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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第1話 「フェンスを越えて」 #4

「なんか、七人の刑事みたいだな」
ウメッチも同じようなことを思っていたらしい。
天井の明かり取りから差し込む光だけだったおかげで目立たずに移動できた。
リフトの陰に潜むと、ひんやりした空気の中にケースの木の匂いとほんのり日本酒らしき匂いが漂ってきた。
「くしゃみとか、せんようにな」
「そう言われると、かえって出そうになるじゃねーかよ」 
二人のやりとりを横で聞いていたウメッチが、慌てて両手で口を塞ぐ。
モレを見ると、さもチェーンの具合を確かめるように自転車をやや前進させ、こちらが見える位置にさりげなく移動している。
日差しを全面に受けたブロック塀の前で、逆光となったモレの姿が頼もしく映った。
「こういうときに本領発揮するってことは、元々犯罪に向いているんじゃねぇか」
「そやけど、目立ちたがり屋でお喋りじゃ無理やな」
 モレもブースケも、時々株が上がるような活躍を見せるのだが、それを帳消しにするようなヘマも多かったので、いまいち評価は低かった。
二割そこそこの八番バッターってところである。

「なぁ、このまま次は裏口まで行けそうじゃん」
晃二が顎で指した、ボンヤリとした薄明かりの先には、鉄の扉らしきものが見えた。
目指す脱出口を認め、荒ケンは小さく頷く。
「よし、じゃあ扉の横の柱に隠れよう。二つ目のケースで右に入るぞ」
これでコースは決まった。あとはモレの合図を待つだけである。
全開になっている窓を注目する。
その四角く切り取られたスクリーンの向こうで、ミラーが陽を反射して眩しく光っていた。

 少ししてリフトの音が止み、聴こえるのは鼻息だけになったとき、日差しの中で右手が高々と上がったのが見えた。
三人は肯き、光と影の交差する狭い通路の奥へと足を踏み出した。
3人の偽リーガルのゴム底は本物に劣らず軽快に、そして音もなくコンクリートの床を蹴っていく。
途中でウメッチがケースの角に膝をぶつけたが、さほど音はせず大事には至らなかった。
「よっしゃ。ここまで来ればもう大丈夫やな」
「おう。…でも痛ぇのなんのって、思わず叫んじゃうとこだったよ」
ズボンをまくり上げ、フラミンゴのように片足立ちで傷痕にツバをつけている姿が滑稽で笑えた。
「笑うことはねぇだろ、笑うことは。こっちは我慢すんので大変だったんだからな」
「お前が不注意だからいけねぇんだよ。命取りにもなりかねなかったんだからな」
「ベトナムじゃあるまいし、大げさなんだよ晃二は」
まじかよ……。二人がぶつぶつ言い合っている横で荒ケンが呟いた。

「なに。どうした?」
荒ケンを見ると、ノブを掴んだまま考え込んでいた。
南京錠が掛かっているのである。
「やべっ。鍵のことまで頭に入れてなかった。なぁ、晃二」
「この前、裏にゴミを捨てていたのを見たから、普段から鍵してないと思ってたよ」
想定外のアクシデントに出くわし、三人の動きが止まる。
「ちっ、予定外やな」手落ちであったが、誰も責めることはできない。
険悪な空気が一瞬漂った。
「どうすんだよ。このまんまじゃまずいだろ」
「そりゃそうや。だから別の作戦に変更や」
「別のって言っても……。晃二、何か考えてくれよ」
そう言われても考えている暇なんてない。陰険オヤジが戻ってくるかもしれないのだ。

「これから戻るのは無理だから、他の出口を探すしかないだろうな」
「他の出口なんて言ったって、どこにも見あたらないぞ。どうすんだよ」
苦境での決断に迫られ、顔をしかめているときだった。
「いや待て。それだ」
晃二は横の壁に掛けられた黒板の受け皿に、チョークに紛れていた鍵の束を見つけた。
「よっしゃーラッキー。やっぱ俺の日頃の行いがいいからだな」
ウメッチは喜び勇んで持ち上げたが、鍵の数を見て黙ってしまった。
「くそっ。これじゃどれだか分かんねぇじゃんか。
ちっ、誰かさんの行いがいいからな」
「なんだよ、俺のせいかよ。何かと言うといっつもさ―」
「しょうがねぇ、一個ずつ試すしかねぇな」
何のために使うのか分からぬが、鍵は見たところ十二、三個はありそうだった。
「時間がねぇから早く―」
 急かそうとしたところで背後で声がした。
どうやら話しを終えたおやじが戻ってきてしまったようである。

「やべっ。隠れろ」
三人は咄嗟にビールケースの陰にひれ伏して隠れた。
 前を横切るとき、おやじはこちらを見て立ち止まった。
「えーと何ケースだったかな」そう言いながら黒板に近づいてくる。
― うわぁ、だめだ。見つかっちまう ―
足音がすぐそこまで近づき、晃二はぎゅっと目をつぶった。
そのときである。事務所の中でけたたましく電話が鳴り響いた。
この状況を考えると救いの電話なのだが、発見されたサイレンのように聞こえた晃二は身体を硬直させた。
他の二人も固唾を呑んで状況を見守っている。
最悪、見つかったときは、顔を見られないようにして走って逃げる、という決め事を思い出したとき、
「おぉ、そうだそうだ」と緊張感のない台詞を残して、おやじの履くサンダルの音が遠ざかっていった。
扉が閉まる音を聴いて、三人は歯を食いしばったような顔をようやく弛めた。

「ふーっ。助かったぁ。やっぱ俺の日頃の行いのおか―、げほっ」
荒ケンは唸りながらウメッチの首を絞めた。
「はぁー、心臓が飛び出るかと思ったぜ」
呟きながら晃二は立ち上がって耳を澄ませた。
話し声がするので、どうやら電話に出たようである。
だが、事務所は斜め前にあり、扉はこちらに向いている。
出てきたらもろに見つかってしまう。
「どれでもいいから早く入れろ」
束を凝視していたウメッチを荒ケンがせっつく。
すかさず一個掴み、穴に入れようとするが焦っているため上手く入らない。
「アホか、そりゃどう見ても大きすぎるだろ。貸せっ」
今度は荒ケンが屈んでトライする。
暗いうえに鍵穴の位置が悪く、思うようにいかない。
「くっそー。いらいらさせやがって」
6個目も違い、態勢を変えたときである。
事務所の中から従業員を呼ぶ声がした。

「まずいぞ。誰かこっちへ来るかも」
焦りが募り、荒ケンの貧乏揺すりが激しくなる。
再び隠れる態勢を取るべきか迷っていたところで「カチッ」と乾いた音がして緑青の浮いたフックが持ち上がった。
磨りガラスの光に浮かんだ三人の瞳が一回り大きくなり、顔を見合わせて口元を吊り上げた。
「やったぜ。逆転サヨナラホームラン」
晃二がそう言いながらゆっくり扉を押した瞬間。
ギュィーン。
耳障りな音が辺りを包み、一同身体を強ばらせた。
息を詰めたまま怯えた顔を見合わせる。
晃二は逃げるべきか、様子を見るべきか迷った。

 様子を見るべきだ。
人差し指を口の前にして肯いた荒ケンの表情がそう語っていた。
警報装置でも作動したのだろうか。
ダルマさんが転んだのように静止状態のまま目だけで辺りを窺う。
だが、何の変化もなかった。
ただ一定の機械音が継続して響いているだけである。
「な、なんだよ。俺のせいじゃねぇからな、俺じゃ」
被害妄想が多いウメッチは、身の潔白を訴える。
「おいっ、もしかしてあれじゃねぇのか?」
荒ケンが顎で指した方向に見えたのはベルトコンベアでだった。
そう言えばさっきまでは動いていなかったが、いま見ると壁際に沿って空き瓶が流れていて、音も確かにそこから聞こえてきていた。
「なんだよ、驚かせやがって…。でも、すげぇタイミングだったなぁ」
晃二は憤慨するどころか、その絶妙な間に感心していた。
「なに言ってんや、とっとと出るぞ」
荒ケンは膝蹴りをかまして二人を押し出した。


「うわっ、まぶしっ」いきなり強い日差しの下に出たため目がくらんだ。
三人は一斉に手で目の上を覆い、目を瞬せながら辺りを窺った。
あたりは草木に覆われていたが、緑に混じって様々な物が転がっていた。
庭というよりかは、ゴミ捨て場と言った方が合っていそうだ。
だが、さほど気にならなかった。きっと急場をしのいだ後の安堵感の方が強かったからかもしれない。
「でもさ、よくなんとかなったよな」
「あぁ。それにしても…クククッ。さっきのお前らの顔ったら」
「よく言うぜ。荒ケンだって、そうとうなアホ面だったぜ」
呆然と口を開けて見合わせていた姿を思い出すと笑いがこみ上げてくる。
「ちょろいもんだよ。今度は酒蓋でもいただきに来るか」
ついさっきまで半べそだったウメッチは照れ隠しにそう強がって、鎌を振り回しながら先へ進んだ。
「とりあえずは第一関門突破だな」
二人もゆっくりとそのあとに続いた。

 いつものフェンスが右手にあり、広場の様子も見渡せたが、どこか違って見える。なんだか別の公園に見えなくもない。
反対側からだとこう見えるのかと、大したことでもないのに感慨深くなってしまう。
朽ちたビールケースや古タイヤの山などを避けながら歩いていくと、突き当たりで泥の壁が現れた。
やはり3メートル程だと思われるが、間近で見ると数字以上に高く感じる。
崖を見上げている晃二の横で、荒ケンは色が濃くむき出しになっている部分をスコップで掘り始めた。

しばらくして、こぶし大の塊を掘り出すと地面に叩きつけた。
ドンという低い響きと共に割れて転がった土は粘土質でしっかりしてそうだった。
「よっしゃ、だいじょぶや。じゃあ、はじめるか」
晃二が足をかける位置を見当で決め、鎌の先で四角く輪郭を削っていき、二人は左右に分かれて印の中を掘っていく。
考えながら進める頭脳班と腕力勝負の労働班。
この手の分担作業は、常日頃から言われずしも己の役目を見つけて黙々とこなしていく。
「こんちくしょう」「くそやろう」二人は敵討ちでもしているかのようにスコップを振り下ろしていた。
この方が力が入るというのは分かるが、両側でやられるのはたまったものではない。
かと言って止めろとも言えないので、あきらめて晃二も適当に合いの手を入れてやり過ごした。

 爪先が余裕で入るくらいの穴を四つ掘ると、次はウメッチに肩車をしてもらい、少し上にも同じ様な穴を掘った。
さらにその上にも掘るため、最後は肩に直に乗っかり、全部で八カ所に足場穴を作った。
ただし下側の穴はやっつけで掘ったので、残りの仕上げはウメッチに任せ、二人はさっそく登ることにする。
「ちぇっ。見張りだけじゃなくて穴掘りまでさせるのかよ」
「文句言うなよ。ちゃんとしときゃ、後々役に立つだろ」
「いいから早く土台になれよ」
我ながら上手くいったので、早く登りたくてウズウズしてきた。
結構勾配はきついが、帰りはロープでも垂らせば問題ないだろう。
まずは荒ケンだ。
崖に両手を突き、中腰になったウメッチの肩に跨がり、立ち上がりざま爪先を穴に引っかけて登って行く。
上の段にあがるときの手足の力の入れ方とタイミングがポイントのようだ。沢ガニ取りでよく岩登りをしていた自分たちには問題なさそうに思えた。

 最後の一段に手をかけた荒ケンの姿の上方に、さっきよりも濃い青空が山奥の湖のようにひっそりと広がっている。
気がつくと雲はどこかに流れ、穏やかさを取り戻していた。
「よっしゃ。晃二よ、しっかり手をかけながら登れば大丈夫や」
「オーケー、意外に楽そうじゃん」
今の要領を真似て登るが、高を括ったのがいけなかった。
最後に掴んだ崖上の草がちぎれて、危うく落ちるところだった。
「おぉ。まじでやばかったなぁ」
ほっと息をついて見上げると、荒ケンは黙ったままニヤニヤしていた。
「何だよ。しかとしてねぇで助けろよ」
「こんなとこ、落ちたって死にゃせんよ」
「とことん冷てぇ奴だな」
二人はうまくここまで順調に来られたので、言い合いながらも笑顔だった。

 建物までは残り約20メートル。胸まで伸びた雑草を大雑把に鎌で刈りながら進む。
「結構蚊が飛んでんから、気ぃつけろよ」
「ちぇっ、またこいつらかよ」
以前、竹藪で身体中刺された苦い経験のある二人には天敵だった。
「それよっか、危ねぇつぅの」
追い払おうと中腰で格闘している鎌がブンブン音を立てていた。
やがて建物の影まで達し、一息つく。
辺りは草の濃い匂いが充満していた。
「汗だくやな。なんで、こんなことまでせにゃ…」
「草刈りなんて、普段だったら褒められそうなことなんだけどなぁ」
腰を押さえて立ち上がり、二人は振り返った。
「でも、まぁまぁ良くできてるじゃん」
「周りからは見えんし、トンネルみたいやな」
手応えや成果が見えれば、不満やぼやきは片隅に追いやられるものだ。
窓下まであと少し。二人は「とっととやっちまおうぜ」とすぐさま再開した。

崖から吹き上がってくる風が汗ばんだ身体に心地よい。
後半は鼻歌交じりでリズムも良く、さほど時間はかからなかった。
建物の壁は北側になるからだろう、広場側に比べて空気が湿っぽかった。
実際、壁の下側は苔むしていたため、滑って登り難そうに見える。
「なんかすげぇな。と言うか、ちょっと不気味じゃねぇ?」
目の前の外壁はところどころ変色していたりヒビが入っていたりしている。そこにはかつての風格など見あたらず、アカギレした肌のようで痛々しさを感じた。
年月を積み重ねるうちに忘れ去られ、見捨てられたこの建物の、儚さのようなものが伝わってくる。
壁に軽く触れてみると、そんな哀れみの奥に何故だか懐かしさを覚えた。
なんだか人里離れた山奥に住む老人にでも会ったような、そんな感じであろうか。

「まぁ気にせんと、さっさと潜入しよか」
荒ケンは早く入りたくて、いても立ってもいられないようだ。
「はいはい。すぐ土台になりますよ」
壁に手を付き、前傾姿勢をとると、いきなり荒ケンは馬跳びのように跨ってきた。
「もうちょいか」
そう言って、鷲づかみしたシャツを引き寄せ膝立ちになる。
「く、首が絞まるーっ」
晃二の苦しみなんか気にもとめず、背中をよじ登り、ガラスのなくなった窓枠に手を掛けた。
「じゃあ、いくで」飄々とした声でそう言い、思いっきり晃二の肩を蹴った。
「いてぇなっ、ちょっとは加減しろよ」
文句を言って見上げると、壁と格闘しているスニーカーからボロボロと泥が飛んできた。
「わざとやってんじゃねぇだろうな」
後ろに飛び退いた晃二を鼻で笑って、上半身をくねらせながら窓の中へ滑り込ませていく。
あえぎ声が向こう側に消え、汚れたシャツが見えなくなり、最後に泥の付いた二つの靴底が吸い込まれるように消えた。
と同時に辺りは静かになった。

「……おい、大丈夫か」
尋ねても返事がない。声どころか物音ひとつ聴こえてこない。
― まさか。落ちて怪我でもしたんじゃ ―
突飛な心配事が頭をよぎる。もう一度声をかけたが反応はない。
心配性のウメッチなら、ここで翌日の新聞の見出しが頭に浮かぶんだろうな。
なんて思いながら、晃二は耳を澄ましていた。

 しばらくどうすべきか考えを巡らせていたところで「すげぇよ!」と大声がした。
「めっちゃ広いぜ。何にもねぇし、体育館みたいやし」
突然窓から身を乗り出した荒ケンは珍しくはしゃいでいた。
「なんだよ、人の気も知らないで」
「いいから、早くロープ結べよ」
ホッとはしたが、心配して損した、と、どうすごいんだ、が入り交じって声が裏返ってしまった。

 すぐに安堵感は興奮に取って代わり、だんだん気が逸ってくる。
リュックを担ぎ直し、指の骨を鳴らしていると、目の前にロープが下りてきた。
「壁は滑っから、ロープの瘤に掴まれや」
「オッケー。いよいよか。なんか川口探検隊みたいだな」
先月テレビで見た、地底人を探す番組の冒頭の場面が頭に浮かぶ。
ひと呼吸置いてからロープをぎゅっと握りしめた。
そして二度と戻れないかもしれぬこの地の風景を心に刻むかのように、一度後ろを返り見てから登り始めた。

〈#5へ続く〉
https://note.com/shoji_kasahara/n/n6fdf4147073f

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