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私がお腹いっぱいになれたのは
高校時代の私は、とにかく自分のことで精いっぱいで、部活と勉強をうまくいかせることが私のすべてだった。所属していた部活は、週7日活動のバスケットボール部。勉強は、常に試験で学年上位に残ることが、私を安心させた。高校生活という、責任がないという意味では自由の、学生という世界の中で完結するという意味では不自由な3年間を、私は自分の世界を守ることだけ必死に生きていた。
自分の世界を守る、それは少しでも気を張っていないと崩れ落ちてしまいそうなボロボロの籠城の外壁を、常に自分が一人で監視役をつとめながら、不安に押しつぶされそうになりながら生き続けることだった。
だから、あの頃の私は本当に気が張っていた。気の知れた部活の仲間たちと一つ一つの会話や温かいジョークが心に浸透してくるまで、何分もかかることがあった。私自身、誰かに意地悪をしていたとか、無視をしていたとか、そういうわけではないが、本当の意味で仲良くなる友人を作ることにだいぶ苦労したのは、そのせいだったと思う。それでも、高校のみんなは本当に温かくて、元気で、輝いていた。素敵な仲間たちだった。高校を卒業してからしばらく経って、高校三年間に私とかかわってくれた友人やクラスメートは優秀で人間としての格が高くて、おとなだったことに気づいたのだ。私は精神的に成長をするまで、彼らのありがたみがわからなかった。彼らには本当に感謝している。
だが、私が一番感謝をしなければならない人物について、まだ触れられていない。その人物は、いわずもがな私自身の母親である。(前置きが長くなるのが私の癖である。。)
私の母親は、いい人だ。よく笑うし、若い頃から経営側に回ったような、ビジネスのやり手だ。だけど、すごく頑固だ。私は生まれてこの方ほとんど褒められたことはないし、よく厳しく躾けられた。母親はとにかく、そのエネルギーで、私と弟を引っ張ってきた、という感じだった。自分のことで精いっぱいだった私は、そんな母親という存在を、今まで疑ったことはなかったのに、高校時代で少し心が成長してきて、やっと母親という存在がそこへ侵入してきたとき、あれがおこった。
そう、反抗期だ。一般的な反抗期と比べたら少し、遅すぎだと思う。
磁石の同じ極同士が反発しあうように、似た者同士は反発することが多い。私と母親は、似ていたのだ。16歳の私が、そのことに気づいていたわけではなかったが、自然と、成長をしていく私は、母親になっていくことを拒んだ。「部活」と「勉強」で周りを固めていた私は、母親に介入の余地を与えなかったのだ。お互い多忙な仕事と部活ですれ違うことが多く、土日の「一家団欒」の時間でさえ、もはや会話が成立していなかった。
人には共感という機能が備わっているが、それには限度がある。共感をして助け合うことが私たちの血の中に流れているとしても、自分の世界を壊す要因となりそうなものは、悲しいが排除せざるを得ない。きっとあの時のわたしは母親を敵か危険因子か、そんな風に考えていたのだと思う。
自分一人じゃ、何もできなかったくせに。
高校3年間、私は自己欺瞞と焦りと精神的薄弱さに、母親への感謝という当たり前の行為を、結局一度もできなかった。部活で唯一与えられた「母親への感謝のメッセージを独り一言」の時間でも、上っ面の文章をそれらしくみんなの前で述べて、さっさと締めくくってしまった。
そんな私が、今年25歳になる私が、近頃ふと気づいたことがあった。
私には、高校1年から3年で部活を引退するまで、何回か、部活で試合にほとんど出られなかった時期があり、働かざる者食うべからずと、お弁当の量をわざわざ減らしていた時があった。
毎日、早起きが何よりも苦手な母親が、かなり早く家をでる私よりもさらに早起きして作ってくれたお弁当を。こっそりご飯を減らして。
毎日激しい運動をする16歳の私には、満たされるはずのないごはんの量。
だけど、不思議と私のお腹はいっぱいだった。
お弁当を一口、口にするたびに何よりも深い味わいが、心と体を満たした。
あれ、いっぱい食べているわけじゃないのに、どうしてこんなにお腹がいっぱいなんだろう。
それが、100gのお米でも、お肉でも、玉子焼きでもないとしたら。
私の心と体を満たしたのは、母親の愛ではなかったのだろうかと。
きっと口での愛情表現が苦手な母親は、一生懸命の愛を、すべてお弁当にこめていたのだ。
私を満たしていたものはお米でもお肉でも卵でもない、愛ではなかったのだろうか。
そう考えたとたん、私は震えた。ああ、と声をもらした。
愛が体を満たす、って、これもそうじゃないか、と。
不器用な母は、もっと不器用な私の心を、お弁当を通じて、愛を伝えてくれていた。私は、今になってそのことに気づいたのだ。
思えば、進学校に通うまで教育を受けさせてもらい、学びたいものを学ばせてもらっている私は、つくづく恵まれている。恵まれているからこそ、与えられるもののありがたさに気づかない。自分の世界に閉じこもっていては、歩み寄ろうとするもの、与えられるものが自分が大事と思えるまで、受け取ることがないのだ。
自分が情けない。だけど、ありがたい。
ありがとう。お母さん。
この話を、まだ母親に話すことはできていない。母親も頑固だが、私も頑固だ。だけど、そろそろ思いを行動に移す時だ。知っている。あと4日で四半世紀を生きたことになる私は、そろそろ、人に与えることの人間になりたい。だから、これからは、母親に感謝の気持ちをもっと伝えていこうと思う。
高校時代からの7年間、周りの環境がいちじるしく変わり、様々な経験を通じて、私は日常で、何かに感謝することが増えた。その感謝の対象はなんであってもいいかもしれないが、自分という存在をこの世に送り出した、自分の母親に、素直になりたい。私一人の頑固さで、幼稚さで、精神的紐帯を切らしたくないのだ。
似た者同士、支えあう。そんな関係性を、母親と築いていきたいのである。
あとがき
もはやフィクションや空想、こじつけのようなこのお弁当のお話を読んでくださりありがとうございます。だけど、誰かが作ってくれた食事が心と体を満たす感覚は、母親を通じてだけではありません。地域の奉仕活動で作ってもらったおにぎり、かつての恋人が作ってくれたカレー、すべて、一口めで何かが違いました。お腹がいっぱいになったんです。愛は、きっと心と体を満たすのだと思います。私も、たくさん人に与えてもらった愛を、愛を与えられる人になりたいものです。Praying for Ukraine. (2022/4/10)
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