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墾田永年共財帳|note米飯部

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墾田永年共財法は、令和2年11月1日に発布された法で、墾田(自分で新しくコメントした投稿)の永年共財化を促進する法令である。要するに、note米飯部がコメントした投稿まとめである。
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#詩

墾田永年共財法の公布のお知らせ  note米飯部

note米飯部は、サークルメンバーの投稿にコメントをするだけのサークルです。 私は「noteを初めて良かった」と思う理由の一つが、投稿にコメントが貰えたことだと考えています。応援するクリエイターが心もお腹もいっぱいになるために、いま私にできることは、メンバーの投稿にコメントをするというサークル活動を発足することでした。 note米飯部では、お米とコメントをかけて、コメントすることを「コメントを炊く」なんて表現しています。美味しいお米の代わりに嬉しいコメントをお届けしていま

くらやみが歌ったとき

すべてを なげだしそうになる そんな闇(よる)に のみこまれるとき 生きることへの 情熱をなくすとき こころもからだも 迷子になる くるしみ かなしみ いたみ それは自分の頭が つくりだすもの? すべてはわたしたちがつくる まぼろし? そんな闇(よる)を かかえたまま 雨あがりの朝 森をあるく 静謐(せいひつ)な空気と 雨粒をまとう 葉っぱたち はりつめていた きもちも からだも  一歩一歩 ほぐれていく ひと息ごとに ゆるんでいく そしてふっと 森の空気と とけあったと

[詩] おとうさん

おとうさんがきらいだった おとこだったらよかったなと いつもわたしにつぶやいた あにとわたしがはんたいだったら よかったのに と わたしもおもった おとこのくせに と いわれなかった おおきいんだから と いわれなかった わたしはおんなのすえっこで わたしは ちちのきにいりで それでも そんしているようだった おとうさんがきらいだった おおきくなったらなにになる そうりだいじんが わたしのこたえ だけど いえでえらいのは だんなさんだと おしえられた ほんきでそうだとおもっ

生きたい世界〜ラムズイヤー〜

鉢で育った ちいさなラム(ラムズイヤー) 庭の一画に このちいさな苗を地植えしたのは 去年の夏 枯れそうな時期もあったけれど 親指ほどの ちいさな葉っぱを ぴんとのばし 猛暑の夏を 無事にこえた 少しずつ 少しずつ 秋の深まりとともに 株が増えた 冬がきて 隣で枯れゆく ゼラニウムは ラムと来春の再会を誓い 地下へともぐり ラムはなお その耳たぶのように やわらかい葉を 冬の間も おしみなく あたえてくれた 春がめぐり ラムはさらに おおきくなった ねこじゃらし クロ

きみのしっぽのことを、何で想いだしてるんだろう。

「わたしずっとほしいんだ、しっぽ」っていう 言葉をみつけた。 しっぽが何故欲しいのかその理由もわからないのに わたしもずっとほしいよ、しっぽって思った。 家族と犬の物語にでてくる主人公「ぼく」の妹の言葉。 しっぽって、つくろわなくていいからまんまの 気持ちがでてるからいいんだって彼女は思う。 じぶんの顔って人間ってどうしても <ついつくろってしまう>。 尻尾は誰かに気を遣うこともないし、ありのままの 心でいられるような気がするから。 尻尾があったらよかった

シルバーの旅立ち。。。

シルバー 鋭い眼光 ぶっちょずら  しかし  人に 寄り添う 優しい 雄猫 シルバー 捨て猫。 まだ、生後 数か月の時、 姪のよく遊ぶ 公園のそばに いつも居た。    ある日、  小さい女の子に 拾われそうになった。 なぜか、その子に拾われた猫は すぐに死んでしまう。。。 それに気づいた姪は 自分の家で シルバーと名付け、飼い始めた。 シルバーは人慣れした、優しい猫だったが なわばりを守る 意識が 強い猫だった。 なので、よく ケンカした。 一年に一度は大きな怪我

大人になっても「素直な心」じゃだめなのか。

部屋のベッドの後ろ側に本棚を置いていたことが あった。 その前にに立つと、いつも忘れていたような本に 手を伸ばしたくなることがあった。 そういうときは、ちょっと心が弱っていたり するときで。 その本を読みたくなっているかどうかで じぶんの心の状態がわかったりする。 4列の本棚のちょうど3列目で指がとまる。 背文字を流し読みしながらわたしの指が とまるのは、アンデルセンの『絵のない絵本』 だった。 教室で雲ばかりみていた子供時代だったけど 授業を黙って

#それぞれの10年 それぞれという輪の中にじぶんが、入ってもいいのか不安だった。

この間、#それぞれの10年というハッシュタグを つけて投稿した。 でもちょっとだけ。 後ろめたいというか、じぶんが書いてもいいのか といったもやもやとしたそういう気持ちが ぬぐえないところもあった。 昔、阪神淡路大震災が起きた時、わたしは神戸では なくて大阪の北摂あたりに住んでいた。 家が壊滅したわけでも、電気が止まったわけ でもなく。 ただただ揺れに耐えていただけだった。 ニュース映像で真っ赤に燃える街並みが ただ怖くて。 ひとりひとり眠るのが嫌だ

【予告】久々に投稿できる!うれしい😭ツキカオリさんに教えてもらった、300人の応援があれば出版できる企画突破に向けた作戦記事です。今日18:00更新。出版の夢が近づいてきました!!

【詩】ハスキー

小学生の頃、迷子のハスキー犬を拾った 痩せ細っていて、濁った瞳には 暗いブルーが宿っていた そいつは土手にぽつんと立っていて こっちにおいでと呼んでみると 家まで大人しくついてきた ハスキー犬を従えて歩くと 自分が強くなったような気分になった ハイウェイ・チルドレンの花が咲いて 太陽は冬の化粧をしていた 餌を与えると行儀悪く食べた 大きな犬の頭を撫でたの初めてで 目を覗き込むとだいぶ老いていることに気づいた それから2~3日、飼い主を探して 探偵のように町を彷徨った 無事に見

お土産

家内が急に、身内の弔事で関西に帰ったのは、先週の日曜日だった。それから、ちょうど一週間になる。 家内の旅は、決して、楽しい旅行ではないので、お土産などというものは、望むべくもないのであるが、どこか、ウキウキの家内を見て、心の中のリトルkojuroは、 おいおい。浮かれてるんじゃ、ないよ。 と、聞こえないように呟いた。 ところが、家内が帰宅すると、机上に、こんなものが置いてあった。 そして、家内が言った。 コジ君、妖怪好きだから。 確かに、私は、水木しげるファンで

木の葉のように生きてゆきたい。

何かが舞い落ちてゆく姿を見ているのが好きだ。 今の季節なら、落ちてゆく葉。 その一葉の葉っぱのどこかが身体をかすめてゆく時 彼ら葉っぱは、自由を勝ち取ったねって すこしだけ思ったりする。 幹という所属していた場所から離れて 無所属になったときの風通しのよさ。 幹をゆらすと、しゃらりと音を立てながら 土の上にこぼれ落ちてゆく落ち葉。 いつの間にか、緑色だった葉が枯葉色になって 季節が過ぎゆくのを感じるけれど。 つながっていた幹から、ふいにまえぶれもなく

詩は詩歌に含まれるか?の話

恐らく殆ど需要の無いと思われる話をしてみようと思う。← 「わたし達が普段書いている詩って【詩歌】に入るのか?」←だ〜れが知りたいのじゃそんなもん。 これ、実はずっと疑問で、ついに仲間内で問いかけてしまった。ほらほらまた始まったよ、みたいな…… 応じてくれる優しさがありがたい。 さてさて辞書で詩歌を調べると、こうなる。 1 漢詩と和歌。 2 詩・和歌・俳句など韻文の総称。 これをストレートに読むと、答えは否となる。わたし達が普段書いている詩は、自由詩だからだ。韻文ではな

『涙川』

昔、ある人が言いました。 「一期は涙の川をただ一人、小舟漕ぎ渡りゆくようなものだ。 涙は、愛別離苦の涙、後悔の涙、悔し涙、苦しみの涙、喜びの涙、、、 そして例え一時、誰かと並んで漕ぎ行くとしても、、、 逝く時はみな一人。 それが人生というものの定め」 ならば、、、私は、、、 貴方が何処で舟を走らせていても、心を飛ばし寄り添って、、、 貴方がせめて、少しでもゆるやかに渡ってゆけますようにと ときに荒波に翻弄されても、何とか無事に渡って行けますようにと 、、、そ