見出し画像

撮影を通して僕が見ている世界


 
 
僕は写真撮影をしてきて
もう4年近くが経った。
 
 
当時から見たら、
いろんなことが変わった。
 
世界の見え方が当時と今では
全然違うし、
 
 
一番変わったことは、
世界が随分と優しく見えて、
自分のことを随分と、
好きになれたことだ。
 
 
いい意味で、
自分というものは
こんなもんなんだと、
受け入れることができるようになった。
 
 
自分はこれでいいのだと
思えていないとき、
 
僕は、どうにかして
自分を大きく見せようとしてきた。
 
 
つまらない知ったかぶりもするし、
全然思ってもいないことを、
自己保身のために、
その場しのぎのためだけに
口走ったりもした。
 
 
でも、
全然自分というものがなく、
いつもブレてばかりいた時でも
  
 
自分と繋がった感覚、
  
決して独りよがりではなく、
目の前の相手と響き合っている感覚
 
 
そんな感覚を
 
 
写真を撮っているときは
味わえたのだ。
 
 
「こんなに夢中になれるものがあったんだ」
と思った。
 
僕はそれが嬉しかった。
 

撮り始めた頃の葛藤


今のように、
1対1で 
写真を撮り始めた頃。
 
 
僕は写真を撮りながら、
目の前の相手に
 
嫌われたくない
舐められたくない
がっかりされたくない
怒らせたくない
 
そんな風にして
「惨めな自分に
傷つきたくない」
 
 
と思っていた。
 
恋愛が下手すぎるときと同じで、
 
自分にばかりベクトルが
向いていた。
 
 
1対1で向き合って、
写真を撮っているときで、
 
ゾーンに入っていないときは、
 
その感覚が
とても強く感じられた。
 
 
写真を始めたばかりの頃、
 
写真を撮りながら
僕が内側でやっていたことは、
 
 
きっと、そんな風に
 
「自分はどう見られているか?」
 
という意識との格闘が
 
かなりの割合を占めていたんだと思う。
 
 
だから、苦い経験もたくさんある。
 
今考えたら
笑い話だけど、
 
当時は精一杯だった。
それでも真剣だった。

今も変わらないもの 


でも
あの頃を振り返って見て、
わかることがある。
 
それは、
僕が写真を通して得たかったものは
 
結局、
 
ほとんど変わっていないってことだ。
 
 
 
それは、
目の前の相手と、
 
どこまでも響きあうあの感覚を
分かち合うことなのだ。 
 
 
「響き合い」
 
 
それだけが
存在する世界。
 
 
 
そこにワープした瞬間は
まるで別の世界なのだ。
 
 
 
これは
完全に僕の
個人的な感覚だ。
 
 
けれど、
僕が写真を撮る理由は、

僕がどんなにうまく撮れなくても
写真を嫌いにならなかったのは、
 
 
きっとそれがあったからだ。
 
 
 
 
4年撮ってきたけど、
初めの頃の撮影で、
今でも忘れられない撮影というのがある。
 
 
その時の僕は
自分が何のために写真を撮っているかも
よく分かっていなかったけど、
 
けれど、
間違いなくその空間で、
魂は響き合っていた。
 
 
「あぁ僕は、この感覚のために
写真を撮っていきたい」
 
 
そう思ったことを覚えている。
 
 
何度も見失いかけた。
 
何度もブレてきたし、
自分でも何が本当にしたいのか
分からなくなることばかりだった。
 
 
けど僕は、
やっぱりあの瞬間を
思い出す。
 
 
今の僕は、
それが偶然ではなく、
当たり前になれると
思っている。
 

そこから伝えたいこと


 
そして僕は、
あなたに伝えたい。
 
 
あなたは、あなたに
感動できる。
 
 
「この体験を
選んでくれてありがとう」
 
と、自分に言える時が来る。
 
 
だから、どうか、
歩くことをやめないで欲しいんだ。
 
 
今のあなたに、
そして過去の自分に、
 
 
それを伝えるために
 
 
僕の撮影は
ここにあり続けるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?