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地球樹は地球儀を回す

僕が愛を感じている。
この体感を誰も奪えない。

僕が幸せを感じている。
この体感を誰とも競わなくて良い。

僕が豊かさを感じている。
この体感を誰とも共有し切れない。

僕が希望を感じている。
この体感を完璧に言語化できない。


感覺はこの世では僕だけのもの。

経験は盗めない
とは
その経験による“体感(感覺)を盗めない“
という事。

それは
中學生の経験は生きていれば誰でもできるけれど、皆同じ中學生経験はしていない事と同じ。
相手がいれば結婚という経験はできるけれど、皆同じ結婚生活を送っていない事と同じ。

経験で得る自分だけの感覺が人生の宝なのです。

僕が愛を感じるのは宝。
皆に分けようにも分け切れない点で
物質的な金銀財宝とは明らかに違う宝。

それは
“生“という宝。


宝を感じる事。

ただ感じる事。
生という宝を感じる事は
自分の命を感じる事。

ここまで繋がっている命の宝を感じると
思いは先祖へと馳せられる。

その時
『なんだ、全部が僕じゃないか』
という感覺になる。

僕の感覺であるはずなのに
僕という感覺が透明になる。

目の前に広がる部屋も僕という感覺になってくる。
目の前にあるクッションはクッションなのだけれどクッションという僕そのものの感覺になっている。

言葉が意味を成さなくなりつつある感覺。

言葉によるカテゴライズが溶けていく。

それはこの時
僕が溶けていってるから。
僕という僕を表す言葉が
もはや意味を成さない。

言葉すら常識の範疇だった。

常識を疑う時
僕は言葉を用いて疑っていたけれど
常識への違和感を感じたならそれで良かったのだ。
その後の思考とは
自分の違和感を正当化しようとする行程。

そこに
自分への愛はない。

自分を信じ切れていないのだ。

“自分を信じよう“
なんてしなくて良い。

自分を感じていればそれで良い。

確証なんて得られないけれど
大樹は自分をただ感じているだけで
“生きよう“とも考えていない。

もちろん
“生きなければ“
とも
“より良く生きたい“
とも思っていない。

そのように思考する時とは
自分を失っている時。

自分を感じ切れていない為
自分を信じられなくなる。


今、思うのは
月も地球も太陽も
ただ僕なんだなって。

この感覺は心地良い。

そして
この感覺をやはり言葉で共有し切れるものではないように思う。

他者と分かち切れないのは
苦しみや悲しみとか頑張りだけじゃない。


僕が僕を生きる意味。
僕にしか僕を信じ切れない理由。
ここでいう僕とはこの軀體を伴う僕ではない。

幸せな僕という
地球樹は立っている。
ただ一本立っている。

孤独。
孤立。
孤高。

皆、当てはまらない。

地球樹とは宇宙樹。

宇宙全てが僕だから
孤独と言えばそうだけれど
最初から僕しかいなかった。

ただそのように在っただけ。

愛は一つ。

一つの自分を思い出した感覺。


祭統 白宇

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