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親愛なるマズロー先生へ

巨人の肩の上に立つ


私たちは巨人の肩の上に立っている。
それを認識しているか否かに関わらず、その事実は変わらない(と、私は認識している)。
巨人たちは我々になにをもたらしてくれただろうか?
思考するということそのもの、思考とはなにか、それはどうあるべきか、存在とは、人間とは、自己と他者とは、心とは、そんなことを考え続けた彼らは巨人となり、現代を生きる我々の世界を支える柱となっている。
柱を登り、その上に葺かれた屋根に腰掛けることができたなら、その見晴らしは素晴らしいものだろう。
あるいはその柱に頭を打ちつけ、倒れるものもいるだろう。
またあるいは、その巨大な柱に視界を遮られるものもいるだろう。
そう考えると、巨人の肩の上に立っているというのは確かなことではなく、巨人たちがいることだけが確かなのかも知れない。
どちらにしても、巨人がこの世界の構成要素であるならば、直接的にせよ、間接的にせよ、我々はその恩恵/被害を被っているのだろう。
他方、巨人の側からすれば、彼ら/彼女らの目にはこの世界はどう映っているのだろうか。
この文章はそんな疑問から端を発したものである。

欲求階層説の綻びあるいはマズローの価値観

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