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ただ一緒にテレビを見て過ごすより、いやらしい行為をする方が気楽で安心する(日記)

我が家の車で最近よく流れている曲があって、最初はそこまで好きじゃなかったんだけど、ずっと聞いてるうちに耳から離れなくなって、ふと家でもすごく聞きたくなり、何て曲名だったっけ?と検索してみた。正解はおっさんずラブの主題歌で、sumikaの願いという曲なんだけど、うろ覚え過ぎて、おやじラブのharukaで検索してしまった、けど最近のGoogleはこれくらいは想定内だったようで、簡単に正解にたどりついた。

ただの片想いの曲ぐらいの認識で聞いてたけど、よぉく歌詞を聞いてみると、私の無意識の部分にすごく響く部分があった。

寂しい 悲しいって
隣から私も言いたかったよ
そばにいてよ             
from sumika 「願い」

好きな人が一緒にいるのに、その人は自分じゃない片想いの誰かをずっと見ていて、こっちを向いてほしいけど、好きな人も自分と同じように、片想いの相手に寂しい、悲しい、そばにいてほしいと思ってるはずだから、この想いは伝えずに我慢しておくというシチュエーション。

この光景を思い浮かべると思わずゾワッとした。理由はわからない。思い浮かぶとするなら、小学生の頃から女の子を好きになることが多かったから(私は30代で女から男に性別変えた)、片想いにしかならないのが当たり前のパターンだったので、自分の経験上、この曲が響いてきたのかと思ってみたけど、たぶんそれだけじゃない。もっとさかのぼって幼少期、もしくは、もっともっと生まれる前の宇宙に漂っていた頃の記憶かもしれないけれど、経験したのかも覚えてない感覚だけの記憶だけれど、親との関係に置き換えているのかもしれないと思った。親、、、父親か母親、特に母親のような気もするし、育ての親でもある姉のような気もする。それとも前世からの記憶かも。

実際どうだったかはわからないし、関係ないけど、幼少期の自分が勝手に世界をそう捉えて信じ込んでしまった。振り向いてほしい人は振り向いてくれないものなのだと。この私が決めた絶対真理をいつまでも握りしめて、私は成長していくこととなる。この妄想片想いの切ない状況に気付いてしまうと、本当に生きる気力がわかないというか、脱力というか悲しさ虚しさしかなくなる。幼少期に味わったはずの感情だ。二度と味わいたくないはずなのに、何でだろう、また味わいたくなるのか、自分が不幸だと証明したくなるのか、味わうような状況に自ら身を置いてしまう。そしていじけてどうせ振り向いてもらえないんだと自分に言い聞かせる。たまたまうっかり、相手が振り向いてくれる場合もある。そんな時は絶対に嫌われそうなことをわざとやって、やっぱり振り向いてもらえないということを確認して、不思議と安心するんだ。

sumikaの曲の、

おはよう おやすみって
目を合わせ私も言いたかったな       
from sumika 「願い」

という歌詞もぐっと来た。おはようおやすみを言いあうような家族に憧れ渇望してきた自分もいるし、怖いと思う自分もいる。自分にはそういうのは合ってないんだと頑なに拒否してしまう自分がどこかにいる。今でも油断してると、そんな自分が顔を出そうとする。けど、今はその怖さをそのまま伝えて助けてくれる相手がいるからありがたい。とはいえ、頼ってばかりもいられないし、自分で何とか自分の思い込みな絶対真理を書き換えなくちゃいけない。

今住んでる地域は年末年始は家族連ればかりになる。だからか、気づくと精神的に消耗してる。自分がそぐわない感じがするからだろう。誰かと眠ったり、テレビを見たり、みたいな家族の空間で普通にやることを普通にやるのが苦手だ。緊張してしまってお腹にガスがたまったみたいになる。どのぐらいハードルが高いかというと、性的な行為をするほうが気楽だ。ただ一緒にテレビを見て過ごすよりも、いやらしいことをする方が楽に感じてしまう。コミュニケーション能力がおかしいんだろうな。人との距離感の取り方にいつまでたっても慣れない。それに、いやらしい行為というのは、家族という要素には表向き含まれない。だから家族とは程遠い場所にある。だから安心できるのかも。本当はがっつり家族に含まれる行為なんだけど、ないものとして扱われてるから。

卵が先か鶏が先か、じゃないけど、かつての私は家族にはなれない存在の同性(女性)を無意識だけどわざと好きになっていたのかもしれない。家族をつくるのがこわいから。今は自分の性別も相手の性別もあまり重要視しなくなったけど。昔は自信がなかったのか、LGBTのカテゴリー分けに必死になってた気がする。怖い形相して中途半端なカテゴリーの人を下に見てたかも。今思うと中途半端なのが一番自然な姿なのかもしれない気がしている。地球や宇宙という単位で眺めてみたら、いろんな形態があるし、性別のない世界というのもあるらしいから。

だんだん何書いてるかわからなくなってきた。ただエッセイとして書くんじゃなくて作品として生み出したいと思ってるけど、これはこれでまあいいか。ただの自分語りになってるけど、これでよし。

自分の内側から発せられる何かを、掴んだと思ってもすぐに消えてしまいそうなそれらを、1枚でも多く作品にしたい。同じ感性や同じ心象風景を持つ人たちの元に作品を届けたい。と願って日々描いています。またサポートして下さることでいのっちの電話に使える時間も作れるので助かります!