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自分と向き合いたいなら、遺書を書け

いやぁ、トイレの便座ってのはリビングのソファより落ち着くなぁ。

穿いてないのに安心する。

そんなとにかく明るくもないし安村でもない私なので、コロナの影響をもろに受けている。精神的に。

いつ自分が感染するかわからない不安。コロナってさっきまで元気だった人でも、急に容体が急変するのが1つの特徴なんだとか。

だから、いつ死ぬかわからないという状況に陥った今

初めて遺書を書いてみた。

【目的】
■いついなくなっても言い残すことが無いように記すため

【発見したこと】
■自分が死ぬ悲しさより、遺された人達のことが心配になる
■普段不満とか愚痴が溜まっているのに最後は感謝しか出てこない
■思っていたより良い人生を送っていた のでは?

もし明日死ぬとわかっていたら、誰にどんな風に何を伝えたい?

急にポックリ逝く人もいる。でも、知っていたら?死ぬのが明日だって。

準備の時間があるとしたら、後悔のないよう今まで思っていたことは伝えておきたい。

特に両親には、このように記した。

「私が1番したくなかったのは2人を悲しませること。だからどうか、私のためにも、暗くならず、また明るい家にしてほしい。私は間違いなく2人を選んで生まれてきたのだから、後悔なし!また次も必ず、あなたたちを選びます!ありがとう」

娘として先に逝ってしまうことの申し訳なさと、遺される両親が悲しみのどん底に突き落とされる状況に対しての心配を、なんとか軽減したい思いで書いた文。そして来世でもまた必ず会えるよっていう希望を添えた。

きっと亡くなる方だって悲しませたかぁないよな。場合によっては、逝ってしまう方が割り切れていて、遺される側がわんわん泣くから、それでもって悪いことしちゃったな、遺しておいて本当に大丈夫かなって心配かけてしまってるのだろう。これを書いてそんな気持ちになった。だからもし準備期間があるなら、まだこれから先の人生がある、大切な人達の支えになるような言葉を遺して逝きたい。


普段考えていることと、出てくる言葉が違った

フタを開けてみれば、「ありがとう」「幸せ」が乱用されているような遺書ができあがっていた。

え?こんなに毎日、仕事嫌だ お金が無い なんて愚痴やら不満やら頭の中に浮かんでいるっていうのに、最後となると伝えたい事はシンプルだった。

結局、人は何かを失うとき、それが良かったことに気付く。どこかで聞いたことある人間の習性だけれども、本当にそうなんだ。

今は仕事が「ある」。

お金が無いと言っても生活していく分は「ある」。

「ある」のが当たり前になっている。でも、それが無くなったり終わったりするときに出てくる感情って、感謝なのだ。そして、ありがとうと言える対象が沢山存在していることがわかり、自分がとっても幸せなのだと気づく。


生きよう、と改めて思った

間違ってほしくないが、私は遺書を書いたからと言って本当に死にたいわけでも命を絶つことをすすめているのでも決してない。あくまで、もしもの場合に備えて準備したのだ。だって、悲しいことに、今のこの状況で絶対死なないとは言い切れない。コロナに対する危機感はそれくらいであるべきだとも考えている。

そして、遺書を書いてみたことで、改めて生きようと思った。生きていると大変だ。苦しい。仕事もきつい。だけど、こんなにも人に囲まれて、便利な国にいて、美味しいものも食べて、家にいてもネットで人と繋がれて。

そして、書いている間に顔が浮かんだ人達。その人達って自分が死んだら泣いてくれる人達だと思うんだ。自分がいなくなって悲しんでくれる人がいるだけでもう、いい人生だったんじゃないかなぁ。そう思うと、やっぱりその人達を悲しませないためにも、生きなくちゃ。

自分の心の奥と向き合える

少し怖いことを言うが、遠すぎた「死」が今ひょんなことから身近になっている。もちろん、そうならないために1人1人が最善を尽くさなければならない。私もずっと引きこもりだ。大好きな飲み会も自粛。内と向き合えるこの機会に、是非考えてみてほしい。もし明日が最後の日だとしたら、あなたは遺書に何を書くだろう。便箋にも限りがある。本当に伝えたいことは、顕在的な内容ではなく、あなたの心の奥にある気持ちなのかもしれない。


最後までお付き合いありがとうございました。

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