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メキシコ滞在記③ "メキシコの友人と今そこにあるつながり"

「自分探しの旅の果てに、自分は落ちていない。」

だから意味がない。
私は大学生のころからそう聞かされ、そう信じ込んでいた。なぜだろう、「自分探し」って、その言葉自体使い古され、ヒッピー的な思想が、なんとなく好きではなかった。
だから、自分自身がまるで自分が疑っていた「バックパッカー」といった地位になったかのように、「メキシコ」という異国の土地で「自分探し」を結果的にすることになるとは、思ってもいなかった。
新卒2年目の長期休暇をいきなり申請して、メキシコで意図せずして出会った「言葉」、その言葉達に1つ1つ出会っていくたびに、私は自分探しの旅の答えに、一歩近づいたような気がしている。

今、私が人生において探し求めていた意味、や生きる糧は、お金や職業や社会的地位など一切取っ払った、「人間的なつながり」にあった。

メキシコに私が発ったのは、10月7日の金曜日である。私はその日に飛行機が成田空港を発つ直前まで、本気で今の会社を辞めようと思っていた。
人生の意味と目的を考え続けてしまう私の性格は、意味や個人の意思が一切介在しない「結果」を求め続ける外資企業に、至極向いていないことに気づいていた。業務時間が異様に長い割には、15年間も結果の出ていないプロジェクトに従事し、精神がすり減るばかりの毎日だった。仕事などやめて、執筆に専念したい。もっと自由な時間が欲しい。新しいことに、挑戦する体力が、欲しい。自分は一体何をやっているんだ、と、胸が張り裂けそうだった。
メキシコから帰国したら、辞任届を出そう、と思っていた。17時間の行きの飛行機で、頭が割れるほど考えた。私が今ここにいる意味を、会社を休んでまでしてメキシコの友人の結婚式に出席する意味を。

このエッセイで、メキシコ滞在期も最終章となる。
以前の記事にも書いた通り、私は今回、長い間仕事を休み、メキシコへ渡航していた。友人の結婚式の出席のためである。


友人との出会い



友人と私は、2年前の東京、渋谷のお好み焼き屋で出会った。
日系企業勤務で、メキシコから2年の契約で日本へ来ていた彼女は、呪術廻戦やジョジョ、日本の一昔前のアニメやゲームという、私と共通の趣味を持ち、すぐに意気投合した私達は、良く時を共に過ごした。
初めて遊んだのは、新宿のSquare Enix Cafe。帰国する直前まで、池袋や秋葉原のゲームセンターやコラボカフェに行っては、夜遅くまで遊んでいた。

国籍も人種も年齢も違うが、私と友人は非常に「似ている」。
正義感が強すぎるところ。真面目過ぎるところ。感動屋なところ。自分の感情に素直すぎるところ。他人への思いやりから、自分を責めたり犠牲にしてしまうところまで。

大人になると、人生には、「この人といたら楽しくて仕方ない」「なんでこんなに自然でいられるのか」と思える友人が現れることに気付く。
友人との出会いもそうだ。全世界77億人の人口の中で、生涯直接会える人数なんて限られている。その中で出会えたごく少数が、自分とピッタリ合うという事象。そこに理由なんて、きっとない。自分のそれまでの生き様がもたらした、人生の導きなのだ。

そんな友人には、母国に遠距離中の彼氏がいて、コロナ禍の影響で、「2年間」の遠距離恋愛を強いられていた。コロナ禍の影響で、一度も会うことを許されなかった。それなのに、2人の結び付きは、全く緩むどころか、2人は共に歩み続けているように見えた。
映画鑑賞、料理、カラオケ…。
2人はそれらを、地球の裏側同士で、同じ時間に同じことをして時を過ごした。お互いの愛の深さに、勝るものを私はこれまで見たことがなかった。。2人の関係は、羨ましくもあり、何よりも「美しかった」。

友人のメキシコへの帰国後、その帰国の初日、友人とその彼氏は婚約した。私は友人代表として、結婚式に招待された。
メキシコで、私は友人とその彼氏(旦那)の市役所での結婚から、結婚式、その後のパーティー迄、全て一緒に時を過ごした。
友人と旦那の2人の信頼と愛の形は、今まで出会った全ての「愛の形」とは非なり、自然で必然だった。
2人が5日後に夫婦となることは運命の導きだった。共通の趣味や嗜好は勿論、人柄、性格、生まれ育ち、人生観…。すべてが、美しくsynchしている。

メキシコ滞在中の11日間、大きく心は揺さぶられ、帰国後のことを考える余裕など、なかった。今思えばそれはかなり有難いことだった。

全てが終了したメキシコでの最終日、私は最初の言葉に出会うことになる。
最終日、友人もその旦那も、私に何度も「メキシコはどうだった?」と聞いた。初めは、「本当に素晴らしかった。有り難う。」とだけ答えていた。
だけど、私の心の中にある感情は、気づきは、それだけでなかった。
その時、私が発した言葉。涙組みながら、車窓から草原を照らす夕日を眺めながら言った言葉が、私の今の答えなのではないか…そう感じた瞬間が、訪れた。私は、自分の言葉の後に、"In many sense"(色々な観点から)と付け加えた。
それから、私はこう言った。

"The fact that I could know that beautiful people like you are here in this world, is enough for me. "(この世界に、あなた達のような美しい2人が存在してくれていると知れたことで、私はもう十分なんだ。)

本心だった。口から自然に流れ出た。
 思えば、初日に2人に空港で出会ったとき、私はもう「家族」のような親しみを感じていた。(それあは実際、メキシコでは、近しい友人を "La familia" (家族)と呼び合うからかもしれないし、やはりこうしてメキシコに彼らに会いに行った、ことにも、特別な結びつきがあるのかもしれない。)
 最終日に帰国のため別れを告げた現地の空港で、友人は私を抱きしめながらはっきりと、私に" I love you"と何度も伝えた。今まで、ここまでハッキリと言ってもらったこと等、なかった。私は嬉しくて寂しくて、目から涙がこぼれ落ちた。そのことの意味に、帰国するまで、気づかなかった。
その意味。
「東京で友人に出会ったことから、すべてが始まった。」
その友人が、私を「愛してくれる」こと。これからも友人であり続けること。友人と旦那が、強いまま、美しいまま、変わらず私の友人でいてくれること。もっとシンプルに言えば、「大切な人と出会い、思いやること」。
この事実がこれからも存在し続けるだけで、私は、幸せだった。それは、複雑だが便利な社会に生きようと、数百年、数千年前に生きて居ようと、変わらないことだった。行き先が常に不透明な人生において、それほどまでにシンプルなのに心強いことは、ないのだ。

友人の旦那や友人の友人達は、「僕たちの結婚式のために、日本から来てくれたことが、あなたの人格を表している」、「わざわざ日本からこのためにきたの?凄いね。」と何度もそう言った。
だけど、私にとっては、非常に自然な決断であったし、人生の節目だった気もしているから、必然だった。

私の友人への言葉。それがメキシコで出会った言葉だった。それは、私の口からついて出た、私がずっと追い求めてきた言葉だった。


美しい人



それだけじゃなかった。
最初日、私は友人の家族とも別れを告げた。
友人の両親から叔父叔母、いとこや友人まで、20人くらいが一つの家に会するのだから、私は正直、少しノイローゼ気味になっていた。
それでも、友人の両親は、英語が少ししか通じない、スペイン語がわからないながらも、私を本当に大切に扱ってくれた。
私は最終日、スペイン語が話せない、聞き取れないことへの苦しさと別れの時間が来ていることの雰囲気から、一人一人に向き合える自信がなかった。
皆、キスを交わしたり、抱擁したりして、別れを告げていく。
その中で、友人の父親と、別れの挨拶を交わす時が来た。

友人の父親は、私の前に立って、大きく両手を広げた。笑みを浮かべたその表情には、涙が光っていた。私は、この一瞬のためだけに練習してきた一言を、伝えた。
"Fue un gusto conocerlo." (あなたにお会いできて、光栄でした。)
その一瞬だった。友人の父親は、私を抱擁していた両手をそっと話すと、私の目を見て、私のためにゆっくりと、こう言ってくれた。全部は覚えてない。だけど、なぜか、全部、彼が言ったことを、理解できた。
それから、最後のこの言葉。

"Te queremos. I love you so much. Linda." (私たちは皆、あなたが大好きだ。美しい人。)

私は、涙をこらえることが出来なかった。もう、"Gracias"(ありがとう)だったか、"Thank you" だったか覚えてないが、出来る限りの感謝と愛をこめて、私は何度もそう言った。友人の父親に、その言葉を貰ったこと。その時感じた愛情は、これからも私の人生の根幹になるに違いない、そう確信した瞬間だった。


行かないで



それから、もう一つ。
友人の友人で、彼女が日本にいた時にも何度が会ったことがあった、職場の同僚である共通の友人がいるのだが、彼は非常に面白くて賢い男性である。
仕事以外では非常におちゃらけた性格なのだが、職場では非常に真面目だというから、ギャップがすごいらしかった。彼には、9歳の娘さんがいた。
彼とその娘さんとは、メキシコ到着後の友人宅と、結婚式のパーティーで再開したのだが、私はこの娘さんと、言葉は完全には通じなかったが、どこか意気投合した。
彼女は、英語を英語の歌の歌詞から勉強していた。
"You"とか、"No problem"とか、"I can do it"とか、簡単な英語が話せるから、私もつたないスペイン語で話して、それでも会話が成り立っていた。
初めはピアノを一緒に弾いたり、お菓子を一緒に食べたりしていたから、寧ろ言葉なんて必要なかった。ゲームが好きな彼女のことだから、"Undertale”のテーマソングを弾いたりして、笑い合った。

結婚式のパーティーで、私は彼女と再会した。
彼女は、ミニクッパの人形を持って、パーティーに来ていた。
話せば長くなるが、友人の男性とその娘さんのダンスは、目を見張るものがある。メキシコ人がダンスが得意なのはもちろんだが、2人のダンスは、普段はふざけてばかりいる友人の男性の娘を思い愛するすべてが、そこにあった。
パーティーが終了に近づき、娘さんと私は向き合いながら、写真を撮ったり、彼女が得意な体のトリックを披露して、私が凄いね、と笑って話していた、その時だった。
「今度、私の家に来て一緒にゲームをしようよ!」
彼女は私にそう言った。
「…。」
私は、無言で隣で通訳の手伝いをしてくれていた友人の顔を見た。
友人は、悲しそうな顔をしていた。
私も泣きそうになるのを必死にこらえながら、友人を見て、"but..."とだけ言った。友人は、娘さんに「もう彼女は明日日本に戻らないといけないんだよ、だからきっとできない。」と言った。
私は、何も言えなかった。言葉を、知らなかった。ただ、悲しい顔をして、何とか笑いかけながら、しゃがんで彼女の顔を見て抱きしめた。
その時だった。
"Don't go. Please stay."
彼女は、英語でそう言った。
私は、その言葉を聞いた瞬間涙が溢れ出た。彼女を、強く抱きしめた。
それから。
"I love you."
彼女は私にそうやって伝えた。
隣で通訳をしてくれていた友人も、涙ぐんでいた。私は、最後までしっかりと彼女を抱きしめることしか、出来なかった。
9歳の娘さんが、私を好きになってくれて、一緒に遊ぼう、行かないで、と知る限りの英語で、私に伝えてくれたこと。
もっとスペイン語が分かったら、私はどれだけ彼女のことが好きか、私ももっと遊びたいと思っているか、伝わったに違いないのに。
私が、与えられてばかりだ、そう思った。純粋に、これまで尊いものはない、そう感じた。笑顔が素敵で賢い彼女が、大好きだ。
必ず、スペイン語で彼女と会話をするときが、一緒にゲームをする時が、やってくる。その時まで。
私がスペイン語を今でも勉強し続けている理由は、そこにある。

9歳の少女に、かけがえのない言葉を貰った。
そのために生きていく、と言っても過言ではないくらい、尊く、美しい経験である。



最後に


私に言葉を与えてくれた3人の人たち。3つの言葉。

それだけじゃない。数えきれないほど、私は言葉を貰った。メキシコで出会った友人のいとこに一生懸命スペイン語を教えてもらった。早朝から2時間車で運転して訪ねてくれ、再開を果たした米国時代の恩師に、"I did'nt wanna miss this chance."(この機会を逃したくなかった。)という言葉を貰った。数えきれない。心が、満たされている。

私が友人と東京で出会ったことから始まった、メキシコでの旅路。
私は、人のつながりを信じて、ここまで生きてきた。

帰国から1週間経った今、仕事用のPCを早朝にこっそり開いて、このエッセイを書いている。そう、私はまだ会社を辞めていない。
離陸前に考えていた、仕事の意味。人生の意味。考えれば考えるほど、内なる声の邪魔が入る。それは、IT企業、DX社会、人生100年時代という
超発展社会の日本と、米国・中国を中心とする国々。それとは対照的な、もはや第三世界ともいえる、時がゆっくりと流れるメキシコにおいて、私は、究極的にシンプルでそれでも最も今、正解に近い人生の答えを、少しだけ見出した。

それは、3つの言葉を貰って、それらに共通する私の思い。
「私がつながりを感じる人や、大好きな人たち。その人たちが、私を思い、私がその人たちを思い、それが、私の幸せにつながる。」

仕事の外、中で感じる人のつながりと、それをベースにした私の決断。それを後押ししてくれる、大切な友人達。だから、私はメキシコでの体験を何度も反芻し、自分の納得のいく答えを見つける決心をした。

今日も一日が始まろうとしている。
今、地球の裏側で、同じように、私の友人と家族が生活をしている。

言葉や人とのつながり、それだけで人生がスムーズに行くとか、そういう話ではない。だけど、自分がどんな理由であれ、つながり、愛する人たち。
それは、自分の人生の糧になることは、もう間違いないのである。
たとえ、地球の裏側であろうと、言葉が通じなくても。


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