伊木 翔

1987年生。大学中退後、地元へUターン。アマチュアバンドの活動を経て2011年にロー…

伊木 翔

1987年生。大学中退後、地元へUターン。アマチュアバンドの活動を経て2011年にローカル野外音楽イベントを立ち上げ、2014年まで開催。閉館した映画館・豊岡劇場の復活プロジェクトに参加。2014年末から劇場の現場責任者として企画・運営を担当。2022年9月末に退職。2児の父。

マガジン

  • ローカルプレーヤーの頭の中

    • 33本

    兵庫県北部、但馬地方。どこにあるかもわからない但馬に住むちょっと〇〇な若者たちのマガジン。医者、ゲストハウスオーナー、塾経営者、映画館スタッフ。僕らのnoteとヒトトナリから、こんなおもしろいやつが兵庫県の北側に住んでるのか。そんな風に思っていただければ幸いです。

最近の記事

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みんなのための空間ってなんだろう。

公共性はそこに集う人々の意識によって形成される。 じゃあ公共性を高めるために場の管理者が寄与できることってなんだろう。 このあいだ職場の映画館で起きた出来事で、うーんと考え込んだ。 この日はずーっとこのことについて考えたし、 スタッフとも意見交換したけど 結局、これだ!という答えは出なかった。 映画館スタッフとして出来ること じゃあ障がい者の方や小さい子どもは映画館には来てはいけない、もしくはクレームがあれば強制退出させられるべきなのだろうか。 僕はどんな人でも映画

    • 書籍の著書になりました。

      35年の人生で初めて、書籍の著書となりました! 20名の共著に参加させてもらい、劇場のこれまでから休館を決めた今までのことを書きました。この7年間を凝縮した約5,000字の寄稿。内容としては【僕、伊木翔から見た豊岡劇場と弊社代表 石橋の挑戦】といったものになっています。 amazon等でも買えますが、ぜひ劇場からのご購入をよろしくお願いします! 本に掲載される文章ってどういうスタンス、文調で書けばいいのだろう。書き始めってどんなの?どこからどこまで書くの?という不安を抱

      • 選択肢はあるようでない。ないようであるのかもしれない。

         なんだか色々と考えてはいたのだけれど、詰まるところ「詰まらない話」になったのでメモ程度に記しておく。文章を書くリハビリも兼ねて。  結論から言うと【東京で価値が決まって地方へ波及する一連の流れってなんだか詰まらないな】という話。  職場の映画館には日々、上映作品のリクエストがたくさん届く。「〇〇は上映しないんですか?」「〇〇を上映して欲しいです。よろしくお願いします」など。その中でも一番多いのは、商業大作がメディアに取り上げられることによる反射的リクエスト。うちの劇場で

        • 過去記事のイメージとリアルのギャップによるモヤモヤが解消された話

          なぜか嫉妬しました。 自分たちのことなのに。 一部始終をすぐそばで見てきたはずで、 むしろ当事者だからこそ絶対に書けない。 (技量がないのも原因のひとつだけど) 素敵な内容で何度も何度も読み返した。 他人の、そして行ったことのないどこかの 知らない映画館の物語を読むように。 リニューアル当時の取材ラッシュ リニューアルオープン直後から約1年間、本当にたくさんの取材依頼をいただいた。その結果、数冊の書籍掲載とちょびっとのテレビ放映とある程度の数のウェブメディアへの掲載

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        みんなのための空間ってなんだろう。

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        記事

          日本で4%と言われる無農薬のお茶づくり。

          先日ノムさんの茶園にお邪魔してきた。 茶園を散歩しながらいろんな話を聞いて、 一望できる場所から奇跡の晴れ間が見え、 最終的には自宅兼事務所でお茶を試飲しまくる。 というなんとも迷惑&幸福なひとときを過ごしました。笑 出会いはノムさんが朝来市の竹田に移住してきた直後くらいだったように記憶している。その頃から笑いながら夢を語るスタイル。それは今も変わっていない。 出会ってちょっと時間が経ったある日、"竹田に夜ふらっと寄れる場所をつくる"宣言をしたノムさんは納屋の改装から

          日本で4%と言われる無農薬のお茶づくり。

          リニューアルから5年経っちゃいます。

          オーナーの石橋さんに「一緒に映画館やんない?」って声かけられたのが2013年の夏。たぶん、いくら輪廻転成してもこのナンパ方法はもう体験できないと思う。そんな超絶貴重なナンパにホイホイついていった先がこんな今に繋がっているとは。 巻き込まれ体質確実に人生の分岐点だったなーって思えるポイントがこれまでの何度かあって、ひとつ目がドラム始めた高校2年生のとき。ふたつ目が大学中退するとき。みっつ目が 山下 将幸 に「但馬で夏フェスせぇへん?」って誘われたとき。よっつ目が石橋さんのナン

          リニューアルから5年経っちゃいます。

          続・うちにはテレビなんてなくていい。

          noteで記事を書かなくなって半年以上が経過した。 それでも他の人の記事を読んだりはするし、 1週間に数回はnoteにアクセスをしている。 そこで驚くのが未だに通知バッジが付くこと。 ・あなたの画像が他のユーザーに使われたよー ・前に書いた記事にスキがついたよー ・ずーっと前に書いた記事にコメントきたよー って教えてくれる。 そんな中で一番多いのが「画像使われたよー」っていう通知で、これが数百回使ってもらえてて何気に嬉しい通知なのです。 △よく使われている画像

          続・うちにはテレビなんてなくていい。

          季節の変わり目に

          夜が涼しい 半ズボンの裾から出た足に ひんやりとした気配を感じる 八月の後ろ姿をぼんやりと眺める これで人生三十三度目の夏 スッゲー久しぶりに帰省した友人が ゆっくり話す暇もないまま また会おうな そう言って去っていくときの 言い表わしようのない虚無感みたいに そこにあるはずの何かを失った感がある 「失った」のに「ある」 だなんて日本語は本当に難しい 布団に入るときのBGMが カエルから鈴虫に変わっている お盆明けくらいからだろうか 毎日を踏みしめているよう

          季節の変わり目に

          僕は身近な誰かの死を、客観視できる自信はない

          人は主観と客観のハザマで生きている。 エンディングの『あいことば』を聴きながら そんなことを考えては、2時間の記憶を辿っていた。 実は今も聴いている。 決してガツンッというインパクトがあるわけでも 派手なストーリー展開があるわけでもない。 けれど今でも余韻がつきまとっている。 すごく良い余韻が。 死生観を形成させるものってなんだろう タイトルとポスターだけを見て、 自分の娘に重ねて辛いだろうな そう思ってた。 けどあまりそうは感じられなかった。 それは

          僕は身近な誰かの死を、客観視できる自信はない

          変わりたいと思っているだけの自分を変えるのは愚直に生きている誰か

          変わりたい。 何度そう願ったことか。 他人の良いところを見ては なんで自分はあんなふうになれないんだろう こんなだったら人生変わってたのに 毎秒のようにそう思って 思って、思って、思って、 思ってるだけ。 変われない自分がいる。 そんな経験にグサリと刺さった。 I FEEL PRETTY変わりたい。 そう思ってるだけの自分を変えるのは 変わらない毎日の繰り返しでも 一瞬で夢が叶う魔法なんかでもない。 愚直に生きている誰かだ。 愚直に生きる誰かのリアルな経

          変わりたいと思っているだけの自分を変えるのは愚直に生きている誰か

          あなどってたら、あっさり打ち砕かれた。

          そんな経験ないですか。 新年早々、そんな体験をした。 映画『パッドマン 5億人の女性を救った男』がまさにそれ。 まあええ話なんだろうなー くらいにしか思ってなかった。 なのに観終わって、 大きくため息をつき、 ホールが明るくなってからも 数分間ぼーっとした。 『パッドマン』からイキが感じた3つのこと 生理用ナプキンをインドに普及させた男性の話なんだけど、 個人的に響いたのはそこじゃなくって、ここ。 1|自分、もしくは身近な人の苦しみ=課題を自分ごとにす

          あなどってたら、あっさり打ち砕かれた。

          おくれまして、正月病。

          昨日からなーんか体がシャキッとしない。 少しのくしゃみにティッシュで鼻をふんふんする。 さ て は 風 邪 か 、 風 邪 な の か 。. そんな不安が的中したのか、 倦怠感が体にまとわりついていく。 だるーんとした時間を過ごし、 これは遅れてきた正月感だ と自分に言い聞かせ、のそっと動き始める。 が、しかし やはり体に嘘はつけない。 頭ではシャキッとしたいと思っても 次第に思考まで道ずれに。 老いも同じように、抗えない波のようなものなのだろうか

          おくれまして、正月病。

          死というものから生を逆算する

          先日叔父さんが亡くなった。 つい最近、友人が書いていた記事とも重なって 図らずも死生観について考えさせられることになる。 葬式に参列した日、いろんなことが頭の中をぐるぐるした。 火葬され、骨になった叔父さんを見て感じたこと。 「なんてあっけないんだろう」 何について「あっけない」と感じたのか 自分でも分からなかった。 死とはなんだあの白く、固い物質に内臓や筋肉、皮膚、毛がまとわりつくことによって、個として意思を持ち、思考・行動する躯体となる。 それって何なんだろ

          死というものから生を逆算する

          圧倒的結果=(実行+検証)✖️回数

          最近、過去の記事読み返してて感じたこと。 す げ ー お も ろ い や ん 、俺 の 記 事 。 自画自賛してて自分でもキモいけど、これとか。 面白いし、わかりやすいし、コンパクト。 何がって記事全体もあるんだけど、 スラスラーっと読める文体とか、 論理的なのにチャラかったりとか。 特に書いてるときの自分のスタンスが蘇ってくる感じもすき。 そういう部分的に良いと思ったとこを 過去の記事から書き出してみるのもアリで、 しかも過去の記事のなかで一番スキが多い。 そう

          圧倒的結果=(実行+検証)✖️回数

          オススメしたことを実行してくれた時の嬉しさ

          昨日、フラっと友人が寄ってくれて 久々にゆっくり話してたんだけど、 結構面白かったので書き留めておく。 久しぶりに豊岡中心街を飲み歩いて、劇場にたどり着いたこの友人とは6年くらいの付き合い。 そのくせ案外ゆっくり話す機会がなかった僕たちはたわいものない会話で盛り上がるんだけど、流れで「モチベーション」の話へ。 「モチベーション管理って難しいよね」 という話から 「今PDCAの本読んでるんですよ」 とか 「最近、思考停止ってるよなー」 みたいな内容まで色々話して

          オススメしたことを実行してくれた時の嬉しさ

          映画は具体的アクションへのフックになり得るのか

          どもー、超久々にnote書いてるイキでーす 最近、映画『おだやかな革命』の上映会したいなーとか考えててー っていうか、エネルギーってすげー大事じゃないっすかー 電気使えなくなったらマジヤバくね? スマホ充電できないとかまじ無理なんですけどー この間も台風で30分間停電とか、iPadなかったら超ヒマーみたいな ガソリンとかもう依存大魔王レベルだよねー 仕事行くの自転車とか、むりみー 往復で何カロリー消費させんだよ、痩せちゃうじゃん みたいな。 現状を認識する

          映画は具体的アクションへのフックになり得るのか