テキストの提案には、スポーツに関わるものを含まず、ジェンダーと価値観に悩む人のためになることを願います。


・ 日本にとってのジェンダーは、
   欧米にとっての宗教にちかい

 「日本は無宗教の国」と言われたりします。神道も仏教も、それ以外の宗教もあるのですが、無宗教を自認している人が多いのは、事実かもしれません。さて、そんな日本人にとって、理解されづらいのが、キリスト教であったり、神様を信仰する感覚です。そこで、少しディテールを上げて、考えてみようと思います。きっと、神様とは、「実際に存在しているとは思っていないけれど、それが存在しない世界ではどう生きたらよいのかが想像できないほど、大切なもの」です。幼少期から、在るべき生き方として、大人から共有されることで、それが多くの人にとってのアイデンティティになります。

  では、日本において、宗教の代わりになっていたものはあるのでしょうか。戦前の話はしませんが、日本の政教分離は、戦後時代から行われてきたとされています。また、戦時中の反省やオウム事件もあって、日本では、神道と仏教以外の印象はあまり良くないのかもしれません。そこで、宗教に代わって、道徳教育とアイデンティティの形成に役立てられてきたのが、ジェンダーだと考えられます。宗教に馴染みはなくとも幼い頃から
「男らしくしなさい」
や、「女の子らしくしなさい」と教えられてきた人は多いのではないのでしょうか? 


・ ジェンダーが脅かされるのは、
   アイデンティティを失う恐ろしさ

  例えばこんなことはないでしょうか? 

/ 男性が退職後にうつ病の傾向になってしまう
/ 女性が男性に家事をされたときに不安や罪悪感が      
  ある
/ 女性には賢さよりも性格の良さが必要だと思う
/ 男性が育児休暇が取ることが恐いと思う
/ 男性が人に悩みを見せてはいけないと思う
/ 女性が常に綺麗でいけないと考えてしまう
/ 結婚しないといけないと考えてしまう
/ 女性がアイドルや俳優の結婚報道に仕事が手に付
  かなくなるほど気が落ち込む
/ 夫婦の苗字は男性に合わせるのがよい
/ 害がないことを理解していても、同性婚やLGBT    
  の話題や制度に不安があり、反対してしまう

上記のような悩みやトラブルは、男性が「男らしさ」、女性が「女性らしさ」をそれぞれ信仰
アイデンティティ信条として、頑張り続けたからこそ起きる問題だと思っています。

  こうした「男らしさ」や「女性らしさ」は、ジェンダーロールと呼ばれます。これは、多くの人にとって「実際に存在しているとは思っていないけれど、それが存在しない世界ではどう生きたらよいのかが想像できないほど、大切なもの」と言えるでしょう。だからこそ、既存のジェンダー観が揺るがされるときや、神様の存在が危うくなった場合に、人は恐怖し、否定するのです。



・ 趣味とは、信仰であり、
   アイデンティティに変化する

  ジェンダーロールは、かつては道徳教育や社会形成に役立てられていたと思いますが、現在では、古い価値観になっています。では、現代のアイデンティティはどのように獲得されているのでしょうか?
  アイデンティティは、細かな自信の積み重ねを複合したものと言えます。そのため、正確に言えば、個人ごとに色々あって然るべきですが、今、最も求められているのが「趣味」というアイデンティティです。ポイントは、「男らしさ」や「女性らしさ」に、次第に信仰が生まれてくるように、熱中する「趣味」にも信仰が生まれることにあります。わかりやすいのが、芸術分野研究分野です。
  美術や音楽、芸能、研究には、“純粋さ”、“正統さ”、“伝統的な”、“の源流” のような形容詞と結びつきやすいという特徴があります。また、そこから派生して、成果を直接的なビジネスに繋げることを否定して、公共の資産として考える人も多いです。「男らしさ」や「女性らしさ」にも言えることなのですが、信仰には、時に、非経済的で、非実用的な行いであることが、重要なのだと思われます。アイデンティティになりえる信仰の対象は、より過激で、より抽象的であるほど、人々は燃え上がるのです。ちなみに、「趣味」というのは、否定されることはあっても、根本から揺るがされることが少ない点も、強みと言えます。



・ 趣味に熱中している人は
   恋愛できない?

  さて、冒頭にあった、「アーティスト、クリエーター、研究者、オタク、役者、小説家、etc,  何かに熱中している人には、容姿や恋愛に興味が持てないのでしょうか?」という質問を考えてみましょう。答えは、イエスであり、ノーです。

  理由がシンプルなノーであるほうの答えから言うと、ジェンダーとセクシュアリティは別の話になります。よって、「趣味」が第3の性別になりえても、恋愛対象とは関係がありません。そもそも
、旧時代的なジェンダーロールの中でも、宗教的な価値観が強い時代でも、作家や研究者は存在していました。つまり、「趣味が第3の性別」とは
、ジェンダーロールと宗教という二大信仰対象が
、ここ数十年のうちにスッポリ抜けてしまう前提がある上での例え話になります。
  しかしながら、皆さんの経験則から言っても、趣味がアイデンティティになるほど、何かに熱中している人は、そこにかける時間やお金を優先して、趣味が恋人のようになる人もいると思います。そういう意味では、ジェンダーロールや宗教とは、性質がまったく異なるのかもしれません。


・ アイデンティティが持てないと、
   自己肯定感が得られない

  いくら「趣味」がアイデンティティになりえるとしても、人生で何かに熱中できる人というのは、珍しいことです。そうすると、現代の人は、確固たるアイデンティティを持ちづらいという問題が見えてきます。

  アイデンティティは、往々にして、「自身が自己肯定感を得るためのルール」として内面化されたものです。そのため、現代の人は、自己肯定感を得づらかったり、自己肯定を維持しづらく、メンタルヘルスに不調が出やすいと言えます。また、ジェンダーというアイデンティティは、精神的or肉体的な理由から失いやすいのも、多くの人が悩みやすい原因ではないでしょうか?

  現在、令和の新しい宗教と言われているものがあります。オンラインサロンやメン限、推し活などです。これらは、マイナスイメージを含めた “宗教” なのですが、全面的に悪いという意味ではありません。「趣味」や、仕事以外の役割を持てることで、精神的に健康になることもできるでしょう。しかしながら、芸術分野の一つを楽しむのと違って、特定の個人を推すのは、金銭的にも精神的にも過激になりやすいという危険もあります。特に、インフルエンサービジネス、信者ビジネス、情報商材などと言われるような、お金を払うことを促していて、根本の構想的に支援者がビジネスで成功できる可能性が限りなく低いものには、注意が必要です。
  さいごに、ネットを中心として、マスコミから政治へと、日々、モラルが悪化しているように思います。そんな大人たちの道徳の教科書となるような神コンテンツが生まれることを願います。


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(完全に雑談なのですが、学術Vの、オンラインサロンとVtuberのちょうどあいだっぽくて、ビジネスより趣味っぽいけど、完全に趣味チャンネルにもなってなくて、承認欲求をゴリゴリ垂れ流してるのが、個人的ええラインです。ただ、過激でも抽象的でもないから、ちょうど人気でないやつ笑)

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