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大人になっても「素直な心」じゃだめなのか。

部屋のベッドの後ろ側に本棚を置いていたことが

あった。

その前にに立つと、いつも忘れていたような本に

手を伸ばしたくなることがあった。

そういうときは、ちょっと心が弱っていたり

するときで。

その本を読みたくなっているかどうかで

じぶんの心の状態がわかったりする。

4列の本棚のちょうど3列目で指がとまる。

背文字を流し読みしながらわたしの指が

とまるのは、アンデルセン『絵のない絵本』

だった。


教室で雲ばかりみていた子供時代だったけど

授業を黙って受け入れないという態度。

そんなうわの空状態がいつまでもゆるされる

ことはなく、それが終わりをつげるのは

小学校6年の時だった。

わたしはカトリック系の学校に通うことに

なった。

そこでチャリティーセール、いわゆるバザー

みたいなことが学校の行事であったとき。

輪投げコーナーのゲームでおもいがけず

手に入れたのがこの絵本だった。

その時の正直な気持ちは、本が苦手だったから、

どうしてこれを手に入れてしまったんだろうと

いう、正直残念なきもちだった。

転校生だったので,、クラスメートになって間もない

彼女たちは、よかったねぼんちゃんって口々に

言ってくれて。

よろこびに応えなければいけないと思ったので

彼女たちをがっかりさせてはいけないと思い、

うれしいとかよかったとか言ってしまった

と思う。

これって嘘ついちゃったなっていうか、

彼女たちのことばをそのまま傷つけたくなかった

気持ちが勝ってしまっていた。

そんなふうにちょっとだけ苦い思い出のある本

だけど。

引っ越しのたびにこの本は売られることも捨てる

こともなく、ずっと今も持ち続けている。

あらためて開くと、一枚の栞がページの合間に

はさまれていた。

黄緑の色画用紙のてっぺんに、パンチで開けた

まるい穴には、今は色あせてしまったピンクの

リボンが結んであって。

そこに誰かの手書き文字で(たぶんシスターか

どなたか先生のものだと思う)

<あなたの素直な心があなたを救います>

って書かれていた。

なんだか、その文字のつらなりを目にした

途端、何十年もわたしは見透かされていた

気持ちになった。

たぶん、この本をはじめて手にした時も、

幼かったわたしは、この栞のことばを目に

しただろう。

欲しいものじゃなかったこの本を手にして

みんなに愛想笑いしてしまった後でみつけた

ページにはさまっていた栞のこのことば。

たぶん、胸にまっすぐささってきた刹那、

神様はやっぱりいるんだなってちょっと

ぞぞぞっと怖くなっていたかもしれない。

<素直な心>。

こんなにシンプルな言葉が今になって

皮膚をとおってどこかわからない心の居場所

あたりに届く。

素直な心って、子供の時にはすごく求められる。

素直ないい子だねとか。

わたしはなかなか素直じゃなくて。

まわりの大人たちを困らせていたと思う。

ほんとへそ曲がりだったし。

嫌な時は帽子についているあのゴムを口に

くわえてすごく嫌そうな顔で写真とかに

写っていることが多かった。

素直に書きましょうと言われて素直に作文を

書いたら書き直しを命じられてから、素直って

なんだって思うようなこともあったけど。

大人になってからはどこか素直だねって

言われることが多くなって。

でもそれは、鵜呑みであったり、なにも考えて

いないとか、異議申し立てをしない扱いやすい

人だという別名のようで。

素直だねって言われることは、必ずしもほめ

言葉ではないことを知った。

でも、最近もしったことだけれど。

間違ったことに気づいたらちゃんと謝る大人の

人ってほんとうにいいなって思う。

それってなかなか負荷のかかる行為だから。

謝ってからどうすればいいかを考えてゆく。

それが大人としての<素直な心>なのかも

しれない。

たいせつな人やたいせつな出来事、たいせつな

モノの前では、<素直な心>でいたいんだという

想いが最近つよい。

夜空の月が見て来た話を売れない画家に一夜ごと囁く。

というお話の本だったけど。

内っ側の声がもうすでに、『絵のない絵本』の栞の

言葉に記されていたみたいで。

こっちにあるこころがあっちのページの中で、

ずっと待っていたのかと思うと夜が

ちょっとだけゆらいだ感じがした。

逃げ続けて しゅんとゆらいだ いまのはほんと
こわれてく あめかぜの音 しずまりますように





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