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勉強って難しい(でもやりがいもある)

少なくとも一週間に一回はnoteを書こうと思っていたのに、随分と間が空いてしまった。頭の片隅にはいつも書こうという気持ちがあったものの、つい後回しになってしまった。コツコツ出来ない自分に腹が立つやら呆れるやら。とほほ。

そんなことになったのは、課題に追われて気持ちが落ち着かない日々が続いていたためだ。
私は今英語とスウェーデン語を勉強しているのだが、スウェーデン語は学校に教師が不在のため、完全リモートで行っている。それがなかなかきつい。

コロナ禍の時もリモートで勉強はしていたが、その時は毎日先生の顔を見ながら授業を受けていた。しかし今回はそれは一切なしで、与えられた課題をひたすら期限までに提出し、フィードバックを待つのみ。
一応チャットでいつでも質問してね、ということにはなっているが、日々生まれるちょっとした疑問を会ったこともない先生に次々と鬼チャットするのも気が引ける。

そんなこんなでモヤモヤしながらもなんとか課題を提出し最後の試験を待つのみとなったので、こうしてnoteを書けているわけである。

それにしても、課題は難しかった。私は日本で大学生をやったことがないので余計にそう感じたのかもしれないが、この課題を日本語でやれと言われてもそれなりに時間がかかるだろうなぁと思う。

まずは議論文。これはスウェーデン語の様々なクラスで幾度となくやらされていたので慣れてはいたが、議論慣れしていないザ、日本人の私には苦痛でしかない。もちろんちゃんと意見の根拠を示さなければならないので、調べ物も大変だった。

次は読書感想文、と言うか分析、ということだったので色々と書かなければならない項目があり、面倒だった。課題図書の中で一番とっつきやすそうなスウェーデンが世界に誇る児童文学者、アストリッドリンドグレンの処女作、ブリット=マリはただいま幸せ、を選び、ズルをして日本語で先に読んでしまった。舞台は1940年代のスウェーデンの小さな街であり、当時の人々の生活をうかがい知れて興味深かった。

次はプレゼンテーション。これは内容も難しかったが、別の意味でも苦痛を伴う課題だった。自分自身をビデオに撮り提出しなければならなかったのだ。自分の映像を見る時の何とも言えぬ気まずさ。見返したくはないが間違いがあるかもしれないのでやむを得ない。案の定気付かないうちに言い間違いをしていて撮り直し。しかも大体5分程度と書いてあったのに、すっかり忘れて9分もの超大作を送りつけてしまった。結果はまだ来ない。どうしよう、再提出だったら。

そして最後は要約文。いくつかのサイエンス雑誌の中から一つ選んでその記事を要約するというもの。かなり専門的な記事もありゲンナリしていたが、一番興味があり、文字が大きめだった言語についての記事にした。それでももちろん簡単ではなく、単語を調べまくりながら頭の中で文章を整理して、重要なところをうまく繋ぎ合わせる作業はなかなかの労力だった。

課題を終えて思ったのは、大学で勉強してきた人にとっては楽勝なのかな?という疑問と、文章を書くのが得意でない人にとっては地獄だろうな、という感想だった。

私自身は文章を読むことは好きな方だし、書くことも秀でてはいないが嫌いではない。だからこそ頑張ってベストを尽くそうとも思えるが、元々このようなことが苦手な人にとっては本当に大変だろうなと思う。この国で大学に行きたいという人にとってはこの科目を選ばなければいい、という訳にもいかないわけで、改めて外国で学ぶということの難しさを感じた。

私も今後のキャリアを考えて大学に行こうかと考え中だが、私が勉強したい学科の必須は英語だった。ショック。こちらの方も、引き続き気合い入れて勉強しないとなぁ。スウェーデン人の英語レベルは高いので、ついて行くのが大変です。とほほ。


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