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【連載小説】アウトボールを追いかけて 第1話 「フェンスを越えて」 #5

「すっげーー」
 二人は上手く言い表す言葉が見つからず、立ち竦んだまま首だけを動かし続けていた。
粉っぽいコンクリートの臭いと黴臭さの混ざった空気は、外に比べて温度が低く感じられる。
その上、なんとなく密度さえ濃く感じた。
まるで何年も前から時が止まって封印されていたかのように思える。
軽く口笛を吹くと、眠っていた空気が波紋を立てて広がり、部屋の隅々に吸い込まれていく。
窓から差し込む午後の日差しは、割れた窓を型どって床に幾つもの幾何学模様を映し出していた。
歩き出すと、床から微かに舞い上がった埃がその模様の中にチラチラ浮かび上がってくる。
さほど暗くはなかった。だが、晃二はリュックから懐中電灯を取り出し、遠慮気味に辺りを照らしていった。

Photo:Jordy Meow


「…… なんだか、ギャングの隠れ家みたいだな」
これが第一印象だった。
あまりに日常とかけ離れているので、映画のセットだと言われても納得しそうである。
高さは少し低いが、広さは学校の体育館くらいあった。
だが、周りが剥き出しのコンクリートだったので、体育館と言うよりは立体駐車場に近いかもしれない。
競馬場だった頃は1階の馬舎から、なだらかなスロープを3階まで上がっていったらしい、と父親に聞いたことがあったのを思い出した。
だだっ広い部屋の中央に、何故か大きな木製のテーブルと壊れかけた椅子がポツンと置かれていた。
他には何もなく、奥の三分の一は金網が張られて仕切られている。
さっきから、いたる所に転がっているボールには気付いてはいたが、教室の机くらい幅広い柱や、天井近くまである高窓など、今まで見たこともない造りに圧倒されて拾うどころではなかった。

「すげぇなー。こんなとこがあったなんて」
見たこともない光景を目の当たりにして現実味が全然感じられない。
「なんや、違う世界に入り込んじゃったみたいやな」
「あぁ。… でも、入っちゃって良かったのかなぁ」
晃二は米軍施設への不法侵入という後ろめたさよりも、この威圧感あふれる巨大な空間に立ち入ったことへの是非を問いたかった。
「いまさら遅いわ。せっかくなんだから、ちっと偵察してみようぜ」
荒ケンは奪い取るように懐中電灯を掴むと前方を照らし「前進あるのみ」と言って微笑んた。
恐る恐る、上下左右、周り全てに注意を払いつつ忍び足で二人は歩き出した。

かつては壁や柱に白いペンキが塗られていたのだろうが、今となってはうらぶれ、ヒビだらけであった。
壁に描かれた英語の文字は、ところどころコンクリごと剥がれ落ち、解読不能である。
まるでジグソーパズルのピースみたいに、ぽっかり崩れて空いた部分が数多く見られた。
降り積もった埃の上を一歩一歩進むと、荒れた床の形状が靴底を伝わって感じられる。
「あれ見てみい。新聞やで」
柱の陰に褪色して埃と同化している新聞の切れ端が落ちていた。
そっと、壊れ物でも触るかのように指で摘み、晃二の目の前に差し出した。
「なんだ英語か、読めっこねぇよ。それに字が薄すぎるな」
そう言いながらも晃二は目を細めて顔を近づけてみる。
「でも、1 9 6 1って書いてあるぜ。これって1961年ってことだろ? すげぇな、俺達の生まれる一年前の新聞だぜ」
「ほぉー。その頃はここも使われてたんかな」
晃二には考古学的発見のように思われた代物だったが、荒ケンは全く興味がなさそうだった。
「それよりさー」そそくさと話題を変えて、先に進もうと柱の陰から一歩踏み出したそのとき。
「おいっ! 誰かおるで」
そう言うや否や身を屈め、反射的に晃二の腕を下に引っ張った。
すぐさましゃがもうとするが、急な展開に身体が強ばって動かない。
「そのままでええから、ちっと覗いてみろや」
と言われても躊躇ちゅうちょしてしまう。
「右から2本目の金網のポールの横や、はよせー」
恐る恐る柱の陰から覗くと、金網の奥に確かに人らしい陰が見える。
「本当だ。でも、なんであんなとこで…」
背の高さから言ったらアメリカ人のようだが、あんな狭苦しいところにいるのが不自然であった。

「それよっか、どうする? まだ気付かれてないようだし…」
「なにびびってるんや。確かめてみんとわからんやろ」
「けど、やばいって。ちょっと様子みないと…」
「なら、ちっと待ってろや」
荒ケンは腰をかがめてゆっくりと近づいていった。
最初はいますぐ逃げ出したい気持ちで一杯であったが、だんだんと好奇心の方が勝ってくる。
晃二もそろそろと壁沿いに移動した。
20メートル程の距離のくせに、うっすらと紗がかかったように映った。
きっと現実感が薄れているせいで幻想的に見えるのかもしれない。
いや、もしかしたらそこだけ本当に空気の質が違うのかもしれない。

「気がつかれたらソッコウで逃げるからな。ダッシュせぇよ」
横に並んだ晃二の耳元で荒ケンは囁いた。
「まさかホールドアップってことにゃなんねぇだろうな」
…… 。二人の動きが止まった。
「アホ、脅かすなよ。そんときゃそんときや」
「そんときって、俺は囮になんかなんねぇからな」
「ドアホ。そんときゃ黙って両手上げりゃいんだよ」
緊迫感で麻痺してきたのか、ひそひそ話も段々投げやりになってくる。
「いいから行くで」
口をへの字に曲げた二人は前方を凝視したまま、息を止めて爪先歩きで壁沿いに近づいていく。
そして金網まであと少しという辺りで荒ケンは立ち止まり、覗くように背伸びした。
「なんや」一歩踏み出し「へっ?」
そして複雑な表情で振り返り、おどけた声で言った「ありゃ、人形や」
一瞬の間があったあと、晃二は眉をしかめたまま近づいて凝視した。
ふーーっ… 。緊張が解けると同時に全身の力が抜けてしまった。

「なんだよ。ばっかみてぇ」
「ほんまや。アホくさ」
二人は笑いながら近づいて網目から確認する。近くで見れば何と言うこともない、ただの人形だった。
「けったいな人形やな。服まで全部着せてあるわ」
 マネキンとも違うし、確かに奇妙な人形だった。
戦時中に射撃場があったと聞いていたので、もしかしたら軍事目的にでも使われていたのかもしれない。
でも、一体なんのために? 標的かなんかか? 想像は膨らむ一方だが答えは出そうもない。
晃二は考えるのを止め、金網の内側を見回した。
幌をかぶった大きな物体や、スチールのロッカーみたいな箱状の物が連なり、視界を邪魔していた。ところどころに積まれた段ボールや古い木箱が見える。
「なんや、倉庫らしいな。入ってみよか」
荒ケンは窓際にある出入口らしき部分の金網を揺さぶった。
「うわぁ頑丈やな。見てみ、ぶっとい鎖で繋がれてるわ」
晃二は後ろに下がって扉の全体を見回した。
「ゲートの入口と同じパイプだからこりゃ無理だな」
さも専門家みたいな口振りで判断を下した。
そう言えば、ヤンキーはやることなすこと全てでっかく派手だ、とウメッチが言っていたのを思い出した。
「これじゃしょうがねぇよ。どうせゴミ溜めだろ、他を偵察しようぜ」
本当は何か発見があるかもしれなかったので、入りたかったがこれでは仕方ない。晃二はあきらめて奥に向かって歩き出した。

 そのまま金網に沿って進むと、薄暗い空間の向こうにスロープが現れた。
「ここを上がっていくと3階だな」
確かにスロープの間近まで行くと、暗闇の斜め上方に四角く切り取られた3階の壁がうっすらと見えた。
「どや、登ってってみんか」
荒ケンの表情は暗くて見えなかったが、きっと上目遣いになっているに違いない。
晃二は少し考え、無茶は止めた方がいいと判断した。好奇心がないわけではなかった。
「やめとこ、今は。欲かいて見つかったら、元も子もないしさ。って言うか、お楽しみは取っといて、次にみんなと来ようぜ。俺達だけで楽しんじゃ悪ぃよ」
荒ケンが返事をするまで間があったが、なんとなく薄闇の中で彼が微笑んだ気がした。
「まっ、そうやな。じゃ、球でも拾いに行くとすっか」
「おっし、じゃあ、あのテーブルんとこに集めようぜ」
 やっと本来の目的を思い出した二人は、散り散りになってボールを捜し始めた。

Photo:Jordy Meow

こうして改めて見渡すと、不思議な光景である。
がらんとした空間に点在しているボールたちからは妙な存在感を感じた。
光を浴びて自分を主張しているもの、逆に影に沈んで堅く口を閉ざしているもの。
それらは不規則に転がっているのだが、誰かが何かの考えがあってこう並べた、と言われれば信じてしまうような、一種独特な芸術性すら感じられた。それら一つ一つを拾ってきては、ためつすがめつテーブルに並べている晃二の動作は、まるで果物の品定めをしているかのようだった。

「なにのんびりやっとんや。はよ拾って戻るで」
荒ケンの言葉で我に返り、辺りを見回したら、まだ半分以上残っていた。
「あ、あぁ、わりぃ。こっち側は全部拾っとくよ」
晃二は振り返り、小走りで奥の方へ向かった。
「なんだかんだ言って結構あるじゃん」
ボールを拾っては胸元からシャツの中にため込んでいたとき。
あっ! 中腰で目を凝らしていた晃二がふと顔を上げると、壁の途切れた裏側に下りのスロープらしきものが見えた。
さっきの登りスロープのちょうど反対側に位置している。
気がつかなかっただけで、1階への道があるのは不自然なことではない。
一瞬躊躇したが、おもむろに近づいて正面に回り込んでみた。

「……」息をのんだ。
スロープはなだらかに斜め下に伸びていた。
だがさっきと違い、その先にあるはずの1階の存在はなく、真っ暗闇に包まれていた。
寒気のようなものがした。だが反して身体は無意識に二、三歩近づいていた。
しかしそれがやっとだ。
それ以上近づくと、見えない力で引きずり込まれてしまうような錯覚に襲われた。
興味本位で近づく者を寄せつけない確固たる闇の拒絶を感じた。
底の方から唸りのような音が微かに聴こえ、冷めた空気が足下を抜けていった、気がした。
このままここにいるのは良くない、と思い、見えない何かに気付かれないよう、ゆっくりと後ずさりしてその場を離れた。

 ボールを拾い続けながらも、なにか落ち着かない。
あたりまえに下に続いているのだろうが、何故かもっと深い地下の、それもどこか違う場所に続いているような気がした。
ボールでシャツを膨らませた晃二は、戻ってくるなりスロープのことを話した。
「ほぉ、すげぇな。ほんじゃ偵察してくるわ」
荒ケンは懐中電灯片手にスロープに向かった。
晃二はその場に残り、気を紛らわせるように詰め込み作業を再開した。

米軍のナップザックが8割ほど埋まったので、数えてはないが相当な数である。
他にも何か土産になるような物はないかと、辺りを見回したとき、テーブルの引出しが目にとまった。
そのまま上の段を何気なく引っぱってみる。
嫌がるようにガタガタと左右にぶつかりながら開いた引出し中には、一枚の便箋のような物が入っていた。
そっと取り出して眺めてみる。
筆記体の英語で書かれた文章は三行目で途切れるように終わっていた。
もちろん読めるはずもないので、何が書かれているのかは解らない。
なんだこりゃ。
そう呟きながら下の段を開けると、今度は一番奥に小さな茶色い紙が残されていた。
五センチ四方ほどの紙片をつまみ上げ、近づけて見てみると、切り取られた写真だった。
そこにはお婆さんと若い女性と女の子が写っていた。
雰囲気が似ているのできっと家族なのだろう。
三人とも正面を向き、上品に笑っている。
他人の触れてはいけない秘密を覗くような気まずさがあったが、晃二は便箋とともに机の上に並べ、頬杖をついて眺めてみた。
別に謎を解明するとか、ここに残っていた理由を考えるとかでなく、ただ眺めていると、自分の家族の顔が浮かび上がってきた。

「言った通りやな。まじで、ちっと怖いわ」
気がつくと荒ケンが戻ってきていた。
「えっ。あぁ。そうだろ。なんか不気味だよな」
「今度、そのうち完全装備で探検してみようや」
「あぁ。なんだかここには調べることがいろいろありそうだな」
晃二はさっきの得体の知れない畏れや、目の前の写真などが、自分達に何か訴えかけているように思えて仕方なかった。
「これさ、引出し開けたら出てきたんだけど、どう思う?」
 便箋と写真を渡しながら晃二は尋ねた。
「ほぉ。昔の写真かいな。おそらくここで働いていたヤツのもんやろ」
「きっとこの持ち主の家族かなんかで、大事な物かもしれないな。写真の裏側にママとかリサとか書いてあるからさ」
なんだか切ないような、心苦しいような気持ちがじわじわと沸き上がってくる。
「この人は国に帰って家族と再会できたのかなぁ……」誰にともなく呟く。
「わからへんな。ベトナムに行ってたら死んでるかもな」
ポツンと言い放った荒ケンの言葉が脳裏にこびりついた。

 親の話やニュースでしか知り得ていない戦争というものに未だに実感が湧かなかったが、終戦記念日にテレビ映像で見た、ある家族の、特に老いた母親の言葉が思い出された。
「それでも、いつか、きっと帰ってきてくれると信じています」息子の写真を抱えて言った、その姿が急に目の前に浮かび上がった。
― 一体どんな人がこれを置いていったのだろう。そして彼は今どうしているのだろう ―
色々な気持ちがないまぜになり、以前ここにいたであろう男の姿を想像してみる。
「さてと」
考えたってわかんねぇよ、とでも言いたげに、荒ケンはボールを晃二の目の前にかざしてから、ゆっくり窓に近づいていった。
まぁそうだな。いま気にしたってどうなるわけじゃない。
晃二も逆光になった荒ケンの後ろ姿を追いかけた。

〈#6へ続く〉
https://note.com/shoji_kasahara/n/n9d708d2b18e9


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