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推しを推すことは、人生を見つけ直すことだ

土曜日、初めて三軒茶屋を訪れた。

駅構内に貼られた舞台の広告と、空を突き刺すキャロットタワー。制服を着た小学生がふたり、改札に向かって走っていた。ドライフラワーを直で持った女性が、横断歩道を悠々と闊歩していた。まぶしかった。

キャロットタワー地下1階は、地元と既視感があり混乱した。でもここは地元のどのビルよりも高く、3階には劇場がある。日常と非日常の距離が近い街。

三軒茶屋に来たのは、『推し』の出演する舞台を観るためだった。マギーさん脚本『OUT OF ORDER』のマチネ。私は中村倫也さんのことが、以前から大好きだった。

私が世界のすべてを不信になっていたとき、光になってくれた人だ。私が勝手に光だと思っていただけだが、たしかに私は彼に、彼の言葉に救われた。
彼に縋ることで、私は人生のくるしみを耐えてきた。彼を神様のように思う時期もあった。どんなに日々がつらくても、彼を思う時間だけは、束の間人生から逃れることができた。

でもあるとき、この状態でいいのだろうかと思った。

人生のくるしさから目を背けるために、彼を推し、勝手に崇拝して。自分の人生はずっとくるしいままで、熱に浮かされた夢に逃げている。帰る場所がないままで。そんな推し方でいいのだろうか。

彼には彼の人生があり、俳優として、人として、幸せを目指して生きている。生きるその姿を見せてくれる。だったら私も、幸せを目指して生きるべきじゃないのか。

私はずっと、自分が幸せになることから目を背けていた。本当は幸せになりたいのに、それがゆるされないと思っていた。そう思っていたのは結局のところ、自分自身だった。
私は彼を推すことで、生き方を学んだ。ずっと、救われっぱなしだった。

舞台を観に行くと決めたのは、実際に生きている倫也さんに会いたかったからだ。概念でも神様でもない、ひとりの人間としてそこにいる倫也さんに会いたかった。動悸がして倒れそうだったが、絶対に最後まで見届けると決めていた。


幕が上がる。


彼の姿を見たとき、私は思ったより落ち着いていた。彼が居る、と思った。当たり前だ。彼は概念ではなく、人間なのだから。それでも、ああ、同じ世界に居てくれるのだと思った。一挙一動から目が離せなかった。深く澄んだ声をずっと聴いていたかった。

劇は素晴らしかった。

役者さんひとりひとりがまぶしかった。ひとりひとりの人生がまぶしかった。みんな生きている、と感じた。気づくと声を出して笑っていた。楽しくて仕方がなかった。あっという間だった。本当に一瞬だった。

立ち上がり、手が崩れるくらい拍手をした。ありがとうと伝えたかった。手を叩くことしかできないが、それでも全力で、ありがとうを伝えたかった。

私はやっぱり、勝手に与えられてばかりだ。彼は、与えているとは思っていないのかもしれない。ただ、彼で在ってくれる。そのことに私は救われている。

収まらぬ動悸を抱えて外に出て、初冬の空気を吸ったとき、この感情を書き残したいと思った。そして、今そばにいてくれる人たちに伝えたいと思った。

そのとき、『推し活』という言葉の意味を、やっと理解した気がした。

推し活は、自分の人生から目を背けるためのものではなく、自分の幸せを見つめ直すためのものなのだと。

感情はいつだって身勝手だ。彼にどう感情を揺さぶられ、未来に希望を抱いたとて、結局は私のエゴに過ぎない。それでも私は、推しを推す、という行為を通じて、本当に自分がやりたいことを見つけ直すことができた。


*

私は、本をつくりたい。


決意して口にしたのは、つい最近のことだ。本当は、ずっと前から思っていた。でも、過去の傷がいつまでも疼いて、もう一度傷つく覚悟ができなかった。この文を打っている今も、指が震えている。

何かを表現すれば、ときに理不尽な感情を浴びる。誰もが、私の幸せを望んでくれるわけではない。人がこわくなり、外がこわくなり、薬がないと眠れなくなった。でも私は、世界を諦めたくなかった。もう一度世界を信じてみたかった。信じるというのは、傷つくことを、すべての人には理解されないということを、穏やかに受け入れることだった。

私は、全部の世界線の自分を救いたくて、小説を書いている。誰かを救いたいとか、そんな大層なことは言えない。そんなの烏滸がましい。私の小説を読んで「救われた」と言ってくれるひとには、「あなたが救われようとしてくれたからだ」と言いたい。私は書いて、在ることしかできない。でも、それが救いになることがあると知っている。

いつからか、他者のことばかり考えて生きていた。自己を蔑み、殻に閉じこもり、ひとりで泣いたり狂ったり、もうすべてどうだっていいと、どうせいつか全部終わるのだからと思っていた。でもそれならせめて、自分の意思に従って生きたっていいじゃないか。無意味な世界に意味を見出すのは自分だ。絶望を希望に塗り替えるのも、傷跡を美しく見せるのも自分だ。

劇場を出たあと、夕陽に染まりだした三軒茶屋を歩いた。ずっと行きたかったtwililightさんへ行き、本を3冊買った。たくさんの人の本があった。思いの結晶。いつかここに、私の本を置いてもらえたら。そんな淡い夢を噛みしめながら歩いた。

生きていてよかったと思える日があるから、人生はやめられない。くるしくてくるしくてなにもかも嫌になる夜があったとして、それを超えてなお生きたいと思う理由があるなら、私はまだ、死にたくない。

たくさんの人生が入り交じる交差点で、空を仰いだ。青が頬を染めていて、それはとても美しくて、こんな一瞬があることを、過去の自分に伝えたくて、今すぐ原稿に向かいたくなった。その前に、今日のことを忘れないように。忘れてしまっても、思い出せるように、今、noteを書いている。

私は、あの日生き延びてくれた私と、大切な人たちに、ありがとうと伝えられる小説を書きたい。人生は流れていく。抗えない不幸があるとするなら、幸せには自分で手を伸ばしていたい。それがきっと、過去の自分を救うことになるんだろう。

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