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「人生学」をつくりたい。

先日、旧友から「あなたは最終的に何になりたいのか。」という質問を受けた。

私はこう答えた。「何になりたいという答えは特にない。しかし、成し遂げたいことならある。」

「人生学」の確立

私はその友人に、新しい学問分野を確立させたいという話をした。

「もしこれを実現できたら、社会が変わり、世界が変わる。いまを生きる人だけでなく、これから生まれてくる人たちの役に立つと信じている。」そう語った。

「人生学」から何が得られるか

人生学は一体どういう学問か。

結論から述べると、「人生を豊かにする学問」だ。

そう言える根拠は三つある。

一つ目は「学習者が生き方の選択肢を広げることができるから」である。生き方の選択肢を広げることは、人生を豊かにする一つの手段である。例えば、「ヤクザだけの人生」と「エリートの人生とヤクザの人生」を選べるとすれば、後者の方がいいだろう。それは、選択する自由があるからだ。(※選択肢にセンスがない等のクレームは受け付けておりません。)
二つ目は「学習者が自分に合った生き方を見つける手助けをするから」である。色んな生き方を経験することは、人生を豊かにする一つの手段である。例えば、「ショートケーキしか食べられない人生」と「ショートケーキ、チョコケーキ、チーズケーキを食べられる人生」のどちらかしか経験できないとすれば、後者を選ぶだろう。それは、経験の幅が広がるほど自分の好みを知ることができるからだ。自分の好みを知ることは、人生を豊かにすることに繋がる。
三つ目は「学習者が納得いく人生を歩めるようになるから」である。この三つ目の根拠は、上記した二つの根拠を合体させたものと言えるかもしれない。即ち「学習者の人生観を『広げ』『深める』二つの効果によって、学習者の人生を豊かにする」と言い換えられる。

具体的に何を学ぶのか

こういう疑問もあろう。

結論から述べると、「上手く生きる術」を学ぶ。「人生学」は簡単に言ってしまえば「企業ではなく個人に向けた"経営学"」なのだ。つまり、「いかに自己利益と他者利益のバランスを取りながら存在し続けるか」、その術を追求するのである。

経営学の目的の一つに(かなりザックリ表現すると)、「企業経営をしっかり遂行する」というものがあろう。とすれば、人生学では当然「人生をしっかり歩む」が含まれることになる。

「人生学」は求められている

科学技術が急速に発展している現代において、「何を成し遂げるのか」ばかりが注目され、「どう生きたいのかについて考える」「自分の人生と向き合う」時間が蔑ろにされているように感じられる。その結果、一人一人の自分の人生に対する熱意が薄れ、コントロール感が失われている。多くの人が、生き方に迷走している。実際にデータを載せて根拠を示す訳ではないが、筆者が生きてきた中でそう感じているという話だ。

おわりに

今回のnoteでは「人生学が必要だ」という、(見方によっては)短絡的な話をしたが、本当に大切なのは、より根本の「現代人はもっと、人生を豊かに生きる術を身につける必要がある」という点である。そして、「現代には、そうした術を身につける機会も場所も少なすぎる」というのが筆者の意見であり、「人生学を作る」に至った経路である。

もし人生学が一つの学問分野として確立し、研究所ができ、学会が立ち上げられたら、何が起こるだろうか。

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