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選択肢はあるようでない。ないようであるのかもしれない。

 なんだか色々と考えてはいたのだけれど、詰まるところ「詰まらない話」になったのでメモ程度に記しておく。文章を書くリハビリも兼ねて。

 結論から言うと【東京で価値が決まって地方へ波及する一連の流れってなんだか詰まらないな】という話。

 職場の映画館には日々、上映作品のリクエストがたくさん届く。「〇〇は上映しないんですか?」「〇〇を上映して欲しいです。よろしくお願いします」など。その中でも一番多いのは、商業大作がメディアに取り上げられることによる反射的リクエスト。うちの劇場では全国と同日に公開できる作品がほぼないので、数ヶ月後の上映を検討する旨を回答させていただくのだけど、反射的に「観たい!」と思わせるメディアの力ってすごいと感じざるを得ない。また同時に、東京を優先して上映がスタートするこの業界のスキームがすごく効果的で効率的なことや消費者がそれに慣れている事実を改めて実感。

「銀座で話題の〜」
「池袋で人気の〜」
「東京で爆売の〜」

 ただその反面、東京で決められた価値をそのまま地方で受け入れるのはさすがに思考停止が過ぎるんじゃないの、というのも思うところ。メディアに掲載されないところにも価値あるものはたくさん存在するし、それ以前に"好き"や"良い"を自分で決められることが素敵だなと。自戒も込めて。

 画面の中に並んだ「これ良いよ!」「皆が使ってるよ!」って決められた価値感から選ぶことに慣れ過ぎて、目の前の現実よりもそっちの方が大切になってるかも、と顧みた。もちろんネット上にも良いもの、今の自分に適したものがたくさんあるし、自分で決められる余地もある。ただ情報が多すぎることと、消費者を誘導する大きな流れは自分の価値観の外で決められ、時にはそれを押し付けてくる。

 使うもの、食べるもの、住む場所、時間の使い方、すべてを自分の価値観で決めているかと言われると正直自分は違うなーと思う。それでもいくらか「自分で決められたら素敵だな」という意識があることで、生活の片隅がポジティブな方向に傾けばそれで良い。

そんなことを考えた朝。天気は晴れ。
娘は元気にこども園へ。(園庭でコケた)
息子はストーブの前で睡眠中。
妻は友人へプレゼントするバースデーケーキをつくっている。

それなりの一日へ。
いってらっしゃい。

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